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写真家Paul Strandの作品と理念

ポール・ストランド(Paul Strand, 1890– 1976 US)
アメリカ合衆国の写真家、映画監督・撮影監督。
アルフレッド・スティーグリッツやエドワード・ウェストンのようなモダニズム写真家と共に、写真を芸術としての確立した。いわゆる、*ストレートフォトグラフィ(Straight Photography) の作家だ。
ポール・ストランドのカメラワークは、アメリカ、欧州、そしてアフリカにも及び、グローバルに手掛けた作品は、様々なジャンル、テーマに及んでいる。

略歴-Paul Strand
1890年、ニューヨークで生まる。
エシカル・カルチャー・フィールズトン・スクール (Ethical Culture Fieldston School- NY)で、ルイス・ハイン(Lewis Hine-記録写真家)に学んだ。
写真へのきっかけは、この校外学習として、ルイス・ハインと共に訪れた「ギャラリー291」(NY)でアルフレッド・スティーグリッツの写真展を観た事だと後日、語っている。
当時は、絵画的写真が主流であったその時代にストランドは、現代美術に触発され、独特なストレートでリアルな写真スタイルを生み出していった。(Straight Photography) 
1916年、「ギャラリー291」ストランドの写真展を開催。それは、アルフレッド・スティーグリッツが、その写真にインパクトを受けたからだった。そして、写真雑誌「カメラ・ワーク」の最後の2部、49・50号(1916-1917年)をポール・ストランドの特集としている。
そのストランドの写真は、アルフレッド・スティーグリッツの写真にも影響を与えたと言われる。また、エドワード・ホッパーの絵画にも影響を与えていると言われる。

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(c)Paul Strand

その後のストランドは、映画のカメラマンや助監督として、まずは生計を立てながら、政治や社会問題の分野に関わるアーティストとして模索し、行動していった。カメラワークでの社会の改革を行うという理念、それは、今でいう「概念芸術」という事だろう。
そのスタイルは、大戦以降の欧州では受け入られた。ただ、アメリカでは、美的であり優れた写真としての評価は得たが、その概念芸術は理解には、まだ、早期だったのかも知れない。

映画での活動は、
1921年、チャールズ・シーラー(画家・写真家)と共同でニューヨークの日常生活を描いた短編ドキュメンタリー映画「Manhatta 」(New York the Magnificent)
1936年、「The Plow That Broke the Plains」ドキュメンタリー映画
1942年、「Native Land」反ファシスト(反ファシズム)の劇映画
1949年、カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭(当時のチェコスロバキア)で映画「Native Land」以降、アメリカのマッカーシズム(反共産主義)から逃れるため、亡命生活を送らざるを得なかった、1960年代からは、フランスで過ごした、1976年、パリ近郊のオルジェヴァ村で亡くなった。

(追記)ポール・ストランド、正式な共産党員となった事はなかった。当時は、インテリジェンスの方向性は、リベラルという流れだった。それは、日本でも同様だ。ストランドの共同制作者等や、友人の多くは共産党員、または、社会主義を賛美する方向性だった。
ごく現状の事であるが、アメリカの公開ファイルからは、ポール・ストランドのヨーロッパでの動向が秘密情報機関に詳細に監視されていた記述が見つけられた。

(註)
*ストレートフォトグラフィ(Straight Photography) :写真を絵画とは、別メディアとして、写真の特性・機能を重視して、写真に新しい表現形式を確立した。主には、合衆国の戦前の傾向かも知れない。そして、ポール・ストランドも参加した「Group f/64」が著名だ。


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