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【北海道開拓の思い出】#18 新米でおかゆ
いよいよ帰る日が近くなり、本家の叔母さんは父に何が食べたいと聞いている。父がおかゆが食べたいと云うと、大きなかまどの大きな鍋に新米でおかゆを作ってくださった。そのおいしかったことといったら。内地では父も小さいころそうして食べたのだろう。新米でおかゆなんて聞いたことがない。父にとっては最高のご馳走だったのだろう。
おばあさんの葬式の時に源二さんが大阪の病院へ勤めていると聞いた。源二さんには葬式が終わってからは会えなかった。ふなちゃんはいろんな衣類を栁行李にいれてくれた。巳之助おじさんはノート、エンピツ、クレヨン、消しゴムなど福山の生徒みなさんに当たるようにと、ずいぶん栁行李にいれて富山からチッキ便で送ってくださった。
帰ったのは11月2日だったと思う。
ちょうど一か月で青森のリンゴは全然見えなくなった。連絡船は帰りは時化ていて、横になって寝ていても端から向こう端までころがってしまう。あっちでもこっちでももどす人が多かったようだった。父も私も胸が悪くなったが、無事、函館へ上陸した。