ジョーン・ミッチェル:障がいと画業
ジョーン・ミッチェル:障がいと画業
ジョーン・ミッチェルを襲った病
1984年、ミッチェルは進行性口腔癌と診断され、下顎切除術 (顎の除去) を勧められた。治療は成功したが、ミッチェルは不安からのうつ症状に加えて顎の骨が壊死した。
ミッチェルのガン後の絵画
1985年以降、ミッチェルのガン後の絵画は、ガンが影響した心理的変化を反映している。
6つの絵画の流れは、「Between」、「Faded Air I」、「Faded Air II」、「A Few Days」サイクル、「Before, Again」サイクル、および「Then, Last Time」のグループだ。
ミッチェルと水彩画
ミッチェルが、変形性関節症を発症したとき、彼女の健康状態はさらに悪化した。
彼女は1985年12月に股関節置換手術を受けたが成功はしなかった。
その後、ルーブシエンヌ(フランス・セーヌ川丘陵地帯にありパリから約10km)の診療所で療養中に、彼女は水彩画を描き始めた。彼女は、術後の困難のため、イーゼルを使用して小さなフォーマットで制作した。彼女の川のサイクルはこの時代を象徴している。
晩年、ミッチェルは新たな焦点を当てて、ヒマワリの主題に戻りった。ひまわりは、1990年から1991年に、「枯れかけたひまわりの気持ちを伝える」ために描かれたと語る。
枯れかけたヒマワリの気持ちを伝える
Art Signs - Sunflower III
ジョーン・ミッチェルの最期は、1992年10月30日、パリのアメリカン病院で亡くなった、67歳であった。
ジョーン・ミッチェル(Joan Mitchell)
ジョーン・ミッチェル(Joan Mitchell、1925年2月12日 – 1992年10月30日)は、主に絵画と版画で活動し、パステルも使用する。そして、ペーパーや、他のメディウムでの作品を制作したアーティストだった。その作品は、アメリカの*抽象表現主義運動と結びつく。
(註)*抽象表現主義運動:US/1940後半-50年代、具体的なモチーフを持たず、純粋な美的感動を表現したスタイル
ジョーン・ミッチェル財団(JMF:Joan Mitchell Foundation)
最後になるが、ミッチェルは遺言の中で、現役アーティストに助成金や奨学金を与え、彼女のアーカイブを管理する非営利法人ジョアン・ミッチェル財団の設立を規定している。