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『 THIS IS US/ディス・イズ・アス 』の物語考察【#3】

「不完全な存在であることが完全なる人間性」〜ランドルの物語〜

前回の記事では、ゆうきさんが、レベッカとジャックという一組みの夫婦の形から見えてくる人間性についてを考察してくださいました。そこで紹介される「不完全な存在であることが完全なる人間性である」という捉え方は、わたしたちが日々生活する社会に目を向けてみると、かなり相反する真逆の感性であると言えるかもしれません。

機械化が進み、ささいな間違えにも厳しい現代社会。この間違えが許せない潔癖さは、一見、わたしたちに便利さや快適さを与えてくれるように思えますが、そのような環境が「人間性」を持つ人の心に大きな無理や断裂を強いていることは、もっと理解されても良いのかもしれません。

そこで、この記事では、そのような苦しさを体現しているキャラクター:ザ・Mr.完璧主義とも言えようビックスリーの一人、ランドルにスポットライトを当てながら、彼の人間関係からもたらされる心の変容、そしてそこから見えてくるトラウマの癒しのヒントを『不完全さ』をキーワードに探ってみたいと思います。

ランドルというキャラクター

レベッカとジャックの間に生まれた双子のケビンとケイト。彼らと3つ子同然として育てられたのが、ランドル。

ランドルは、生後すぐ、消防署の前に置き去りにされた黒人の男の子でした。彼を見つけた消防署員が慌てて病院まで送り届けた先に、ちょうど出産を終えたばかりのレベッカとジャックがいたことが、彼らの出会いの始まりです。レベッカは3つ子を妊娠していたものの、3人目の子供が死産となり夫婦は喪しみを抱えていたのでした。3人の子供達を家に連れ帰ることを望んでいたピアーソン夫妻はランドルを3人目の子供として迎え入れ、彼は、白人家庭の養子としてピアーソン家で育つことになります。

レベッカとジャックの愛情をたくさん受けて育つものの、ランドルは一人だけ肌の色が違うこと、親子の遺伝子的なつながりがないことをいつも感じながら、本当の自分の親は誰なのだろうか…、と様々想像を巡らしながら子供時代を送ります。

「消防署の前に置き去りにされていた孤児だった自分」を大きなアイデンティティに、子供の時からとても真面目で、学校ではいつも優等生だった彼は、そのまま、絵に描いたようなサクセスストーリーを歩みながら、社会的にも成功者と言われる立場を手にしています。

ランドルの影

「辛い境遇をバネに成功者に」というアメリカンドリームのナラティブを地で行くランドルには、大きな影の部分があります。

大きなプレッシャーを感じた時や、予期せぬことが起きた時に起きるパニック発作。子供の頃から、宿題の問題の解き方が分からなかったり、兄妹がゲームのルールを勝手に変えてしまうといった出来事があると、突然気持ちが圧倒されて強い不安を起こしてしまうことが昔からありました。そしてそれは、大人になってからも同じで、白黒つけなきゃ気が済まないコントロールフリーク(仕切り屋)へと姿形を変えながら、彼をずっと縛ってきました。

ランドルのように、真面目で頑張り屋で、自分を極限まで追い込みながら生きてきた人の多くは、インポスター症候群を抱えています。それが、並々ならぬ学業優秀や社会的成功を導く反面、その代償として、常に完璧でなければならないといった大きな重圧や間違えへの極度の恐怖心を植え付けてしまうことがあるのです。

不安の正体

ランドルは、自身の出自に大きなミステリー(不明点)を持っています。自身の始まりのストーリーが解らないという不確かさは、自分が何者なのであろうかといったアイデンティティの問題以外にも、自身の抱える遺伝的体質や特徴を知ることも叶わない、そんな推測不能感やなんとも言えない無力感を彼に与えています。

そのような彼が、少しでも状況をコントロールできるようにと、コントロールフリークになって行ったのは、ある意味当然の力動と言えるでしょう。彼が、公式や合理が合ってさえいれば解けやすい学問や職業に惹かれて行ったのも必然になってきます。しかし、これが原因で、自由を謳歌するケヴィンとは、度々衝突することも。

そんな、ランドルですが、物語を通じて彼という人物を知れば知るほど、彼を行動に突き動かす動機には深い他者への愛情があることを感じることも出来ます。家族の中で一人だけ違う自分を感じながら生きてきたからこその繋がりを求める感覚なのかも知れませんし、もともと繊細で人の気持ちにも気が付きやすい彼は、ゆうきさんの記事にあるように母親レベッカが経験していた葛藤にも一番先に気が付き、彼女の一番の味方となりました。そしてジャックが亡くなってからは、家族全員の幸せを願う、縁の下の力持ちならぬ、指揮官的な役割を担って家族を引っ張ってきました(父親が亡くなった当初ケイトもケヴィンもささくれていて、母が頼りに出来るのがランドルしかいなかった、というところも実はありますが。)

他人への深い愛情があるからこそ、彼らを守るために危機感が強くなり、その結果、不安が強くなる。実は、この現象は、不安が強い方の中には、結構多く見受けられる現象でもあります。

ランドルの人生に現れる大きな転機

ランドルの一番の理解者であり相棒のベスは、彼の抱える様々な葛藤をずっと見てきました。ビックスリーの父親ジャックが亡くなった直後にランドルが出会ったのが彼女だった、というのも、とても象徴的な関係性であるかと言えます。彼女は、彼と彼の家族を知り尽し、感情の波にぐわんぐわん揺れる彼らのアンカー(船の碇)的な存在となる達観した女性。ランドルの遺伝上の父親探しも全力でサポートします。

そんな前提がある中で話が始まる『 THIS IS US/ディス・イズ・アス 』、ランドルが直面する転機の中で大きなものを取り上げてみましょう。

最初に起きた転機は、なんといっても遺伝上の父ウィリアムを見つけたこと。

彼との交流の中で、ランドルは自分の知らなかった自分、そして今までに感じたことの無いような不思議な満たされた気持ちを感じるのです。ランドルの遺伝上の父ウィリアムは、リカバリーアディクト(薬物中毒者の過去を持つ回復者)であり、ランドルが生まれた当初は、薬物に染まっていました。しかし、ランドルとの再会に希望が持てた日を境に、自身の行いを悔いながら、薬物と手を切って生きてきました。ランドルがウィリアムを探し出した日は、彼が余命を宣告された日でもあり、自暴自棄に薬物に再び手を出そうとしていたまさに、その瞬間でした。

ウィリアムとの出会い、そして、彼に残された時間を共に過ごすことにより、ランドルは、道を踏み外す選択をしてしまったウィリアムの躓きや過ちを含む、完璧とは言えない彼の生きてきた人生を知っていくことになります。そして、そんな彼をどう受け入れていけばいいのかを試されていくことになります。

彼に起きた第二の転機は、ウィリアムとレベッカの間に隠された秘密を知ることでした。ウィリアムとの再会により大きな動揺を隠せないレベッカ、それもそのはず、彼女はウィリアムの存在をランドルがまだ赤ん坊の頃から知っていたのでした。あんなにもランドルが、本当の親を探し求めていたことを知っていたにもかかわらず、彼女は、彼にウィリアムの存在をずっと隠していたのでした。

大きな裏切り行為に打ちのめされるランドル。

絶対的に自分の味方だと思っていた母親のこの秘密を知って、ランドルは母とどう向き合っていけばいいのか深く葛藤することになります。

失敗のさまざまな形

ランドルを待っていたのは、自分の親たちの犯した大きな『間違え』でした。

物語が後半に進むにつれて、遺伝上の母親ローレルの存在もランドルの人生に飛び込んでいきます。母親ローレルは、名家の出身者で、伝統的で厳格な家から逃げ自由な暮らしを求め都会に来たところで、ウィリアムと出会いました。家を捨てた苦しさから薬物に手を染め、それをウィリアムにも勧めてしまいます。ウィリアムは彼女が死んだと思い込んでいましたが、実は生きていました。彼女は生前、闘病生活を送りながらずっと、ウィリアムやランドルを手放す原因になった自身の薬物に手を染めた過去を悔いていました。

実親達やレベッカの、抱えていた大きな『間違え』が、自分の人生の始まりにあったこと。いつも、白黒はっきりつけて、完璧に間違えなく物事を遂行することを地で生きるランドルにとって、彼らのしてきたことは、許しがたく、しかしとても脆弱的で人間的な選択でもありました。

ランドルには、二つの選択肢があります。自分を苦しめた彼らを蔑み切り捨て決別すること、もしくは、彼らの痛みに共感し彼らを受け入れること。

ランドルは、実親とレベッカに対して、どちらの選択をしていったのでしょうか?

不完全を受け入れる時

ランドルは、彼らの『間違え』を受け入れ、許すことを選択します。

彼らの犯した『間違え』を恨むよりも、彼らから受け取った愛情や自分に向けられた強い想いの方が、ランドルには大切に思えたのでした。そう思えるほど、『間違え』が起こった背景にある出来事を知っていく中で感じる、一筋縄ではいかない人間の葛藤や不完全さ、そしてそれが引き起こした悲劇と、それに対する修復への不器用だけど必死な試みがあったことを、彼は知ることになります。知れば知るほど、彼らに気持ちをひらけば開くほど、その全てが愛おしくなるくらい、ランドルは大きな愛に包まれる感覚を覚えたのです。

ランドルのこの大きな許しの経験と、そこから得られた様々な人生のあり方への理解。これをランドルは肥やしとしながら、家族に、社会に還元していく選択をしていきます。

彼は、自身を探す旅を通じて、養父となり、政治家にもなり、そして、自身の犯す色々な間違えにも向き合えるようになっていきます。

物語を通じて、彼の不安障害が癒され、仲間が増え、家族が集まってくるそんな存在になるランドルに、この不完全な親たちが与えたギフトというのは計りし得ないものがあることが分かるでしょう。

間違えは誰でも犯す

今回の記事では、ランドルの完璧主義傾向を起点に、彼がどう『不完全』と向き合っていくのかを紐解きながらトラウマの癒しのヒントを探ってみました。

様々な見所がある『 THIS IS US/ディス・イズ・アス 』ですが、わたしが一番感動したのが、実は、ランドルの母親ローレルのエピソード(あとミゲルのエピソード)でした。このエピソードと一連のウィリアムの物語から見えてくるのは、ランドルの両親もレベッカも、極悪人でも無責任な人物ではなく、ただの人、タイミングの重なりや気持ちの揺らぎの中でたまたま出会ってしまった誘惑に流されてしまったところから、間違えを犯してしまいました。

「その時、それを止めてくれる人がいたら…」
「その時、誰かに気持ちを話せていたら…」
「その時、何かが起きていたら…」

たまたま、自分を正してくれる存在がその時にいなかったことが、彼らを間違った選択に仕向けてしまいました。それは、本当に些細なきっかけであったり、その時の本人の抱えていた心の拠り所の有無であったり、ここには誰もが共感できる部分があるのではないかと感じます。

その等身大の人間的な、しかし一人の人生を狂わせるほど大きな間違えに、ランドルが大きな愛を持って受け入れていく姿が描かれているところに、わたしはウィリアム、ローレル、そしてレベッカたちが経験してきた自ら引き出してしまったトラウマが癒さやれ、終息を迎えることが出来た様子を感じることが出来ました。

ランドルの物語には、機械ではない『不完全』な人間だからこそ巻き起こるでこぼこしたドラマの必然性であったり、そこから生まれる他者への共感の力であったり、そして、セカンドチャンスがいつも誰にでも存在していることを教えてくれたりするような、そんな優しさと希望を感じるメッセージが込められているように思います。皆さんは、彼のストーリーにどんなことを感じましたか?

バトンタッチ:

ランドルの物語からは、彼の実親とレベッカが残した大きな課題がどう回収され、その世代間トラウマの輪が閉じられるのか、その様子を垣間見ることが出来ました。

しかし、親から子へと受け渡される課題が、どのようなものなのか、または、どのようにそれが子ども達に影響を与え、それをどう受け取っていくのかは、十人十色、誰一人として同じ語り口になることは決してありません。

そこで、次の記事では、『 THIS IS US/ディス・イズ・アス 』のビックスリーのケイトを軸に、彼女にはどんなドラマがあるのだろうか…!彼女が受け継ぐ世代間トラウマと成長のストーリーをゆうきさんに聞いてみたい!とバトンを渡します。

参照:
・『THIS IS US/ディス・イズ・アス』シーズン1〜6
・Riley, D. & Meeks, J. (2015). Beneath the mask: understanding adopted teens. C.A.S.E. Publications, Burtonsville:MD.
・Anthony, M. (2009). When perfect isn't good enough: strategies for coping with perfectionism. Audible: Audiobook.

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