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イメージと文化「テレビ放送という時代の終焉」:2020年のマスコミを考える

・イメージと文化から、2020年の事象を考える(私的覚書)
「放送という時代から、Netの時代へ」
今年(2020年前半)、広告収入の上で、通信(Net)が、ついに放送を追い越した。それを決定づけるのは、スポンサーは広告だろう、そして、大手、電通の800億を超える赤字化へとなった。

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そして、サイマル放送に、NHKに次いで、ついに民放も今年の後期から参入した。
それは、長くつづいた放送の時代の終焉と言われる。まず、その余波は、地方の放送局からだろうと言われるのだが・・

テレビ放送は、いわゆる興行主と制作会社が、、、例えば、○放送制作1社で、朝、昼の時間帯を何チャンネル分を制作して、ク○○テレビ等が時間をずらして送出する。
1例だが、フジテレビの大株主が、○本であり、その大株主がソフトバンクであり、その大株主が○リババ(中国企業)というシステムで、制作される。
今現在のアジアの情勢を鑑みても、ソフトバンクの自転車創業から、今や、ソフトバンクのいわゆる大車輪は、国際的な経済界の認識でもかなり危険な領域だと言われている。

これらのなすことは、問題を提起するのではなく、事象にないものをタレント(街の人の意見として)で放送作家の方向で作り上げる。
いわゆる演出だ。
そこには、ニュースはコンテンツになってしまった、それは、多角的な視点が、もうどこにもないのだ。
ただ、実際に街で取材しても、100人に聞いても誰も相手にしてくれないのが実態だ・・
相手にされても、制作側の意図する方向で回答は得られない、誘導しても、それは、タレントでない限り、難しいだろう。           (註)視覚メッセージという架空世界。

これでは、通信(Net)に負ける、通信は、簡単に言えば、iPhoneが1台あれば、不特定多数にライブ配信できるからだ。
そして、コンテンツは、YouTube、Netflix 、Hulu、Amazon prime、、という黒船が押し寄せ、いとも簡単に日本の放送は終焉と向かってしまった。
ただ、日本のテレビ放送の責任として、正確な事実を多角的に伝えなかったという、大きな責任はあるだろう。
中国大陸側から見れば、弓形に接するのが日本の地形になる。

中国が意識する「九つの出口」のコピー


アジアの要の位置にある日本、それは、今や、○○の芸人さん達がバラエティ番組をしているような、お花畑である筈はないのだ。
それは、ウィルス禍で如実だ。そして、アメリカの大統領選挙もだろう。
危ういウィルスについては、連日、バラエティ番組(報道枠ではない)と言えども、国民に不安を煽る内容に尽きる、誰にでも言論の自由は担保されるべきだろう、ただ、貴方に特権はないのだ、それにしても軽率なコンテンツだ。
現場の医療従事者や高齢者、そして、庶民に視点を置く、姿勢は持てないのだろうか。

NHKテレビ放送と朝日新聞を読んでいれば、インテリジェンスを満たすような時代も、もうすで、ずっと過去のものだ。
それは、誰にでも判断できるのだが・・・

遡るが、2020年4月18日の朝のNHKニュースでは、核廃絶を理由に、視聴者をNGOであるピースボート(その船籍は北朝鮮)に誘引する放送まであった。これが、公共放送であるはずもないだろう。

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また、放送の技術的にも、ネット社会に、その技術の構成は、ここへきて明らかに負けた。
過去を省みると、独特の放送世界の人脈の中で、莫大な金額の機材を購入したり、リースしたりしていた訳だが、、
その高額な機材には、総務省電波管理局の規約から、クォリティ(放送に於ける品質)というものがあったからだ。
ただ、そのクォリティ(放送に於ける品質)も、すでも、そこら辺にあるネットの常識に負けてしまった。
例えば、4K放送もそうだろう、ここで詳細は書ききれないが、今の国内の方式の4Kテレビジョンでは、ネットの4Kのクォリティに追いつかないところまで来てしまった。それは、全世界的に言ってもそうだろう。    (註)放送技術を変えるネット世界

2008年、スマートフォンの普及(情報の把握)で革命が起きた、アラブの春-チュニジアから始まった、そして、それは、今や、全世界をNetが取り巻いた。
引用:外務省 Vol.87 「アラブの春」と中東・北アフリカ情勢
それが、今、アジアの日本にも到来したという事だろう。ただ、通信にも大きな問題が数多くある事も否なめない。
テレビの最後の使命は、少なくとも、事象に正確で、事象の多極な側面からの報道を望みたいところだが・・・

今回のアメリカ合衆国の大統領選挙に至っても、未だ、国内では、正確な事実とその移行が伝えられない・・
これを書く私は、放送に託けて、右に向いた思想でもなく、リベラルでもない、そして、アジア圏での人の差別をしている訳ではない、むしろ逆だ。停電、失業率、食糧難の巨大な隣国の庶民の生活には胸が痛む。
申し上げたい事は、「人は生まれる時代や生まれる場所を選べない」と言うことだ、イメージと文化を考える時、多極的な情報は不可欠だ。


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