「どうしても続けたい!お願い!!」って言って欲しい

こんにちは、わをんです。先日チビーズのお稽古事の送迎の際に、同じレッスンを受けているママさんたちと来年も継続するかどうかと言う点でお話をする機会がありました。

家は続ける。うちは辞めるかも。とか互いに言い合いながら各家庭の状況や考え方を聞いた。何を続け、何曜日に何のレッスンが入ってるとか、みんな結構忙しい。

同学年の子どもを持つ親として、同じレッスンを受けさせている者同士、妙に馬が合います。来年度は小学校1年生になるので生活の切り替わるタイミングであり、お稽古事を継続するかやめるかの重要な転機になりえます。

そもそもお稽古事を始める時は意外と簡単です。子供がやりたいと言えば、時間とお金が許せば「じゃあいいよ」となります。

そんなお稽古事にも初期費用が掛かり、毎月の月謝や場合によっては年会費なんてものもかかったりしますが、それも先生によりピンキリです。

どのレッスン枠で何曜日の何時からなら通えるのか。子ども・親の両方の都合を考えて通えるか、金銭的に問題ないか、意欲があるかの確認が取れたら、子どもの世界を広げる為、積極的に新しいことに挑戦してほしいと思っています。

一度きりのイベント参加なら、その日・その時間をやりくりをすればいいので問題はないのですが、「あとは楽しむだけさ♪」とどこかの群青を聞きながらうきうき会場に向かうだけ。

例えば最近ではこんなイベントに子どもたちを連れて参加してきました。
チームラボは遊園地のようなところなので参加と言うと変かも知れませんが、子どもを連れて遊ぶには教養に溢れていて、刺激的で、親も楽しい。

バンブーピクニックは主催者が友人で紹介動画の火熾し体験を見て、私がやってみたい!となり子どもに聞くと「行ってみたい!」と答えたのでチビーズを連れての参加となりました。

当日はどこかのテレビ局も取材・撮影していたり、結構大掛かりなイベントだったので、生活クラブがらみで多くの組合員と話をするきっかけが貰えたイベントでもありました。

こういう一回きりのイベントではなく、毎週継続的に通うとなると子どものモチベーション・意欲・やる気に加えて、送迎するママのエネルギーが重要となってきます。

明日はレッスンの日だよ、と声をかける。当日、朝もレッスンの日だからねと声をかける。当日そろそろ準備する時間だよと着替えを促し、荷物を用意し、送迎する。レッスンが終わるまで近場で待機し、終わったら連れて帰る。途中でコンビニによって子どもをねぎらう何かを買う。帰宅したら、すぐに夕食の準備。

これら一連がお稽古事に関する私の仕事で、特に夕食の支度まで間がないので、はっきり言って重荷です。食事の支度をしなくていいなら良いのですが、正直に言ってお稽古事の送迎がある日はとても疲れます。

だからこそ、子どもたちにはそのお稽古事を楽しんでほしいと心の底から思っています。
「明日レッスンだよー」と声をかけて、「えー?やだー」と言われたら、私の苦労をなんだと思ってるんだ!?と私のエゴがむくむくと起きあがってきます。

この「私の!」と言う強い意識《エゴ》はしょっちゅう湧き上がってきて、そのたびにあまり育てないようにと注意はしているのですが、上手くいく時と残念ながらうまくいかない時が当然あり、あまりにもエゴが育つと額に角が生えた鬼になったかのように、怒り狂う自分がいます。

後になって、後悔して、あんなに言わなくてもよかったのにな、としょんぼり反省します。そんな中子ども側から「ママ、ごめんね」と謝ってくれると心が落ち着くし、子どもに慰められてる自分を実感し、自分の親としてのまた子に教えられたな、とひとりごちる。

最終的に、お稽古事に関して思うところは「レッスンだよー」と声を掛けたら「はーい」と返事が返ってきて、「レッスン楽しかったー」と感想が返ってきて、家でも積極的に復習・練習をするというような子どもの意欲を感じたいのです。

月謝を払っていて、送迎やその他のエネルギーを吸い取られる子どものお稽古事。やる気があるなら継続させたいし、やる気がないなら小学校入学を機に辞めさせたい。

そのやる気を今一度確認するいい機会が入学なんです。なんでかというと、子どもがある日、突然「もうレッスン行きたくない」と言い出したりします。

因みに意外としょっちゅうあります。その時に「分かった。じゃあ今日はお休みにする?」と言ってあげられません、私は。だって月謝払ってるから。

1回いくらのレッスンなら今日は休めばいいかとなりますが月謝制ならお金を捨てるようなもの。実際は先生の仕事・生活を支えていますが、私にとっては何にもならなかったお金になります。

お金を稼ぐためにあくせくする一方で、子どもの習い事は正直言ってしんどいです。やる気を出して通って習ってきてくれるなら、好い。子の世界が広がってくれれば。良い体験に繋がれば、良い。

そう思って通わせてるのに、「今日行きたくない」と言われるとお金も、エネルギーも無駄に感じてしまいます。

入学により生活が一変する。そうなれば辞めやすい。この機を逃すと辞めずらい。だって、「子どもが行きたくない」と言ったら「じゃあ、今日は休む?」って言っていいの?という葛藤があるから。

親として、子どもが「嫌」と言う事をそのまま丸呑みする親で良いの?という疑問が常に付きまとう。

これがお稽古事じゃなくて、学校生活一般にまで普及してきたら?と思うと怖い。
「今日レッスン行きたくない」→「いいよーじゃあ休もうか」の延長線上に「今日学校行きたくない」→「学校は行こうよ」→「なんで?お稽古事のレッスンは休んでいいっていうのに、学校はダメなの?」ってなるのが目に見える。それはもう、アリアリと。

勿論深刻な問題があるなら話は別。いじめがある学級で通学が辛いとか熱があるとか体調が悪いとかなら。

「学校に行きたくないから、行かない」になったら不登校や引きこもりの始まり。不登校や引きこもりになりたくてなる人はいないと思うので、それが良いとか悪いとかじゃなくて、例えばほんのちょっと嫌なことがあって、いろんなことにやる気が出ないなーと言う気持ちになるときは誰でもありうる。

その時に、休みたい!と思う気持ちも誰にでもある。理解できる。で、実際に休むという体験が重なると「嫌なことがあったら休めばいいや!」という安直な方向にしか解決策が見いだせなくなる気がする。

親に休んでいいよって言ってもらうために、どのように親を説得するか?子どもは一生懸命考えて実行しようとする。だって私はそういう子だったから。

嫌な気持ちになって休みたいと言う気持ちを持ちながら、それでもレッスンに行ったら楽しかったという体験を持たせるのも幼い子どもに与えるべき一つの体験なのかな、と思う。

加えて、我が家では夫がかなり教育熱心だ。
私が入学をきっかけにお稽古事を継続するかしないか、今一度子どもと向き合ってほしいと夫に言うと、夫は全く別の事を言う。

「学校から帰って放課後に何もすることがないと家でゲームするだけになるから、お稽古事に・外に連れ出せ」、と。

それは全く私への負担を考えていない台詞だけど、子どもの事を考えたらそうなるのも真理かもしれない。

時に医者に連れていき、時にお稽古事があり、楽したいという私の気持ちはどこへやら。結局、続けるかどうかは不明のまま。




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わをん
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