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DiversityとInclusion

こんにちは!あっという間に今週も後半に入ってしまいました。今日はピーポーさんからのご質問です。

Inclusionのニュアンスについて

いつも楽しくブログを拝見しています。とても勉強になります。私はアメリカに本社がある企業に勤めているのですが、昨今のアメリカから届く人種問題を発端とした暴動などのニュースに心を痛めています。ニュースを見ていてinclusionという言葉がよく出てくることに気づきました。ダイバーシティと一緒に語られることも多いようですが、ダイバーシティの意味は何となくわかるものの、inclusionは恥ずかしながらニュアンスが私には掴みきれません。もしよろしければ、ご意見を伺えますか?

ピーポーさん、ご質問ありがとうございます。
本当に、ここ最近のアメリカからのニュースには心が痛み不安になります。日本にいると、どこかで遠い世界の話のように思ってしまいますが、仕事でもプライベートでもアメリカに住んでいる人と話すと、いつの間にかsocial justice(社会的正義)の話になってしまうことからも、とても深刻な問題なのだと感じています。ピーポーさんもアメリカに本社がある企業にお勤めとのことで、日々お仕事を通して様々な影響を実感していらっしゃることと思います。

言葉のニュアンスは時代によって変化する?
Diversityの時代による変遷

さて、ご質問のinclusionとdiversityですが、それぞれ見てみましょう。
Diversityという言葉。近頃は「ダイバーシティ」という日本語(カタカナ英語?)としてもすっかりお馴染みとなっています。通訳の仕事でも良く出てくる言葉ですが、最近は「多様性」などの日本語に訳すより「ダイバーシティ」と、カタカナで言ってしまった方がピンと来る人が多い印象すら受けます。

調べてみると、diversityは「バラバラに」という意味の”di-“と「動く」という意味の”-verse”というラテン語が語源のようです。英語のdiversityという言葉は14世紀中頃には「多様性」や「違うこと」など、ほぼ現代と変わらない意味で使われていたようです。それが、14世期終わり頃になると「不一致」や「対立」などのネガティブなニュアンスで用いられるようになったとのこと。さらには1700年代終わり頃になると近代民主主義の台頭とともに「diversityは国の美徳」などの文脈でポジティブなニュアンスになったという話です。今はdiversityという言葉はポジティブな意味で使われることが殆どですが、同じ単語でも時代によってネガティブからポジティブへとニュアンスが変化するのが面白いですね。

inclusionの語源

一方、inclusionは「包含」とか「包括」などと訳されますが、語源を探ると1600年頃には「監禁する」「中に押し込める」などの意味として使われていたのが、1840年頃から「対象物の一部となる」「含まれる」という現代とほぼ同じ意味での使われ方が固まってきたとのこと。

inclusionと言えば思い出すのは…

inclusionという言葉はニュースで聞く以外どんな風に使うかな、と自分が使っている場面を考えてみたところ、、、、実は私、”inclusion”という言葉に頻繁に遭遇していた時期があったのを思い出しました!それは、通訳の仕事を始めて間もない頃、某ショッピングチャンネルのライブ放送の仕事をしていたのですが、ときどき番組に外国人デザイナーの方などが出演して、ご自身の作品であるジュエリーについて語ることがあったんです。(私はその通訳として呼ばれていました。)そのときに、ジュエリーに使われている宝石にinclusion(内包物)が入ってる、入ってない・・・という話をしていた覚えがあります。石の中に「内包物」つまり不純物が含まれているかどうか、という文脈です。宝石は不純物の入り方によって価値が変わるんですよね。なので、あの頃は石にinclusionがあるの、ないのという話をしょっちゅう訳していました。(ちなみに、不純物が入った方が希少価値で値段が上がる場合もあります。)

あー、懐かしい〜!通訳っていろんな分野の仕事がある、本当にdiversity(多様性)を楽しめる職業だと思います・・・笑。

この二つの言葉が同時に登場するのは

質問の中でピーポーさんが、inclusionは「ダイバーシティと一緒に語られることも多いようですが」とおっしゃっていますが、diversity(多様性)を掲げるとき、多様性に富む人々が真にinclusion(包括)された状態であることが重要ということなのでしょうね。ダイバーシティを掲げながらも、潜在的(あるいはあからさまな)差別や格差によって誰かが排除されるようなことがあってはならない、多様な人が同時に存在するだけでなく、公正に権利を与えられた社会の構成員として扱われるべきであるというメッセージを込めてinclusionという言葉が使われている気がします。

Inclusionも、最近は日本語のなかで「インクルージョン」とカタカナで使われるのを見かけます。「ダイバーシティ」と同じく、概念が浸透するにしたがってinclusionも近い将来、日本語の中でもカタカナで一般的に使われるようになのかもしれません。

ピーポーさん、とてもタイムリーなご質問をありがとうございました。また良かったら質問・コメントをお送りください!お待ちしてます!

慶子

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