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美味なる人生 -食事と文学の関係

 
 
 
【水曜日は文学の日】
 
 
私は食べることが好きですが、食べ物を描いた文章も好きです。以前、食事についてのフィクションも書いたことがあります。
 
 



目の前に実際の食事が無いからこそ、適切な描写があれば、その匂いや美味しさを自由に想像できる。それもまた、小説やエッセイの楽しみの一つだと思っています。




小説に書かれた食事のシーンで、印象に残っているのは、フランスの小説家フランソワーズ・サガンの『悲しみよこんにちは』です。

その冒頭、主人公の少女セシルが、亡き母親の友人、アンヌと一緒にいる場面。


アンヌが顔も上げないので、わたしはコーヒーカップとオレンジを一個持って、ゆったり石段にすわり、朝の楽しみにとりかかった。

まずオレンジをかじる。口じゅうに甘い果汁がほとばしる。続いて、やけどしそうに熱いブラックコーヒーをひと口。それからまた、さわやかなオレンジ。

朝の太陽がわたしの髪をあたため、肌についたシーツの跡を消していく。あと五分で泳ぎに行こう。

河野万里子訳



甘い冷たい爽やかさと、熱い苦みを交互に味わうという、ある意味気取った思春期真っ盛りのセシルのパーソナリティを、どんな内面描写よりも、雄弁に表しています。この二つは、小説の今後の展開を予告してもいます。
 
と同時に、そういう効果抜きに、オレンジとコーヒーという、真逆の魅力の美味しいものを味わってみたい、と思わせる鮮やかさがあります。
 
サガンの小説は、恋愛の虚無的な部分だけでなく、こうした何気ない部分が輝いているのが、好きです。





文豪が書いた食事についての文章を、部分的にでなく、集めて楽しめるのが、『コレットの地中海レシピ』(水声社)です。



 
『シェリ』や『青い麦』で名高い、20世紀初頭のフランスの国民的作家シドニー・ガブリエル・コレットが『ヴォーグ』や『マリクレール』等の雑誌に書いた料理に関するエッセイを、訳者の村上葉氏が纏めた、一冊の薄い本です。




コレットはワインで有名なブルゴーニュ生まれで、地中海を愛し、成功してからはプロヴァンスに家を作って、暮らしていました。
 
そんな彼女が自分の身の回りや、料理(レシピ付き)について語るその言葉から、汐の香りと、葡萄畑の甘い匂いが漂ってきます。
 
そこで簡素に描かれる料理も美味しそう。
 
11時間かけて煮込んだ仔羊のほろほろ崩れる煮込み、川鱒のふわふわソース添え、トリュフや半熟卵の赤ワインソースがけ等、素朴だけど、深い味わいが伝わるような料理ばかりです。




その中で印象的なのは、「牛乳とネギとジャガイモのスープ」です。レシピの横にこんな短い文章を添えて。



あの時代、わたしの子供の頃、田舎は粗食に甘んじていて、いろんなお祭りの日のごちそうにも縁がなかった。

わたしのごちそうの牛乳のスープは、おさとうと塩とコショーの入った牛乳に、出来立てのバターとトーストしたパンをうかべる。

あのスープがなによりおいしいとおもう気持ちはいつも変わらない。

村上葉訳


大人から見れば粗末な食事でも、子供の時には信じられない程美味しく感じられた経験は、きっと誰にでもあるでしょう。

そんなシンプルな味わいが蘇ってくるように感じるのは、コレット自身、子供の頃を大事に思っているからなのでしょう。


フェルメール『牛乳を注ぐ女』
アムステルダム国立美術館蔵




子供の頃の美味しい料理の思い出の文章で、私が覚えているのは、池波正太郎のカツレツについてのエッセイです。
 
岡田哲の『明治洋食事始め』(講談社学術文庫)で引用されていた『むかしの味』(1984年)という文章で、昭和初期のカツレツについて書いています。


豚肉にコロモとパン粉をつけ、油で揚げたポークカツレツは、子供のころの私たちにとって、最大のご馳走だった。

浅草の下町にあった我家でも一年のうちに何度か、同じ町内の洋食屋からカツレツを出前してもらうことがあった。その小さな洋食屋の名は、たしか「美登広」といった。

(中略)

「美登広」のポークカツレツは、ロースの薄切りを何枚か重ね、丹念に包丁で叩く。だから子供の口にも年寄りの口にもやわらかかった。

出前は娘が受け持っていて、「毎度どうも」と、岡持ちの蓋を開けると、サラとサラの間にワクをはさんだ料理と、小さなソース壜を取り出す。それを見つめているときの胸のときめきは、いまも忘れない。

岡持ちの中から、ぷうんとラードの匂いがただよってきて、おもわず生唾をのみこんだものだ。


そして、そのカツレツについて
 

ソースをたっぷりとかけて、ナイフを入れると、ガリッとコロモがくずれて剥がれる。これがまた、よいのだ。

コロモと肉とキャベツがソース漬のようになったやつを、熱い飯と共に食べる醍醐味を、旨くないという日本人は、おそらくあるまい
 


と書いています。
 
幼い頃の、美味しい特別な料理を食べる時の、あのワクワクした気持ち。まさに生唾を呑むような、その気持ちが伝わってくるからこそ、その食感について語る描写から、匂いと味が立ち上ってくるかのようです。





そういえば、今タイトルを思い出せないのですが、手塚治虫のエッセイに、少年時代、ビフテキ(ステーキ)を、初めて一人でレストランに食べに行った時の思い出を書いたものがあったと思います。
 
レストランのボーイとの微笑ましいやりとりもいいのですが、大きなビフテキを一生懸命フォークとナイフで切って食べながら、何度もボーイに水をお代わりしていたという箇所が、不思議と印象に残っています。


緊張も相まって、そのステーキの辛さと塩気が、読んでいるこちらに伝わるようでした。




そんな美味しさを伝える料理の名エッセイで挙げたいのは、石井好子の『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』です。



 
フランスに留学経験のあるシャンソン歌手が、下宿先のマダムが作ってくれたバターたっぷりのオムレツや父親の食べていたポーク・ビーンズのような思い出話から、自身のレシピまで、柔らかい口調で語るエッセイ。
 
1963年に書かれただけあって、今となってはお馴染みの料理、例えばチーズフォンデュを丁寧に紹介しているのも面白い。当時の人は食べたことのないその食感を想像して、文章を読んでいたのでしょう。
 
そんな冬の「鍋料理」の一つとしてこんな思い出も語ってくれます。

長いことパリで楽屋生活をしていたけれど、寒いころの夜食といえば「グラティネ」と決まっていた。

グラティネとはグラタンのことで、玉ねぎのグラタンスープの通称だ。

夜中おそく仕事が終わってお化粧をおとして、厚い外套に頬をうずめ、木枯らしの吹く表通りに出る。

「グラティネたべていかない」

誰か一人がそういえば、皆賛成して、まだ灯のついている角のキャフェへぞろぞろと入ってゆく。

巴里の安キャフェのグラティネは、どんぶりのような瀬戸の焼きなべの中で、まだぐつぐついっているのを、テーブルまではこんでくる。

冷たくひえた白ブドー酒の一杯と、この熱い熱いグラティネ。スチームであたたまったキャフェの中は、人いきれと煙草の煙でむんむんしている。

仕事がすんでほっとくつろいで、気持も明るく、くだらないおしゃべりをしながら食べたグラティネの味は忘れられない。


この「グラティネ」は、今でいうところの「オニオングラタンスープ」です。
 
今となっては、なんてことのない料理だけど大切な仲間と一緒に食べるからこそ、美味しく思えるのは、やはり多くの人が感じたことがあるでしょう。そんな、読む者の思い出を刺激してくれる、それ自体がごちそうのようなエッセイ集です。




ブリア・サヴァランは『美味礼賛』の中で、「何を食べてきたのか、言ってごらん。貴方がどんな人間かあててあげよう」と書きました。
 
広く人口に膾炙した言葉ですが、そこに真理があるのは間違いありません。食べることは、生きることに繋がっています。
 
それは、自分以外の人間との関わりでもあり、人と触れ合った記憶があるからこそ、食事も美味しく感じて、いとおしく思い出す。
 
食事を美味しいと感じることは、本当によく生きたと実感することでもあり、それゆえに、その喜びを書いた文章は、生きる喜びについての文章でもあるのでしょう。

そんな、美味な人生のかけらを、色々な小説やエッセイから拾い集めてみるのも、文学の喜びの一つでもあるように思えるのです。



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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