美術の価格と鑑賞と感動 9~12
9 美術をなるべく高く買いたい心理
美術に値段はあってないものと言われますが、物価の優等生ならぬエリートという面があります。
エリートとは、教科書の理屈どおりに上下する意味です。二人が欲しいだけで金額は青天井になり、今どきは一人が欲しいだけで高騰する情報戦もあります。
ちなみに、美術のような価格変動が起きて欲しくない商品のひとつは、音楽コンサートやスポーツ観戦のチケットです。青天井だと若い熱心なファンに安く買ってもらう妨げになるから、主催者は自由価格を嫌います。
1万枚のチケットに対して5万人が申し込んでも、オークションにせずに抽選にして、値段を上げないようにします。
プレミアムを消すこちらの発想はロジックが高度なので、資本主義の通念がじゃまして、その意図が理解できない人も意外に多い。
ここまでのお話で、読者の方はあることをすでに浮かべているでしょう。それは絵を高く買いたい立場です。安く買いたいのではなく、高く買いたい。節約せずに、あえてたくさん出費したい人がいるのです。
二流の安い絵を避けて、一流の高い絵を買う意味ではありません。同一の絵を買うのに、より多額を出費したい論理です。
クレームの話を思い出してみます。4980円払ったお客は、1980円のお客よりも、商品の美点に目が向いて、欠点をあまり意識しなくなるから、クレームを言い出さない傾向がありました。
これが美術品の購入者にも起きます。同一の絵画でも、高く買った方が優れて見えるわけです。
「優れて見えるような気がする」「何となくリッチな気分になる」という、微妙なニュアンスではありません。確かにすごい絵だと、心の奥から感じ入るものです。より多額を払うほど。
思い込みや勘違いではなく、本当に優れて見えます。錯覚とは違う。
価格が大違いだと、真価が異なって感じられる。上っ面の舞い上がった情動ではなく、本物はやっぱり違うと本気で魂に響きます。数字しだいで。
虚実の思いがせめぎ合うわけではなく。値段に惑わされた疑いにさいなまれはせず、裸の王様の不安定感とは違い全身全霊が充実するでしょう。
偽の感動ではなく本物の感動。価格しだいで。
10 オークション価格の損得勘定
そんなわけだから、有名な国際オークションに参加した日本の企業人が、名画を競(せ)り合って買う時に、なるべく高く買いたい心理もはたらきます。
ゴッホなら8億円で落札するよりも、58億円で落札した方が、買う側の満足度がはるかに大きくなります。より多額を払った場合ほど、所有者はより満足します。
ニュースになった時、国民は8億円なら小さく驚き、58億円なら大きく驚きます。大きい驚きほど伝説化しやすく、作品の素晴らしさを裏づけて補強してくれて、付加価値が大きくなります。作品のスター化。
全国で巡回展を開く際にも、8億円ではなく58億円で買っていた方が、国民のより強い関心と感動と敬意が期待できます。差額の50億円も、かえって早く回収できるかも知れません。
1980円で買うことができるかも知れないとしても、その方向で努力するよりは、堂々と4980円で買う方向を好む理屈が、美術購入にはあるのです。
高いから買うのをやめるのではなく、高ければ高いほど買いたくなる心理メカニズムです。
11 日本の美術はセレブ寄りの文化
関西の落語家のネタに、東京と大阪の消費行動が出てきます。東京の人は高く買ったことを自慢し、大阪の人は安く買ったことを自慢するという、価値観の差をギャグにしたものです。
大阪のおばちゃんは、良い物を安く買うのが誇りだという。これは東西の地域差と同時に、セレブ感覚に対抗する庶民感覚を言い当てたのでしょう。
日本で美術を所蔵する人は、多少でもセレブ型の消費行動をとると思われ、大阪のおばちゃんの買い方は自慢にならないのでしょう。
現に、早くからゴッホを安く買っていた美術館も日本にはあるのに、昔の人の先見の明をほめることはあまりないようです。老舗美術館に古くからある名作の収蔵品も、地味な存在にとどまっています。
上がるだけ上がった後のゴッホを高く買ったケースの方が、圧倒的に話題になっています。高いほど秀逸という扱いで。
「値段に踊ってバッカみたい」という声は、ごく局地的でマイナーです。ある意味禁句だし。
日本で美術は、セレブの論理で回っている面があるでしょう。これもまた「美術の特殊化」です。
庶民の手にあるという「美術の一般化」は、まだ起きていません。 近いようでまだ遠いのが、アートの一般化です。
12 美術の価格相場を高騰させた日本
そうした高く払いたい願望のせいで、何かまずいことは起きないかと心配もあるでしょう。もちろんアート価格が高騰する問題があります。
1980年代から日本人が過度に競り上げたせいで、オークションのアート相場が無意味に上がったと、当時は他国から批判がありました。
今その種の批判を受けやすい金満国は中東国であり、中国も加わると考えられます。国内経済(株価や輸出産業ではなく内需)が伸びる最中で、今後の未来が明るい地ほど、こうしたリッチなセレブ買いが好まれます。
国際オークション価格の高騰は、日本の画家が描いた明治大正時代の洋画でも起きました。日本の文明開化時代の古典絵画が欲しい人は、世界中で日本の美術館やコレクターでした。だから安く買えるはずでした。
しかしオークション主催側は、日本人が高く買いたがる心理を知りました。日本側に忖度もして、競り合うサクラを会場に混ぜて、日本側に高く買わせる策を講じたそうです。
日本の美術市場で年間に動く金額は確かにかなり低いのですが、世界全体の4パーセントなら、恐ろしく低くもないわけです。他国から無駄に高く買って、金額ベースを支えている面もあるでしょう。(つづく)
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