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東京アダージョ:夏の終わりの川面

東京アダージョ:夏の終わりの川面

世の中には、どう考えても、どう考えあぐねても、どうしょうもない事がある。
況してや子供でもあるし・・・

小学校が終わると、自分とけんちゃんは、2人並んで、ランドセルを背負て帰る。
けんちゃんは、途中の、当時もう、都内では、めずらしかった、茅葺き農家に居た。
いや、その茅葺きの上をトタンで囲って補修した母屋だが、その端の一間に母ちゃんと妹と住んでいた。
その農家の母屋の玄関の側の畑の一角に、コンクリートで、瓢箪型に器用に作くられた、小さな池に、大きな鯉が一匹、入っていた。
友だちのいとこで、農家の本家の中学生のにいちゃんが、作った池だ。

自分は、その池の鯉が、かわいいので、毎日、抱きあげて頭をなでてから、家へ帰って行った。
ある日、その鯉は、弱っていたのだろう、ヨコに浮いていた。

あまりにも、かわいそうなので、抱きあげて、何度も、頭をなでてやった。
ダッコしても、もう、ほとんど、動かないし、・・・
鯉の大きな目がさびし気に自分を見ていた。

しばらくして、
けんちゃんは、
死んだ鯉は、毎日、鯉を抱っこした、ちいちゃんのせいだと言いだした。
「だって、目が可愛かったし、それに、けんちゃんだって、やってたろ・・・・・」
「じゃぁ、多摩川に鯉を取りにいこうよ」とけんちゃんが言った。
「うん、じゃあ、カバン置いて、かあちゃんに内緒で急いで来るからね」

「鯉は、中学生になる従兄弟のにいちゃんが、多摩川で、四つ手で取ったと言っていた」とけんちゃんが言う。
そして、けんちゃんの本家のにいちゃんは、ものすごく怒っているそうだ・・・

二子玉川の河原までは、小学低学年が、歩くは、遠い距離であったが、玉電に乗るお金がないと、けんちゃんが言うので、
2人並んで、歩いて、電車道を通って、二子玉川から多摩川へ行った。
もうすぐ、この電車道も電車もなくなり、地下鉄になるという。

当時は、そのあたりは水深の浅い川だった。そこへ入って、いくら探しても、膨大な河原をくまなく、歩き廻っても、ゴミや、汚れた川に、代わりの鯉は、どこにも、いない。

「ねえ、ちいちゃん、四つ手って、なんだろう。」
川にある何軒かの売店に、四つ手網 100円と書いてあった。
今、自分の持っている50円のお小遣いでは、買えない。
第一、その50円は、来月分もためて、サボテンを買おうと思って貯めいていたのだが・・・
今は、四つ手網のことしか頭になくて・・・いずれにしても、買えない。

とうちゃんのいない、けんちゃんは、おこづかいは、もらっていないと言う。
「わるいね。ちいちゃん、ほんと、ほんとに・・・」
・・・
けんちゃんの目から、急に涙がこぼれだした・・
「そんなこと、けんちゃんのせいじゃないし、いいじゃんかぁ」
「うん」
・・・
・・・
・・・
・・・
ススキの向こうの川面に、夕日がかかってきて、多摩川が、キラキラ光ってきた。


Across the Borderline - Ry Cooder (& Top image)


#短編小説 #プロット #東京アダージョ #夏の終わり


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