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20th初頭のアメリカ・アート先駆者:モーリス・プレンダーガスト

モーリス・プレンダーガスト(Maurice Brazil Prendergast,1858- 1924/アメリカの画家)

その作品は、公園や海岸などで、楽しむ人々のシーンを描いている、アメリカのポスト印象派と言われるアーティスト。気負いのない世界だ。
油彩、水彩、モノタイプ(Monotype/版画)がその媒体である。
モーリス・プレンダーガストは、「The Eight」のグループ展から、アシュカンスクール(アシュカン派)と言われるが、20th初頭のアメリカアートの特定のカテゴリーには入らないだろう・・そして、その仕分けは困難だ。
後から美術史点で語るにしても、あの人は、ああ言う人だとは言えない。いずれにしても、それらは、作品が語っている。

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(cc) Maurice Brazil Prendergast

略歴 - Maurice Brazil Prendergast
1858年、セント・ジョンズ(St. John’s/カナダ・ニューファンドランド)で生まれる。
1868年、家族とボストンへ移住する。ボストンでは、商業美術の見習いとして働き、明るい色彩のポスターなどを制作した。
1880年、兄弟でパリへ渡り、その後、1891-1895年、アカデミー・コラロッシ(Académie Colarossi/パリ)学ぶ、そこでは、フランスのポスト印象派の影響を受けている。
(註)弟のチャールズ・プレンダーガスト(Charles Prendergast:1863–1948)も画家。
1895年、ボストンに戻り、水彩画やモノタイプ(版画)を制作している。
そこには、セザンヌの作品を支持し、その豊かな形状と色彩のロジックを理解して、展開した最初のアメリカ人の作家の1人となった。

1907年、彼は、The Eightのメンバー(後のアシュカンスクール)として展示。
1913年、彼は、アーモリーショー(Armory Show/現代美術の国際展-賛否両論だ)に招待さたが、その作品の類似性に非難されている。
その後、健康状態が仕事を妨げとなるが、プレンダーガストは、残り人生を通して、アメリカの主要な展示会に出展している。
しかし、その画風の理解は、当時は困難を要したようだ。
1924年、没、その後、メトロポリタンも、プレンダーガスト記念回顧展の開催を拒否している。
ただ、その10年後にニューヨーク記念展が、ホイットニー美術館で開催された。そして、現在では、スミソニアン・ミュージアム他、多くで展示されている。

先駆者は、いつの時代も苦難が付き纏う・・・

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Maurice Brazil Prendergast

・POINT
1907年、彼は、The Eightのメンバー(後のアシュカンスクール)として展示している。
彼の作品の繊細さ、そのスタイルは、モザイクのような美しさはグループの芸術的意図と、いわゆるアシュカン派の哲学とは異なっていた
「The Eight」のグループ展が審査員もなく、賞を争わない開かれた展覧会という趣旨に賛同したとも言われるが・・・
また、「The Eight」のウィリアム・グラッケンズとは、生涯の友人だった。
ただ、当時の保守的で無気力であったアメリカのアートシーンを刺激を与えた事は確かだろう。


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