ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?
この春、国立西洋美術館では、1959年に開館して以来、65年の歴史の中で初となる現代アートの展覧会が開催されています。
その名も、“ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?”。
タイトルも長いですが、サブタイトルも同じくらいに長く、“国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ”とのこと。
おそらく、これまでに日本で開催された中で、もっとも文字数の多い展覧会タイトルなのではないでしょうか。
なお、タイトルほどではないものの、「ここはいかなる記憶の磁場となってきたか?」や、
「日本に『西洋美術館』があることをどう考えるか?」など、全7章(+2)ある章名もそれぞれ長め。
もちろん、そのキャプションのテキストも長めです。
さらには、会場では、21組の現代美術家による作品が展示されているわけですが。
作品によっては、テキストがビッシリ書かれたもの、あるいは、テキスト自体が作品というものもありました。
こんなにも文字を読んだ展覧会は、初めて!
未来のアーティストたちよりも先に、
僕のほうがこの部屋で眠ってしまうところでした(笑)。
さてさて、65年目にして初となる現代アート展ということで。
きっと気合が入りまくっていたのでしょう。
テキストもマシマシでしたが、出品されている作品の数もマシマシでした。
ラーメン二郎を食べたくらいの満腹感を得られる展覧会です。
普段の国立西洋美術館とは明らかにテイストが違うので、おそらくこの展覧会に対して、戸惑う人は少なくないでしょう。
作品も好き嫌いがハッキリ分かれるタイプのものが多かった気もしますし。
しかし、それを踏まえた上で、国立西洋美術館65年目のチャレンジには、やはり拍手を送りたい!
これからも守りに入ることなく、チャレンジし続けて頂きたいと思います。
⭐️⭐️
さて、ここからは印象に残った作品をいくつかご紹介いたしましょう。
まずは、内藤礼さんの《color beginning》(写真手前)から。
一見すると、何も塗られていない真っ白なキャンバスに思えますが。
実は、ごくごく淡い色彩で描かれた絵画です。
なので、しばらくじーっと見つめ続けていると、色彩が浮かび上がってきます。
ただ、本展ではその隣に、国立西洋美術館が所蔵する、ポール・セザンヌの《葉を落としたジャ・ド・ブッファンの木々》があるため、そっちの強い色彩が勝ってしまって、そこまで色味は感じられないかも。
続いて印象的だったのは、彫刻家で、彫刻評論家でもある小田原のどかさんによるインスタレーション作品です。
101年前に関東大震災が起きた際、ロダンの彫刻も被災したという事実に着目した小田原さん。
本展では、それを再現すべく(?)、
ロダンの《考える人》を台座から外し、あえて横倒しの状態にして展示しています。
これまで《考える人》を観る機会は何度もありましたが、きっと後にも先にも、この姿で《考える人》を観ることはないはず。
せっかくの機会なので、中の空洞部分をしっかり目に焼きつけておきました。
女性のアーティストが続きますが、お次も女性アーティストの作品をご紹介。
竹村京さんの《修復されたC.M.の1916年の睡蓮》です。
こちらは、国立西洋美術館のコレクションの礎を築いた松方幸次郎が、モネ直々に譲り受けたとされる大作《睡蓮、柳の反映》を元にした作品です。
2016年に約60年ぶりにパリで発見され、
その後、国立西洋美術館に寄贈された《睡蓮、柳の反映》は、発見された段階ではすでに、作品の大半が欠損していました。
今回、竹村さんは刺繍によって、その補完を試みたそうで、
《睡蓮、柳の反映》にレイヤーを重ねるような形で作品を展示しています。
全体的に主義主張が強めの作品が多かった中で、
見た目にも作風的にもフワッとした竹村さんの作品は、
この展覧会における一服の清涼剤のような存在でした。
最後に紹介したいのは、写真家の鷹野隆大さんが手掛けた展示スペースです。
美術館の一角に突如として現れたのは、
IKEAの家具でコーディネートされた現代的な部屋。
その壁には、国立西洋美術館のコレクションが飾られています。
さらには、鷹野さんの写真作品も飾られています。
美術館で展示されている際には、何の違和感もないわけですが。
IKEAの部屋に置かれるとなると、クラナハやクールベ、ゴッホの絵画は浮いています。
対して、現代アーティストによる写真作品は、それがたとえ、男性のヌード写真でも、しっくり来ています。
展示する空間が変わるだけで、見え方や感じ方がこんなにも変わるなんて。
とても興味深い実験結果(?)でした。
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