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豊かな色の田園 -コンスタンブルの絵画の美しさ


 
 
※月曜が月末の為、絵画エッセイの代替です
 
 
風景画というのは、静物画以上に、ある種の型が決まっています。つまり、空と大地と山々と木々と。それゆえに、全体のトーンもそうですが、構図や構成の面でも工夫を必要とします。
 
イギリスの画家コンスタンブルが残した風景画は、緊密な構図や濃厚なタッチも併せて、今もなお美しいと感じさせる、優れた田園風景画です。




ジョン・コンスタンブルは、1776年、イギリスの、サフォーク生まれ。のどかな田園地帯であり、イギリスの豊かな自然を吸収して育ちます。ちなみに、後に良きライバルとなるターナーは、1歳年下です。
 

ジョン・コンスタンブル


絵画に興味を持ち、24歳で、ロイヤル・アカデミーの美術学校に入学。しかし、彼が得意としていた風景画は、神話画や歴史画、肖像画と比べて、当時もっとも地位の低いジャンルでした。
 
生活にも苦労し、33歳の時に幼馴染のマライアと恋仲になるも、結婚を反対されます。何とか結婚にこぎつけたのは、7年後でした。
 
結婚後は、ロイヤル・アカデミーの会員を目指すためもあり、ロンドンを中心に活動しますが、当時はまだ珍しかった戸外での制作による風景画作成は続けます。そして、サイズの大きい風景画も手掛け、徐々に名声も高まっていきます。
 
52歳の時、最愛の妻を亡くすも、53歳で念願のアカデミー正会員となります。1837年、61歳で亡くなっています。


コンスタンブルによる妻の肖像画
テート美術館蔵




コンスタンブルの風景画の特徴は「バランスの良さと濃密さ」だと思っています。
 
とりわけ、構図の美しさは素晴らしい。画面の上半分を占める空と入道雲に、中景の森や農家、川や湖が重なり、前景の道や人物へと、スムーズに折り重なる、重厚な風景。そして、画面の端でそれらのレイヤーを一つに繋ぎとめる、一本の木。

 

『フラットフォードの製粉所』
テート美術館蔵


代表作『フラットフォードの製粉所』や『乾草の車』は、そうした彼の構図の美しさが見事に表れた傑作です。

レイヤーの配置と繋ぎ方はかなり複雑です。彼の画集を眺めていると、題材としてはどれもただの田園風景なのに、一つ一つ味わいが異なり、飽きることがありません。
 
それは、彼の風景のレイヤーが、かなりはっきりと分かれていることにもよります。

パノラマで多くの要素があるにもかかわらず、ごちゃごちゃした印象を受けず、結構すっきりした感じもある。各レイヤーがちゃんと主張し合って、画面に奥行きをもたらしているように思えます。
 
おそらくはそこに、タッチや色彩も影響しているのでしょう。彼は生涯厚塗りで、勢いを持った筆致であり、同時に濃厚な色彩があります。


『トウモロコシ畑』
ロンドン・ナショナルギャラリー蔵


濃い緑の木々や赤茶けた大地には様々な階調があり、水色の空とくっきりとした対照をなしています。川のきらめきを表すために、白と黄色の点描を混ぜるといった工夫もあり、画面に更に立体感が出てきます。
 
例えば17世紀のオランダ黄金時代の風景画と比べると、より鮮やかで、リアルな感触がある。勿論、そこにはイギリスとオランダの自然の違いもあるでしょうが、コンスタンブルの独自のモダンさと考えていいと思います。


『ストラトフォードの製粉所』
ロンドン・ナショナルギャラリー蔵




こんな「イギリス的」な風景を描くコンスタンブルですが、同時代のイギリスではそこまで高く評価を受けず、フランスで高く評価されていたのが面白いところです。
 
とりわけ、ドラクロワやジェリコーといったロマン主義の画家たちはこぞって絶賛。例えば『乾草の車』は、ロイヤル・アカデミーに出品されても全く話題にならず、買い手もつかなかったのですが、3年後の1824年、パリのサロンに出品されると大評判となり、なんと金賞をとっています。

 

『乾草の車』
ロンドン・ナショナルギャラリー蔵


おそらくは、コンスタンブルの持つ、理想化されていない荒々しい風景、それでいて崩されない調和といったモダンな部分に、従来のフランス・アカデミーの柔和な表現から脱却を目指していたドラクロワたちが惹かれたのでしょう。
 
それにしても、理想化された田園風景を描くフランスのクロード・ロランの絵画が、イギリスのターナーに強く影響を与え、コンスタンブルがロマン主義のドラクロワらに影響を与え、ターナーとコンスタンブルが揃って、後のフランス印象派に影響を与えたのは、改めて興味深い現象です。優れた芸術家は、自分から遠い場所の表現を身に付ける時、革新に近づくのかもしれません。


『ウォータルー橋の開通式』
テート美術館蔵




そのターナーとコンスタンブルの関係も、独特なものがあります。

1歳違いですが、まだコンスタンブルが、ロイヤル・アカデミー美術学校に入学したての頃に、26歳でアカデミー正会員になったターナーは早熟の天才であり、53歳でようやく正会員になれた遅咲きのコンスタンブルとは対照的です。
 
そして、コンスタンブルが生涯厚塗りの田園風景を変えなかったのに対して、ターナーは光の効果を追求し、段々と画面が溶けて、光と色彩だけに還元されていくような感触になっていきます。


そこには、豊かな自然の田園地帯で過ごした少年時代があるゆえ、風景画のあらゆるヴァリエーションを創り出すことに絶対の自信を持つコンスタンブルと、ロンドン生まれロンドン育ちで、当時最先端の文明や都市の感性を持っていたターナーの違いが表れている気がします。
 
ちなみにターナーはコンスタンブルを意識しており、展示会でコンスタンブルの色彩豊かな大作と並べられると知ったターナーは、船の航海を描く自身の絵画に、展示前日に真っ赤なブイを描き入れました。コンスタンブルは「ターナーがそこで、銃をぶっ放していったよ」と後に話しています。


ターナー
『ヘレヴェーツリュイスから出港する
ユトレヒトシティ64号』
東京富士美術館蔵
上記の『ウォータルー橋』と並ぶため
前日に描き加えられたブイが下方に見える




コンスタンブルの絵画は、何層にも重ねられた豊かな田園風景です。ターナーと対照的でありつつ、その濃密さと緊密さは、実はターナーと同様、古典的に見えてある種の過激さをも秘めているように感じます。
 
彼の絵画が多くの画家に影響を与えていることを含めて、是非その豊かな風景画を味わっていただければと思います。



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