【映画 x 日本の人種差別】 GO
名前って何なに?
バラと呼んでいる花を
別の名前にしてみても美しい香りはそのまま
シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の台詞から始まる『GO』という映画。
邦画では個人的にベスト10に入るほどお気に入りの映画です。
まだ見たことないがない人は、映画のストーリーもメッセージ性もすごくいいのでぜひ見てください。
この記事ではあらすじ、俳優の魅力、映画のメッセージ性と差別についてという観点で書いていこうと思います。
①あらすじ
話は至ってシンプル。
男子高校生の青春ラブストーリーです。
しかし一般的な日本の恋愛ドラマや映画と違うのは、彼が在日韓国人であるということです。
もちろん思春期の不器用さや心の描写もありますが、そこには日本で在日として生きるというマイノリティや差別・偏見を受ける側としての試練・戦いがあります。
またそれは恋愛においても壁になりえます。
朝鮮学校での授業や在日として日本で生活してきた父親の教育など、マジョリティーの日本人には知らない苦悩が数々描かれています。
原作は小説なのですが、その小説家 金城一紀さんも在日の方で彼自身の体験が作品に投影されているみたいです。
この説明だけでいうと少し重い印象を感じるかもしれませんが、映画としてはストーリーも面白く痛快で、色々考えさせられつつも非常に楽しめる作品となっています。
②俳優の魅力
日本映画界でも非常に高い評価を得て、下記賞を受賞しています。
日本アカデミー最優秀監督賞・脚本賞・主演男優賞・助演男優賞
主役を演じる窪塚洋介(当時21歳)はこの映画で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を史上最年少で受賞しました。
もう正直この映画は窪塚洋介のかっこいい演技抜きでは語れません。
時代も令和となり若い世代は窪塚洋介を知らない人も増えてきたと思いますが、僕個人としては日本で一番才能のある俳優だと思っているのでぜひ見て欲しいです。
またIWGPやピンポンでの窪塚洋介の演技が好きなら絶対ハマると思います!
そして何より夜の学校の校庭でのラストシーンの長ゼリフ...圧巻です!
そして窪塚洋介以外のもたくさんのいい俳優が出ています。
中学の先輩役では、今れいわ新選組の代表を務める山本太郎。
恋愛相手役はミステリアスな雰囲気の柴咲コウ。
お父さん役には渋い演技の山崎努。お母さん役は大竹しのぶ。
この両親の掛け合いもおもしろいです。
そしてタクシードライバー役には亡くなってしまった大杉漣さん。泣
この俳優陣に脚本は宮藤官九郎、ストーリーから俳優まで非常に完成度が高い作品になっています。
③映画のメッセージ性と差別について
この映画では印象的な台詞がたくさん出てきます。
「俺は何人だ?」
日本で生きる在日韓国人という人種的なテーマの中で、「自分とは何か?」という問いかけが話の軸にもなっています。
また在日韓国人として日本で生きることや生きてきた両親の言葉も多くあります。
「俺がそんな朝鮮人の魂なんか持ってたら20円で売ってやるよ」
「親の脛かじってる間はね、韓国も朝鮮も日本もないの。ガキなんだよ、ガキ」
「てめえらの世代でケリつけろよ。あんたら1世2世がグズグズしてるから俺らがパッとしねーんだろ!」
「在日って呼ぶってことはな、俺がいつかこの国から出てくよそ者だっていってるようなもんなんだよ」
また父親役の山崎努と交わすこの台詞。
「広い世界を見ろ。そして、自分で決めろ」
「国境線なんて俺が消してやるよ」
そして記事の冒頭のシェイクスピエアのロミオのジュリエットからの言葉。
名前って何なに?
バラと呼んでいる花を
別の名前にしてみても美しい香りはそのまま
人をどんなカテゴリーに当てはめようが、その人自体の本質を表したり変えたりすることはできません。
あなたがあなたである所以は名前があるからではなく、なにより「あなた」だからです。
「名前つけなきゃ不安でしょうがねえんだろう。」
「ライオンは自分のことライオンだなんて思ってねえからな。おめえらが勝手につけた名前じゃないか」
「○○男子」「○○女子」「意識高い系」などカテゴリーで人を判断するのは、短絡的に判断でき楽でいいですが、真面目に向き合う機会を奪ってしまうこともあります。
またいい意味でのカテゴライズならまだいいですが、それが悪い場合、ジャッジされた側は不快ですし、そのイメージからの脱却にものすごいエネルギーが必要となることがほとんどです。
例えば日本という国、仮に今の安倍政権の考え方がイコールで日本人の考え方と世界に捉えられたらどうでしょう。
数々の安倍政権の過去の実績を出される中、どこがどう自分の意見と違い、誤解されてるかをあなたはしっかり説明できますか?
「日本人って、アジア人ってこうだよね」とアメリカに住んでいるときステレオタイプでよく語られました。
「男(女)って〜」「これだからゆとりは〜」なんてよく言われますが、カテゴリーとはその傾向を表したにすぎず、真にむかい合わない限りは人も物事も深いところでは理解できません。
そして、自問自答や決意・覚悟を超えてこの映画の主人公も一つの答えにたどり着きます。
「俺は在日でもエイリアンでもねえんだよ。俺は俺なんだよ」
映画を見ていただければこの言葉の持つ深い意味や経緯をお分りいただけると思います。
窪塚洋介自身は、『GO』への出演は
「人生を大きく脱線するひとつのきっかけ」
になったと語っています。
事実この映画の出演を境にTVドラマとの決別を決めたとも語っています。
また、
『GO』に出演した当時は、在日韓国人ではない自分があの役を演じることへのプレッシャーをすごく感じていていましたね。同じ境遇の仲間も居たので、魂があるように見せるのがとても大変でした。そう言った中で『自分とはなんぞや?』と自分自身に向き合い、深く掘り下げた時、胸を張ってあの作品を世の中におくり出すことができました。『ピンチはチャンス』ってよく言いますが、まさにマイノリティであることを逆手にとって、世の中を恨まずに自分自身のまま生きていくことができたんじゃないかな」
ともインタビューで語っている通り、窪塚洋介自身もこの映画によりアイデンティーを考えるきっかけになったと話しています。
その後、彼はマンションからの転落事件もありましたが、超売れっ子俳優の立場に敷かれたレールから外れ、卍ラインの活動を始め、今ではNetflixやハリウッドなど舞台を海外に広げ活躍しています。
僕もアメリカにいるときに社会学を勉強しつつ、自分自身と深く向き合う時間がありました。
自分自身が社会でどういう立場であるかを客観的に捉え、それを受け入れた上で悲観も楽観もせず自分らしく如何にして社会と向き合い生きていくのか。
その答えにたどり着いたとき、何か吹っ切れた感覚があったことを覚えています。
#BlackLivesMatter のデモをきっかけに差別やマイノリティー、自分自身やカテゴリー・レッテルなど考えるいい機会になっていると思います。
日本人は優しいとか、日本にはあまり差別がないなんて度々聞きますが、それはあなたが気づいていないだけだと思います。
差別をする人は大半がマジョリティーに属している場合が多く、いじめと同じく意識をしてないために気づいてないなんてこともあります。
ネットや本でも在日や中・韓への差別的発言、女性軽視、アジア人軽視、LGBTへの差別など少し意識的に見ればそこら中に蔓延っています。
僕個人としては、差別をなくす一番の方法は差別をさせない制度作りではなく、一人一人が人をカテゴリーで判断せず人として判断する意識・目を持つことだと思います。
いい日本人もいれば悪い日本人もいるように、「人種」「性別」「年齢」など大枠で人を捉えようとするから誤解が生じるのです。
色眼鏡で見ず、あなたの目で見て判断することが重要だと思います。
話がちょっとそれましたが、あなた自身のアイデンティティと差別について考えるきっかけに、ぜひ『GO』をお時間あれば見てみていただけたらと思います。
Amazon Primeに入っていれば無料でみれますよ^^
それでは、また!