近代アメリカアートの道を作った:ペンシルベニア美術アカデミー(PAFA)
ペンシルベニア美術アカデミー(Pennsylvania Academy of Fine Arts:略称:PAFA)
アメリカ合衆国のフィラデルフィアにある美術団体。1805年に設立され、アメリカ合衆国で最も歴史のある美術学校・美術館。
Pennsylvania Academy of Fine Arts
1807年に美術館を開き、1811年に最初の展覧会を開き500点の絵画、彫刻が展示された。
その発起人たちは、71人のフィラデルフィアの市民等だ。
発案は、チャールズ・ウィルソン・ピール(Charles Willson Peale,1741-1827/肖像画家・学者・軍人)だった。
1810年にアカデミーの建物の中で「芸術家クラブ」(Society of Artists)によって、アートスクールが開催される。
初代会長は、ジョージ・クライマー(George Clymer, 1739-1813/政治家-合衆国の建国の父と言われる1人)、その後も格式ある著名人が連なる、ただ、当時については、ほぼ、アートについては専門知識がないということだ。
また、当初は、美術家同士が教えあい、教師のいない状況であった。
その後、火災にあうが、1876年になって再建築され、クリスチャン・シュセーレ(Christian Schussele,1824-1879/フランス出身のアメリカの画家)が初めて、中心核の教授として招聘(しょうへい)された。その時点で、フィラデルフィア博覧会の展示会場のひとつとした利用された。
その1876年には、PAFAの卒業生のトマス・エイキンズ(Thomas Eakins, 1844-1916/パリで学んだ経験も)もPAFAで教鞭をとった。クリスチャン・シュセーレが1879年に没後、その後を継いでいる。
1882年からは、トマス・エイキンズは、校長となる。
そのエイキンズは、女性も入学されるなど、革新的な制度を取り入れた。
ただ、1885年に女性学生のいる混合クラスで男性ヌードモデルを描かせたという問題で解雇される。そして、エイキンズが解雇され、*トマス・アンシュッツ(Thomas Pollock Anshutz、1851-1912/アメリカの画家)が後任の教授となる。
(cc) Pennsylvania Academy of Fine Arts
1811-1969年、定期的に展覧会が開かれ、出典作品をPAFAは購入している。
そのPAFAの卒業生の多くは、全米で、そして、グローバルに活躍しており、近代アメリカのアートに与えた、その位置づけと影響は大きい。それは、次の流れを作り出して、21stの現在形のアメリカ・アートの世界があるからだ。アメリカのアート界において、はずせない教育機関だ。
(註)ほんの一部の事例だが、ペンシルベニア美術アカデミー(Pennsylvania Academy of Fine Arts)で、*トマス・アンシュッツに学んだ学生には、ジョン・スローン、ロバート・ヘンライ、ウィリアム・グラッケンズ、エヴァレット・シン、エリザベス・スパーホーク=ジョーンズ、ジョージ・ルークス、チャールズ・デムス、チャールズ・シーラー、ジョン・マリンらがいる。いわゆる*アシュカン・スクール(アシュカン派)の創設メンバーも多く含まれている。
*アシュカン・スクールとは:アシュカン・スクール(アシュカン派/Ashcan School/ニューヨーク):20th初めの芸術運動で、都市と現代の日常生活についての特定の真実を伝えたいという願望で構成されていた。
組織化しされた芸術運動ではなく、そこには、政治的、非政治的な視点の画家が混在しているような状態だ。
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