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幽玄な静謐さ -ブルース・コバーンの音楽の魅惑


 

【金曜日の音楽の日の代替です】
 

ギターを弾くシンガー・ソングライターの中には、ギター1本と歌声で、時にはオーケストラ以上の、深遠な音楽を紡ぎ出してしまう人がいます。
 
カナダのシンガー・ソングライター、ブルース・コバーンはそんな簡素で深甚な音楽を産み出せた、素晴らしいミュージシャンです。




ブルース・コバーンは、1954年、カナダのオタワ生まれ。小さい頃は聖歌隊に参加しつつ、ジャズも愛好しています。高校卒業後、ミュージシャンになるために渡欧し、パリでバスキングをしていました。

 

ブルース・コバーン


その後、ボストンの名門バークリー音楽大学に入学しジャズの作曲を学ぶも、方針に疑問を持ち、中退。

故郷のカナダに戻り、バンド活動をするもこちらも長続きせず。ソロ活動をすることを決意し、1970年、インディレーベルから、アルバムデビュー。
 
これが高く評価され、コバーンはシンガー・ソングライターとして歩み始めることになります。




彼の作品で私が好きなのは、何といっても、初期の二作。2枚目のアルバム『ハイ・ウインド、ホワイト・スカイ』(1972年)と5枚目のアルバム『ソルト、サン・アンド・タイム』(1974年)です。
 
『ハイ・ウインド、ホワイト・スカイ』は、モノクロの雪景色のジャケットが美しい。1曲目の『ハッピー・グッド・モーニング・ブルース』の細かいギターの調べと優しい歌声で、イメージ通りの音楽が溢れ出します。



 
ギターの硬質な響きが雪世界の澄んだ空気を醸し出します。メロディも、単純なフォークではなく、複雑なコードを使い、どこか憂鬱でありながら浮遊した感覚があります。
 
そこに簡素な日常を歌う歌詞と柔らかい声が合わさって、幽玄な世界が立ち上るのです。




 
9曲目は歌無しのインストですが、ギターの変幻自在なピッキングに、シロフォンのふわふわした響きが絡み、銅鑼のような音色も聞こえてくる、異様な曲。

幽玄な雰囲気はそのままに、冷え冷えとしたエキゾチズムとでもいうような、無国籍な空気があります。
 
まさに雪の中の静寂な空気が、そのまま歌になったような世界です。


『ハイ・ウインド、ホワイト・スカイ』
ジャケット




このアルバムが冬の世界だとしたら、『ソルト、サン・アンド・タイム』は、『潮、太陽と時』というタイトルとジャケット通り、夏の世界です。
 
一曲目の『オール・ザ・ダイアモンド』から、まるで海のさざ波のようにギターのアルペジオが響きます。
 
陽光を浴びる昼下がりのような気怠い曲や、サラッと弾いた小品もあれば、夏の夕立のような、奇妙な響きに包まれたインストもあります。一つの空気に染まることなく、多彩な夏と海の風を味わえるような作品になっています。


 
このアルバムについて、コバーンは、「ジャンゴ・ラインハルトに夢中になっていた時期の作品」という言葉を残しています。
 
ロマの音楽を基に、特異なギター奏法で、ジャズにとどまらないエキゾチックな音楽を産み出したギタリストは、確かにこの時期のコバーンに似ています。
 
ジャズに影響を受けておりながら、正当なジャズではなく、ジャジーな雰囲気のしなやかな音楽という意味で、深いところでの音楽のありようが共鳴しているのです。





ただ、コバーンはこうした雰囲気のみを描く詩人ではないのが、面白いところです。
 
コバーンは元々旅をするのが好きで、世界の色々な場所を旅しています。1980年のアルバム『ヒューマンズ』には、『トーキョー』という、まさにこの都市の印象を描いた曲もあります。
 



そして、80年代初め、中米諸国を訪れ、その深刻な紛争や搾取を目の当たりにして、彼の音楽は変わります。旅を愛し「変化に恋しているんだ」と語る彼は、躊躇うことなく音楽性を変えていける人です。
 
曲はよりポップに、響きは80年代的なやや攻撃的なものになり、歌詞は大企業や国際組織を糾弾する怒りに満ちた作品になります。




IMF(国際通貨基金)の腐敗を糾弾した『コール・イット・デモクラシー』は、「非アメリカ的」ということで、MTVでは放送禁止になります(本人曰く「非アメリカ的だって? 当り前じゃないか、僕はカナダ人なんだから」とのこと)。
 
しかし、この時期のパワフルな歌は、その中でも過激な『イフ・アイ・ハド・ア・ロケットランチャー』をカヴァーしたU2のボノにも大きな影響を与えています。
 
そうした傾向は2003年の『ユーヴ・ネバー・シーン・エヴリシング』で頂点を迎えます。80年代的な大仰な響きは消え、複雑かつソリッドな音響、そして黙示録的な歌詞が支配するこの作品。

 
「あなたはまだ全てを見ていない」というタイトルとジャケット通りの、強烈な終末的ヴィジョンを描く傑作です。





正直なことを言えば、80年代以降のコバーンの作品には、どうしてものめりこめないものはあります。直接的な怒りに満ちた歌詞はいいとして、何よりも、音響がかつての繊細さを失っているように思えます。
 
とはいえ、80年代というのは、シンセサイザーやドラムマシーンの大仰な響きが一世を風靡した時代。

繊細な音響を大事にするシンガー・ソングライターにとっては、受難の時代でした。ジョニ・ミッチェルも、ボブ・ディランも、質的に厳しい作品がいくつかあります。
 
コバーンは、そこをエネルギッシュに駆け抜け、自分の知らない世界に誠実に向き合うことで、パワーを失わずに済みました。そして年齢を重ね、かつての幽玄さも徐々に戻ってきたように思えます。




2019年の『クロウイング・イグナイツ』は、全編が歌詞無しのインストアルバム。これが、70年代のアルバムのインストにあったような、エキゾチックでひんやりした素晴らしい響きの世界になっていました。


と同時に、昔の謎めいた霧のような曖昧さは薄れ、明晰でくっきりとした輪郭も持っています。それは様々な場所を旅して、成熟して人間味を得た彼の今の境地なのでしょう。
 
かつての迷宮のような幽玄さとは違っても、そこには無国籍で静謐な美があります。
 
コバーンは現在70歳。老境に差しかかり、これからどのように変化していくのか、楽しみなところです。そんな彼の素晴らしい音楽世界に、是非触れていただければと思います。



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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