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女性作家レオノーラ・キャリントンを考える
女性作家レオノーラ・キャリントンを考える
レオノーラ・キャリントン
レオノーラ・キャリントン(Leonora Carrington,1917 - 2011/イギリス人の画家、彫刻家、小説家)
フランス、メキシコで活躍した画家、彫刻家、そして、小説家だ。
1930年代の「シュルレアリスム・ムーブメントにおいて活躍した女流シュルレアリスト」と言われる。
ただ、現在のレオノーラ・キャリントンの評価では、フロイトの理論やシュルレアリスムに関しては、それほどまでに関心はなかったようだ。
また、女性のセクシャリティ表現を、男性シュルレアリストが評価し、理論化することに対して疑問を持っていた。
レオノーラ・キャリントンは、制作のプロセスにおける女性の役割をテーマに当て、自分の表現は自分で解釈していたのだろう。
レオノーラ・キャリントンの絵画
Do You Know My Aunt Eliza-1941
Ink on paper 270-x-207mm
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Portrait of the Late Mrs Partridge, 1947
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The Old Maids-1947 /Oil on board 582×738-mm
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The Giantess (The Guardian of the Egg), 1947
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And Then We Saw the Daughter of the Minotaur. 1953
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2022 Venice Biennale-59thのメインテーマは、「The Milk of Dreams」
中心的な展覧会のテーマは「The Milk of Dreams」だ。「The Milk of Dreams」には、213人のアーティストが参加する。
このテーマは、レオノーラ・キャリントン(Leonora Carrington)の著書から引用されている。
「このシュルレアリスムのアーティストは、想像力のプリズムを通して人生がつねに再認識され、誰もが変化し、変身し、何かに、誰かになることができるような魔法の世界を描いています。今回のビエンナーレでは、身体の変容と人間性の定義を通して、私たちを想像の旅へと誘うでしょう」
彼女のショーをフェミニストだとは説明してはいないが・・・この宇宙の固定された中心とすべてのものの尺度としての白人男性の「理性の男」の普遍的な理想に疑問を投げかけている。
その展示は、具体的には、「身体の表現とその変容」「個人とテクノロジーの関係」「身体と地球のつながり」という3つのテーマだ。
略歴とアートワーク-Leonora Carrington
1917年、イングランドに生まれ。イギリスの地方の貴族家庭で育てられたが、その家庭の厳格な教育に反発していた。(学校から退学処分)
フィニシング・スクール(パリ)を経て、ロンドンに戻る。
1935年、チェルシー美術学校で一年間過ごし、ロンドンのアカデミー・アメデ・オザンファンに通う。
マックス・エルンストとの出会い
1936年、国際シュルレアリスム展でのマックス・エルンストとの出会いにより、シュルレアリスムの影響を受ける。
1937年、キャリントンはロンドンで開催されたパーティーでマックス・エルンストに出会い、2人はパリに戻り、マックス・エルンスト(Max Ernst,1891-1976/ドイツ人画家・彫刻家-シュルレアリスム)の妻となる。そこでエルンストは、前の妻と別れた。
このときエルンストは46歳、キャリントンは20歳だった。
1938年、パリから、南フランスのサン・マルタン・ダルディッシュで暮らし、2人は、作品のコラボレーションを行いの芸術を発展・展開させていった。(ガーディン・アニマルズなど)
その後、第二次大戦中にドイツ人だったエルンスト(ナチスから、いわゆる退廃芸術に認定されてしまう)と別離を強いられた。
レオノーラ・キャリントンは、スペインへ逃亡するが、マドリードにある米国大使館で、不安と被害妄想を訴え、精神喪失として、スペインの精神病院へ送還される。
その間、夫のエルスントはペギー・グッゲンハイム (Peggy Guggenheim /アメリカのアートコレクター)の助けで、欧州から脱出した。そして、エルンストは、また、1941年、また、別の彼女と結婚する。その後、すぐにペギー・グッゲンハイムと離婚する。しかし、エルンストとキャリントンの関係が修復することはなかった。
(註)ペギー・グッゲンハイム は、ソロモンR.グッゲンハイム財団を設立した、ソロモンR.グッゲンハイムの姪にあたる。
Here’s a painting she did of her husband.
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ニューヨークに移る
1941年、メキシコ人外交官レナト・レドックの助けを借り、ヨーロッパを脱出し、ニューヨークに移る。その後、レドックと再婚。
その頃、アンドレ・ブルドンたちが、発行したシュルレアリスム雑誌「VVV」にドローイングや、戦時経験や精神科医院の入院経験を綴った小説「はるか下方に」を発表している。
1950年代、チベットのタントラと禅宗(鈴木大拙とも交流がある)に傾倒する。
1960年代、ニューヨークから、メキシコシティ(メキシコ)移住し、作品の制作を続ける。
1960年、メキシコ国立現代美術館で回顧展を開催。
1963年には『マヤ族の不思議な世界』と呼ばれる壁画制作を、メキシコ国立人類学博物館から依頼される。
1970年代メキシコにおける女性解放運動に参加して活躍する。
1990年代には先住民文化の影響を受けた彫刻作品を制作している。
そこでは、シュルレアリスムの代わりに、戦後に登場したマジック・リアリズム(魔術的リアリズム)や錬金術に関心を持った。
2011年6月25日、メキシコシティの病院で死去(肺炎)、94歳だった。
「私は自分自身を確認するために絵を描いている。誰かに売ることや、評価するために描いたことはなかった。」
次回は、レオノーラ・キャリントン:ポートレイトに続きます。
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