驚くべき視覚的記憶:女性画家スパーホーク・ジョーンズ
エリザベス・スパーホーク=ジョーンズ (Elizabeth Sparhawk-Jones,1885–1968/アメリカの女性画家)
(cc) Market(1905)-Elizabeth Superhawk Jones
自由に描く、その作品は、現代的でありながら真正面から、エネルギッシュなリアリズムだ。その行動の範囲は、フィラデルフィア、ニューヨーク、そして、パリだった。
もう少し加えるなら、1902–1909年、ペンシルベニア美術アカデミー(Pennsylvania Academy of Fine Arts)で学び(MFA-Master of Fine Arts)、トマス・アンシュッツの教え子の1人だった。
その間にすでに、彼女は批評家から称賛され、数々の賞を受賞している。1908年、評論家は彼女を「今年の発見」と呼んでいる。
20世紀の初期に、働く女性の描写に対する認識を通して、「アクションに満ちており、広く自由に描かれている」、また、「女性の仕事にとって驚くべきものである」と賞賛をされた。
オリジナリティと受容性の間をスライドする、彼女の視覚的記憶のイメージを詳細に描いていると言うことだ。
(cc) lizabeth Sparhawk-Jones
略歴 - Elizabeth Sparhawk-Jones
1885年、フィラデルフィアで牧師の娘として生まれる。
1902年秋、17歳でペンシルバニア美術アカデミーに入学した。
その後、トマス・アンシュッツの影響下で、働く女性のリアルな描写をエネルギッシュに描いている。
例えば、デパートをフェミニン(女性らしい)な空間として描き、親しみやすさや快適さを表現しているのだ。
そして、旅や、展示会のリクエストが繰り返されていった。
それは、彼女の仲間である、ペンシルベニア美術アカデミーからの、アシュカンスクール(アシュカン派)の現実主義者がしたように、スパーホーク・ジョーンズはジャーナリズムの方法論での、ゆるい筆致で現代の都市生活の詳細な信憑性を表現している。
1913年、アートシーンから突然撤退している。具体的には、ロバート・ヘンライたち(アシュカン派)から誘われた、アーモリーショー(Armory Show/1913年にアメリカでの「国際近代美術展」-賛否両論だ)の展示会への招待を断った。そして、すぐに入院している。うつ状態だったと言われている。そして、ペンシルベニア美術アカデミーからの流れと言え、アシュカン派からは袂を分けているということだ。都市部(NY)のリアルさを求めるにしても、その視点が違うのだ。
その時も、絵画を燃やしたため、販売可能な作品の数は減少している。(うつ状態が過激な症状な訳ではない、そして、薬物の噂も真相は不明だ)
この間、10年ほどの入院している、回復後、1930年代にアートシーンに復帰している。(話はとぶが、どこか、デニス・ホッパー監督を思い出すのだが復帰できたことが嬉しい)
復帰後は、ドリーマーのような普遍的で詩的な主題を描いている。それは、孤独と内面の世界を描いているのだ。
その作品は、独特の精神力で描いた、オリジナリティある作品群だった。1940 -1950年代にかけて好評を博し、活躍している。
1950年代-1960年代、彼女はパリのチュイルリー庭園(Tuileries Garden)とルーブル美術館の近くのホテルに住み、絵画を描いている。
1968年、没後、妹(アーティスト)が書いた手紙の中で、エリザベスの「驚くべき視覚的記憶」を語っている。
公共のベンチや、デパートの売り場のスペースから、モチーフを精査していると言うことだ。モデル・デッサンは、ペンシルベニア美術アカデミー以降ないのだ。
「私は疲れ果てていたので衰弱(broke down)しました。私はあまりにも短い時間でやりすぎました」と、Elizabeth Sparhawk-Jonesは最期のインタビューで語っている。
そのSparhawk-Jonesの作品は、シカゴミュージアム、メトロポリタンミュージアム、MoMA(ニューヨーク近代美術館)などのアメリカのミュージアムに展示・収蔵されている。
(cc)Elizabeth Sparhawk-Jones, 1910- by Alice Kent Stoddard
(参考文献)Journal of the Association of Historians of American Art 5, no. 1 (Spring 2019)