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Daniel E. Rohrig:迫力と不条理の絵画

Daniel E. Rohrig:迫力と不条理の絵画


アウトサイダーアート・フェア第 27 回

ダニエル・E・ローリッグ(Daniel E. Rohrig)の作品が、表面化したのは、アウトサイダーアートフェア第 27 回であり、それは、ニューヨークのメトロポリタン・パビリオンで、2019.1.17-1.20 まで開催された。
(註)
アウトサイダーアートフェアは、ニューヨークとパリで2年に1度開催されるフェア。

-artoday

ダニエル・E・ローリッグ(Daniel E. Rohrig)

ダニエル・E・ローリッグ(Daniel E. Rohrig,1911-1969/アメリカの画家-アウトサイダーアーティスト)
紙に描かれたグアッシュ(gouache/ガッシュは、不透明な水彩)と水彩画、これらの作品は、アメリカンフォークアート美術館(American Folk Art Museum)が所蔵。
ダニエル・E・ローリッグが1969年に死去した後、数十年間家族が保管し、これまで基本的に隠れていた約70点の精巧な作品のうち60点が展示された。
それは、多くのアウトサイダーアーティストと同様に、ローリッグは、その個人的な芸術の成果を公表する必要性を感じていなかった。そこには、日本の神話の世界から、江戸・明治時代、そして、日本の20世紀の映画俳優やレスラーのイメージまで多岐にわたる。

作品は時代や資料を幻想的に混ぜ合わせ

裸の男たち-1959-69 Daniel E. Rohrig

作品は時代や資料を幻想的に混ぜ合わせたもので、ほとんどが日本文化から影響(借用)したものである。ローリッグはインスピレーションのすべてをタイプライターで打ったラベルの形で作品ごとに保管していた。

第二次世界大戦に従軍

ダニエル・E・ローリッグ(Daniel E. Rohrig)は、1911年ンディアナ州ハーモニーの生まれだが、第二次世界大戦に従軍し、軍の行政部隊である陸軍副官局で働いた。その任期は 1945年8月に終了した。そして、除隊後、ローリッグは軍艦のパーサーとしてのキャリアをスタートしました。彼は残りの人生を軍用海上輸送システム (MSTS) で民間人乗組員として勤務した。

新旧の日本の大衆文化を融合

裸の女/1959-69 Daniel E. Rohrig

アメリカが日本を占領していた時代(1945-1951年)、MSTSの船は、ハワイ、シアトル、グアム、マーシャル諸島、横浜などのアメリカ軍基地に軍人の親族を輸送することに特化していた。それは、彼が勤務していた MSTS の船にとって、日本は頻繁に訪れる目的地であった。
その長い航海では、絵を描く時間がじゅうぶんあり、また、船の図書館には、日本文化に関する豊富な資料があった可能性が強い。
ダニエル・E・ローリッグの作品からは、情報源との深い関わりと、その日本の芸術と文化に魅了された気持ちが伝わってくる。
ローリッグの作品の典型は、多面的な対話と美的コントラストで、新旧の日本の大衆文化を融合させていることだろう。

余談がが・・・

その迫力と異なる主題が不条理に混ざり合った作品は、ジャミアン・ジュリアーノ=ヴィラーニのような現代アーティストの熱狂的なポストモダニズムの不思議な先駆けのように思える。

(註)ジャミアン・ジュリアーノ=ヴィラーニ(Jamian Juliano-Villani,1987- /アメリカのアーティスト)は、ミーム、映画、写真データベース、美術史から画像を集め、それらをエアブラシで加工して、簡単に解釈できない不条理なコラージュに仕上げる。

バーモント州ストウの私の小さな一角、2017年 Jamian Juliano-Villani

ダニエル・E・ローリッグ、「馬に乗る男性と泣く女性」、1959年~69年

ダニエル・E・ローリッグ、「馬に乗る男性と泣く女性 Daniel E. Rohrig

ダニエル・E・ローリッグのアートワーク

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