見出し画像

描かれた絵を読み解く方法について【マシュマロ質問箱から】

みなさん、こんにちは!大変ご無沙汰しています。
昨年は、異常に立て込んでおり、書く書くと言いつつ、全く記事の更新ができないまま一年があっという間に終わってしまいました。

今年は昨年よりも落ち着きそうなのもあって、書く書く詐欺にならないよう、書き物に時間をしっかり割きたいな…というのが一つの大きな目標です。

ところで先日、このような質問をいただきました。

風景構成法で、心身共に良好な人が火山が噴火している様子を描きました。これはどう読み取れば良いでしょうか?

マシュマロ質問箱より

質問をどうもありがとうございました!

まずは、この質問への回答をさせていただきます。


まず、『風景構成法』というのは、日本の精神科医中井久夫氏によって1970年頃に考案された独自の療法・アセスメント方法のようです。資料によると、風景構成法とは、クライアントさんに10個のアイテムを用いながら風景を構成してもらうのですが、そこに描かれる情報を対話を通じて、その人の内面を掘り下げ理解を深めていく療法とあります。各アイテムやその描かれ方にある一定の意味があるそうで、それを元に相談者の心理を解釈していく、という側面があると理解しました(見解に間違えがある場合は注意・教えていただけると幸いです。)

残念ながら、わたしは風景構成法をあまり存じていないため、質問への具体的な回答をすることは出来ません。そのため、『風景構成法』という枠組みの中で、その解釈方法を知りたい場合には、わたしではなく、実際に風景構成法を専門に勉強された方に聞いてみるのが一番良いのではないかと感じています。

しかし、「心身ともに良好な人が」描く火山の噴火が何を意味するのか…それをどう取り扱っていけば良いのかについては、アートセラピストとして少しお話しできるかもしれません。

自分のケースだった場合、どのようなアプローチを取るか?

相談者さんが「火山の噴火」を絵にした場合。わたしであれば、その火山の噴火が、その作者である相談者さんにとって何を意味するのか?そこに興味を持ちます。

多分、なぜそれを描いたのかを聞いてみるんじゃないかな?と思います。

絵を見ただけじゃ心は読めない。

以前に、こちらの記事でも紹介しましたが、「描かれた絵を第三者が視覚のみで解釈を行う」という行為は、現代のアメリカの臨床心理の現場では、一般的では無いということはもっと知られても良いかもしれません。

と言うのも、絵を描くという行為には、描いた人の心理以外にも様々な情報が含まれています。例えば、その人の描画能力であったり、親しんできた文化や土地・地理関係も含め『当たり前』として経験してきたこと、ものの認識の仕方など…。精神的なことだけでなく、描画という表現に落とし込む物理的・技術的作業をも含む様々な事柄が相まった上で、一つの絵が表現されています。

そのため、りんごの絵を描いたとしても、描く人にとって『りんご』という存在がどのような意味を持つのかによってりんごの描かれ方は異なってきます。それと同じで、風景にしても、その人の生活環境や、そこでの一般常識や当たり前がどのようなものによるかで、実際に紙面に何が表現されるか、その意味は、見た側の受け取り方ではなく、製作者個人の経験に委ねられています。そして、それはもちろん、絵の題材選びや表現の仕方にも多少なりとも影響を与えているかと思います。

このように様々な要素を含めて考えていくと、描かれた絵の中に出てくるモチーフやその意味には、制作した本人にしか分からない理由があることがわかります。

じゃあ火山の絵はどう解釈するの?

今回の質問にあるような、火山を例にするとすれば、実際に火山の噴火が間近な環境で育った人にとっての『火山』と、火山を漫画やアニメでしか見たことが無い人にとっての『火山』では、意味は違ってくる可能性はなくはありません。また、火山が『噴火する』ことを描いた意味、何を表現したかったのかは、やはり本人に聞かずにいる分には、全て推測にしかなりません。

それはつまり、相談者がなぜそれを描いたのか。そこに描かれる情感であったり、メッセージであったりを理解しないことには、本当のことは解らない。そのような結論に至るように思います。

風景構成法は一つの参考として

風景構成法が作られた1970年代では、治験者は主に、日本という土地や文化に馴染み、ある程度同じ価値観を共有した人たちが集まったグループ・層が想定されていたと推測します。

そのため当時は、一般的に〇〇の場合は××だ、といった解釈が今よりも通用しやすかったのではないかと思います。これは例えば、わたしが上記の例に挙げているニュアンスからもわかるように、「雨の日」は「晴れの日」よりもネガティブといった意味が共有しやすい状態が常にあったと言えるでしょう。(これはわたしが持つ日本人一般の「雨の日」に対する先入観が「ネガティブなもの」であるだろうということを前提にした意見です。しかし、例えばカリフォルニア州の人に「好きな日は?」と聞いてみると、意外や意外、雨の日が好きと答える人は驚くほど多く、雨の日=ネガティブは成立しないことを説明しています。)

現代は(ここ30年の間だけでも)、違う土地への旅行や移住、インターネットの情報も普及するなど、様々な文化圏や境遇の人が増え、視野や価値観の多様化が進んでいます。そのため、ある特定の『前提』をもとに展開される推測には、昔よりも慎重になる必要があるような気がします。なので、従来のアセスメントから示される枠は、一つの重要な情報として尊重しつつ、制作者本人の直接の言葉を聞きながら、見解をカスタマイズしていくことが、治療者側には今後一層求められる姿勢なのかな、といったことを思います。

長くなりましたが、いただいた質問からこのようなことを考えました。皆さんはどう思うでしょうか?コメント、意見をいただけると励みになります。

これからも、このような質問、たくさんお待ちしております。


参照記事:
https://www.jstage.jst.go.jp/article/swjcb/49/0/49_28/_pdf#:~:text=風景構成法とは,となるものである%E3%80%82

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?