柔らかい静寂の心地よさ -シャルダンの絵画の魅力
【月曜日は絵画の日】
静物画とは、表面上劇的な意味がないゆえに、ある種のトーンが重要になる絵画です。
18世紀の画家シャルダンが残した静物画や一連の風俗画は、そうしたトーンの良さによって、今でも輝きを放つ、優れた絵画のように思えます。
ジャン・シメオン・シャルダンは、1699年、パリ生まれ。王室ご用達の家具職人の息子として生まれます。小さい頃から画家に憧れて修行するも、サロンやアカデミーと言った華やかな舞台とは無縁の制作活動が続きます。
しかし、29歳の時、静物画『アカエイ』が注目され、卓越した技量により、静物画家としてその年にアカデミー正会員となります。かなりの遅咲きです。
遅筆で有名で、しかも静物画家は、神話画家や肖像画家より遥かに地位が低いため、正会員にもかかわらず、生活には大変苦労して、貧窮のうちに最初の妻を亡くします。
しかし、徐々に庶民を描いた風俗画も手掛けるようになり、『食前の祈り』をルイ15世に献上して、絶賛されます。45歳で再婚し、地に足を付けて、サロン向けの静物画制作も再開していきます。
真面目な性格から、アカデミーの会計官も務め、また、円熟味を増した静物画は、王侯貴族から多くの注文を受け、静物画家として異例の成功を収めます。
晩年は、ローマ賞を受賞した画家で息子のピエールを自殺で亡くす等、不遇な状況にもありました。しかし、パステル等での制作も続け、1779年、80歳で亡くなっています。
シャルダンの絵画でまず重要なのは、卓越した静物画です。
同時代に黄金期を迎えていた、17世紀オランダ・フランドルの静物画に大きな影響を受けているのは間違いありません。金属鍋の反射が見えるくらい克明な物体の描写、暖色でまとめる色彩感覚のバランスの良さ、物の配置による構図の安定感等。
ただ同時に全体的な雰囲気と言うか、ある種のトーンが少し違うようにも感じます。
オランダ絵画が、執拗に磨き抜かれて輝く厚塗りの、時には狂気すれすれの細かい描き込みを行うのに対して、シャルダンの静物画は、描き込みは丁寧なものの、全体的にふんわりとした雰囲気で、仄かに光を帯びているような柔らかいトーンがあります。
オランダ静物画の場合、プロテスタント圏で、合理的な精神を持つ商人たちが力をつけていた国であったゆえ、太古の神話はそれほど重視しないけど、「モノ」それ自体に対してフェティッシュな熱量が籠っているように感じられる時があります。
その熱量が、机から溢れ出るかのように詰め込まれた、多種多様な物体の圧力や、細かすぎるシンボル化(骸骨・時計等)に繋がっていく。
それに対して、カトリック圏のフランスのシャルダンの場合、「モノ」よりも、人が動く物語(神話画)を第一とするため、描かれる静物への距離感が程よく、全体が穏やかな雰囲気を持っているように感じます。
それにしても、神話画が最高とされている場所で、これだけ静物画を残すのは、強い信念がないとできないことです。人は、他人から評価されるものに流されがちだからです。
そこには、家具職人だった父親譲りの、職人としての誇り、実直さ、仕上げを怠らない完璧主義といったものを感じます。また静物画自体、家具のように、周囲に溶け込むような絵画という印象も受けます。
と同時に、彼は決して時代から隔絶していたわけではありません。
シャルダンが活躍したのは、ルイ15世時代の、ロココ華やかかりし頃。
ロココを代表する画家で、その華やかさと軽薄さで、ディドロに「乳房と尻を描くことしか興味のない男」と評されたブーシェは同僚です。
また、ブーシェの弟子でロココ後期を代表するフラゴナールは、最初はシャルダンに弟子入りするも、あまりに厳格で高度な訓練に、すぐに音を上げています(フラゴナールは二十代でローマ賞を獲れるくらいの才能の持ち主だったのですが)。
こうしたロココの空気感は、確実にシャルダンの絵画、特に風俗画に現れています。
代表作『食前の祈り』のような清潔な母親、愛らしい女の子といった題材の作品は、甘美なセンチメンタルさがあり、カトリシズムの倫理観に忠実というよりも、ロココの優美さと少女趣味を示しているように思えます。
また、庶民を描いたと言っても、いずれも小奇麗な衣服を纏っており、17世紀オランダ風俗画の、竈の煙のにおいまで感じられるかのような、生活感あふれる情景とは違います。
ロココの爽やかな香水を一振りかけて、画面全体に清涼感が漂っているかのような、そんな感触があるのです。
そうした清涼感は、実は後期の静物画にも、影響を与えている気がします。
オランダ静物画のようにモノに象徴を込めたりしない、ただ、心地よい家具のように、モノそれ自体の美しさを味わうこと。
シャルダンの静物画は、特に後期は3,4種類の静物を並べただけで、一つ一つがはっきりと存在感を持ち、なおかつ背景の色彩と調和しています。
そうした調和は、美しい人生の喜びを描く、ロココ精神の表れとも言えるでしょう。
シャルダンは、時代のメインストリームから、題材的・技法的に距離を置くことで、独自の絵画を確立することが出来ました。
オランダ静物画のような冷たい即物性とマニエリスティックな象徴性でもなく、ブーシェのような軽薄な豪奢さでもない、暖かみとほんの少しの華やかさを帯びつつ、全体は静寂にまとまった絵画。
その柔らかい静寂は、流行に乗らない、普遍的な美として、今もなお仄かな光を放っているように思えるのです。
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