Alfred Stieglitz-写真という方法論の確立の要だ!
アルフレッド・スティーグリッツ(Alfred Stieglitz, 1864-1946 US)
写真家、そして、近代における写真という方法論に多くの影響を与えた。
アルフレッド・スティーグリッツは、後継の多くの写真家に大きな影響を与えたことは確かだ。
1946年、ホーボケン(ニュージャージー州)に生まれる
1881年、ベルリンポリテクニック(Polytechnic)で写真化学を学ぶ。写真への動機だ。
1890年、欧州の写真芸術の方法論をアメリカで展開した。
1902年、フォト・セセッション(Photo-Secession-NY)グループを設立する。
同年、機関誌「カメラワーク」(Camera Work)を発行する。(年4回刊行)
*ピクトリアリスム(pictorialism)の旗手となるが、
ただ、後には、*ストレートフォトグラフィに転じた。
1905-1917年、「フォト・セセッションの小ギャラリー」(Little Galleries of Photo-Secession)-ニューヨーク5番街291で開廊した、1908年に「291ギャラリー」改名する。
この当時、写真の画廊として着目される。オキーフの最初の個展も、この291ギャラリーで行われた。
そして、写真以外に、欧州の近代絵画や前衛美術を合衆国に紹介した、いわゆるアートディーラーの枠から離れて、さらに、その功績は大きい。
そして、女性画家ジュージア・オキーフの夫である。そして、そのオキーフを美術界に送り出した。
女性に関しての話は多々あるが、2番目の妻は、オキーフであり、スティーグリッツを最後の最期に看取ったのもオキーフだった。
アルフレッド・スティーグリッツは、近代における写真というメディアのロジックの変革の時期に大きな役割を果たした事、それは確かだろうし、歴史に残る写真とその周辺に介在した人物だ。
(c)Alfred Stieglitz
(註)
*ピクトリアリスム(pictorialism):写真技術の科学者と写真技師は、同様のテリトリーだったが、芸術としての写真を目指す方向性を目指した。この視点は、学際だが、ただ、本来、ダゲレオタイプの時代からも、写真家は画家であった。(肖像画家のカメラ・オブ・スクラの視点)また、その「リンクト・リング」(Linked Ring-London)グループが、著名だ。
*ストレートフォトグラフィ(Straight Photography) :写真を絵画とは、別メディアとして、写真の特性・機能を重視して、写真に新しい表現形式を確立した。主には、合衆国の戦前の傾向かも知れない。