芸術物語

ヨーロッパやアメリカで日本美術を展示し、学んだ体験の物語です。芸術観の違いを通して、鑑…

芸術物語

ヨーロッパやアメリカで日本美術を展示し、学んだ体験の物語です。芸術観の違いを通して、鑑賞と制作のコツを様々な切り口で語ります。著者は日本の新世代のアートを募集し、欧州国の企画展で売り出し、制作もプロデュースしています。画家・デジタル版画家。

最近の記事

三大画家タイプとダダ運動タイプのアート 13~15

13 現代アートの造詣はたったひとつ ・・・このように、行き過ぎた自由を是正すべきだとする、現代アート批判や反省が日本にも増えています。 それらの取り締まりに対して、著者は全く賛成できません。 この問題は、表現の自由の大きい小さいではないからです。手法が広がり過ぎた「程度の問題」とは、全然違う話だから。 行き過ぎなどと、ボルテージの高低で調節すべき対象ではない。 手加減や微調整による改善は、関係ない話。過度な自由表現をつつしみ、適度な自由表現に改めるべきだ式の、ひか

    • 三大画家タイプとダダ運動タイプのアート 9~12

      9 現代アートを二つに大別した理由 著者が現代アートを「三大画家タイプ」と「ダダ運動タイプ」の二つに分けた狙いは、現代アートが苦手な人を減らすことでした。 現代美術へのわだかまりの多くは、もちろん作品を理解できないことが発端です。わけがわからない絵が発端です。ピカソやポロックが発端。 わからない絵の代表は抽象画で、シュールレアリスムもあります。未来派やロシア・アヴァンギャルドなども、意味不明の表現が多い。 もっとも、そのあたりが現代アートの全てだとすれば、もっと単純な

      • 三大画家タイプとダダ運動タイプのアート 5~8

        5 その何が変なのかを言えない鑑賞者 「でも、それって何か変じゃないか?」と思いますよね。 「絵の謎って、そういう意味の謎なの?」という疑問がわきます。「それ絶対おかしいって」。 とはいえ、何がどう変なのかは簡単に言葉で示せません。言えそうな気がしても、うまく言えないみたいな。 「ここがこうおかしい」とは、スパッと言えないもどかしさがありますね。ならば引き下がるしかない?。 美術館の展示室でクロスワードパズルを解く。その謎解きを指して、『モナリザ』の謎の微笑みを読み

        • 三大画家タイプとダダ運動タイプのアート 1~4

          1 ゴッホの創造性と魔力性のまとめ まずは復習します。芸術は創造です。 よくある誤解ですが、絵が上手だから芸術なのではなく、創造性があるから芸術なのです。 創造的な造形というものは、皆の記憶にない新種です。当然ですね。 顔なじみなわけはありません。皆の知らない世界を展開しているのが創造なのだから、「あっこれ知ってる」とはなりません。「いつものやつだな」という、よしみがないのです。 「なんじゃそりゃ」「そんなもん知らんがな」という反応になって当たり前です。誰もがけげん

        三大画家タイプとダダ運動タイプのアート 13~15

          表現の裂け目と気持ち悪さが芸術の証明 13~15

          13 魔力と呪いの美学ならエジプト そんな古代エジプトのアート類が伝える情感には、魔力と呪いに近いような得体の知れない不気味さがあります。サブカルにみられる魔界伝説のルーツみたいな。 別に墓どろぼうを呪うための制作ではないとしても、闇の世界に通じるような、独特の不穏な気分をもたらせます。 今日、私たちが街の画廊やデパートで見る絵に心ときめくような、陽気な幸福感はありません。 不気味でちょっと怖い彫像類の数々は、見た瞬間「あっ、いやだな」と軽い嫌悪が走るような、ただなら

          表現の裂け目と気持ち悪さが芸術の証明 13~15

          表現の裂け目と気持ち悪さが芸術の証明 9~12

          9 表現の裂け目はジャンルに縛られない 表現の裂け目に注目するなら、あちらを立てればこちらが立たない事態は一変します。 びっしり細かく描き込まれ、同時に何らかの断層、たとえば大彫りのフォルムが全体像に重なっていれば、それが表現の裂け目として浮かび上がります。あるいは、細かさとは関係ない部分に生じるかも知れません。 一個の作品につじつまの合わない要素の不協和があれば、そこが芸術の証明だというわけです。 もちろん程度の問題もあります。断層が劇的な作品があれば、ささやかな作

          表現の裂け目と気持ち悪さが芸術の証明 9~12

          表現の裂け目と気持ち悪さが芸術の証明 5~8

          5 古今東西の作品をチェックしてみると そこで著者はまず、人類の太古のアート類を調べました。 さらに古代、中世、近世、近代を点検して、いったいどういう表現物が時の審判を経て、現代に伝えられているかを調べました。 百年以上たてば、人々の目にどれが傑作と映るのか。人類が何を名作に選んできたか。 昔から言われてきた「芸術は創造である」は、もちろんすぐわかります。前例と違うことをやったので、エポックと認定されるのはわかりきっています。二番煎じはだめ。 しかしこの事務的な記録

          表現の裂け目と気持ち悪さが芸術の証明 5~8

          表現の裂け目と気持ち悪さが芸術の証明 1~4

          1 芸術という語の使い方は主に二つある 芸術という語は、どういう意味で使われているのでしょうか。ひとつはカテゴリーです。 たとえば高校の授業には芸術という「教科」があり、その中に美術と音楽と書道などの「科目」があります。どれかひとつ履修し、2年続けるのが普通でした。 「高校の時の芸術は音楽をとったよ」という使い方です。芸術はカテゴリーの総称です。 芸術カテゴリーの中にある各ジャンルは、美術と音楽と書道以外にもあります。映画や生け花や落語や漫才も芸術です。 ただ映画は

          表現の裂け目と気持ち悪さが芸術の証明 1~4

          美術の価格と鑑賞と感動 13~15

          13 新美術を見送る習慣を生む害 高額の美術が市場を引っ張り、値段の数字が感動を支える状態。その高価格ビジネスモデルに国民があまりに順応すると、鑑賞の心理かく乱とはまた別の害が出てきます。 絵の良し悪しを値段で測る感覚になじむに従い、駆け出し画家を相手にするメリットがなくなるのです。新人画家の絵は、相手にするだけ損だという理屈になるから。 新人は安いから価値が低くてだめだと思うだけでなく、高くなってから相手にすれば間に合う打算になります。 何十年か待って、出世したのを

          美術の価格と鑑賞と感動 13~15

          美術の価格と鑑賞と感動 9~12

          9 美術をなるべく高く買いたい心理 美術に値段はあってないものと言われますが、物価の優等生ならぬエリートという面があります。 エリートとは、教科書の理屈どおりに上下する意味です。二人が欲しいだけで金額は青天井になり、今どきは一人が欲しいだけで高騰する情報戦もあります。 ちなみに、美術のような価格変動が起きて欲しくない商品のひとつは、音楽コンサートやスポーツ観戦のチケットです。青天井だと若い熱心なファンに安く買ってもらう妨げになるから、主催者は自由価格を嫌います。 1万

          美術の価格と鑑賞と感動 9~12

          美術の価格と鑑賞と感動 5~8

          5 高い安いの影響は身近にも多い ところで、「金持ち喧嘩せず」ということわざがあります。4980円を払った方が金持ちであり、余裕があるからギスギスしない。 おおらかな人柄や高い人格だから、高物買いするはずだという意見も出るでしょう。 貧しく心がすさんだ人や、退廃した底辺層ほど安く買おうと必死だから、その後のトラブルも当然多いはずだとする、ネットでよくみる「元々そういう人」説です。 それも一理あるとしても、同一人物かつ同一商品で生じる違いが問題なのです。値段のみ違うだけ

          美術の価格と鑑賞と感動 5~8

          美術の価格と鑑賞と感動 1~4

          1 絵画の価格に人は何を思うか 「この絵は何億円です」というアートの高い価格が、たびたび話題になります。 最近ではレオナルド・ダ・ヴィンチの『サルバトール・ムンディー』で、510億円というオークション結果が目立ちました。絵のタイトルはメシア、救世主の意味です。 そんな高額を代理人を通して払ったのは、日本や中国ではなく中東国筋でした。サッカーワールドカップで、アジアに含まれる地域。UAE(アラブ首長国連邦)のドバイ市にある文化観光局だそうです。

          美術の価格と鑑賞と感動 1~4

          アート作品の全てに動機と必然があり、作者の気持ちがよく表れている

          アート類、美術作品が難解であったり、わけがわからなく感じたとしても、自分と違う世界観や価値観との距離感にすぎません。それで正常です。初めて会った人と、すぐには波長が合わないようなものです。 美術と親しもうとしても、自分の感覚に一致する作品は存在しません。あくまでも知らない他人の世界です。理解できないからと、深刻に考えることもいらないでしょう。 ただ、人類の芸術には非常に大きい枠組みとして、決まった心のはたらきで作られている共通点があります。それすら「何でもいい」と霧散させ

          アート作品の全てに動機と必然があり、作者の気持ちがよく表れている

          芸術とは何かは人それぞれである以前に、人類の歴史的な軸線があります

          芸術、美術を鑑賞する時に、「自由な世界です」「自分の思うがままでよいのです」「人それぞれです」という考えが出やすいものです。「全てをあなたが、好きなように決めなさい」という声が出てきます。 ところがこの対処だと、二つ問題があります。 ひとつは、自分と美術の関係に方向性がなくなってしまい、「自分の目」を生涯持てなくなる確率が、かえって高まる問題です。「自分は美術はわからない、芸術は難しい」という人が増えすぎます。 もうひとつは、人類が残してきた山のようなアート作品にある大

          芸術とは何かは人それぞれである以前に、人類の歴史的な軸線があります

          欧州国には現代アートを持つ家庭が多いのに、日本がそうならないのはなぜ?

          「あれ、自分は美術も芸術も、わからないまま今日まで来た」という方は、もしかして多いのかも知れません。日本以外の国には、そういう方はぐっと少ないのです。他国では現代美術は身近にあります。 著者は海外美術展の企画も行っていて、欧米の家庭には各部屋に美術作品が置いてあると知り、我々のお客様と重なります。「抽象美術はわからない」という段階は、海外では卒業した人が多いようです。 その差のひとつの原因として、日本では美術に入門する時に、独特の「美術くさい雰囲気」があります。ハードルも

          欧州国には現代アートを持つ家庭が多いのに、日本がそうならないのはなぜ?