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表象としてのエッフェル塔

表象としてのエッフェル塔を考える
19世紀の最期、当時の万国博覧会は、産業革命以降、国力の指標でもあった。
1889年のパリ万博時に、醜いと言われたエッフェル塔は、いずれ、取り壊す予定で建設された。
だが、電波の発見と放送技術の展開から、ラジオ放送ができ、そして、テレビ放送が確立され、それはパリ市民に不可欠な電波塔となり、その設計者ギュスターヴ・エッフェル(橋梁技術者)のモダーンな設計が理解され、後世に、当時の金属(鉄)の建築物の大きな表象として残ることになる。



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(cc) Processus de conception et de construction de la Tour Eiffel

モーパッサン(ギ・ド ・モーパッサン/Maupassant,Guy de,1850 - 1893/フランスの作家、劇作家、詩人)は、このエッフェル塔の建設に反対であった。しかし、パリ市街のどこからも、このエッフェル塔は、見えてしまう。そのような訳もあり、モーパッサンは、エッフェル塔内のレストランで食事をしたといわれる。
そう、そこでは、彼にとって醜いエッフェル塔は見えないからだ。



そして、そのパリの「エッフェル塔」とニューヨークの「自由の女神」、それぞれの都市のシンボルとなっているが、そこには、奥深い関係性がある。自由の女神像は1886年に完成し、エッフェル塔はその3年後の1889年に完成した。自由の女神がアメリカ独立100周年を記念として、フランス政府から贈られたものであることは、よく知られているが、彫刻家のバルトルデイの造形と、その自由の女神像の鋼鉄の骨組みの設計と施工を担当したのが、エッフェル塔の設計者であるアレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェル(Alexandre Gustave Eiffel, 1832 - 1923/フランスの技師、構造家、建設業家)であったのだ。

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(cc) Alexandre Gustave Eiffel


写真家ケルテース・アンドルの不思議なエッフェル塔

#イメージと文化 #表象文化論

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