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【レビュー・批評 #1】時の蝶が微笑む クリスチャン=ツィメルマン ピアノソロコンサートレポート

2023年12月2日、横浜みなとみらい大ホールで開かれたクリスチャン=ツィメルマンのピアノコンサートに行ってきました。

バタバタしながら直前にチケットぴあでチケットを取った時は気づかなかったのですが、なんとうまいことに、ホールの左側の席。ピアノコンサートにおいて、ホールの左側は丁度ピアニストの手元が見える席です。絵画のようにばっちりと決まった構図で弾く彼の姿を見ながら、素晴らしい音楽を堪能することが出来ました。

私はそもそも普段あまりピアノのコンサートに行くことがない(多分7,8年くらい前に来日したピエール・ロラン=エマールのコンサートくらい)人間ですが、とてもよかったので、是非その姿を書き留めておきたいと思いました。

ロマンチックな旋律で有名なショパンの夜想曲第2番変ホ長調(Op.9-2)から演奏会は始まりました。殆ど陳腐化しているほど人口に膾炙したこのメロディを、ツィメルマンは、もったりと溜め込むことなく、さらりと弾いていきます。そこから、夜想曲が抜粋で4曲続きます。

まず思うことは、とにかく、高音の響きが美しいということ。柔らかい残響の中から、澄んだ色とりどりの氷のような高音の打音が突き抜けてくる。それでいて耳障りに響くことはなく、あくまで自然に柔らかいリバーブの中に溶け込んでいるようです。ツィメルマンはピアノの調律も自分でできる演奏家であり、ピアノを弾くだけではなく音楽そのものを構築する意志がはっきりと感じられます。
 
この4つの夜想曲では、低音はそれ程強調されず、うまい具合に高音と絡んでいくくらいでした。そのおかげで、あくまで柔らかい響きの中での清澄なショパンという印象になりました。これは、周到に計算されて抜粋されたものなのでしょう。というのも、次のピアノソナタ第2番変ロ短調 『葬送』(Op35)では、一転して、左手での低音の強烈なうねりが聴けたからです。

低音が曲を引っ張って、パワフルに推進していきます。先程の高音の響きは消え、低音のグシャっとした響きが、全体を支配します。といっても、不快でも耳障りでもなく、地獄の底の蓋が開いてしまったような深甚な漆黒の表現でもありません。低音の鳴りが、鮮やかな影模様のように広がって、曲の美しさを見事に表していました。
 
休憩を挟んで、ドビュッシーの『版画』は、休憩後のやや弛緩した空気で始まりました。ここで気になったのは、低音がやや強いのでは、ということ。私の大好きなピアニスト、サンソン=フランソワなら、もっと酒脱に、時折強烈な異国情緒を匂わせて、と、曲の呼吸に合わせて表情を変え、それがドビュッシーにぴったりと嵌っているように感じられるのですが、ツィメルマンのドビュッシーはそうしたものを感じさせません。

素早いアルペジオも、ガムラン風のドローンから零れる美しいメロディも、まさに純粋な音響。低音もよく響きます。その分、音の建築を超えた幻想までは顕現させてくれないように感じました。もっとも、これは欠点ではなく、ツィメルマン本人の志向であり、彼独自の表現と考えるべきでしょう。
 
その分、シマノフスキ『ポーランド民謡の主題による変奏曲』は、ツィメルマンの表現が音楽に合っているように聞こえました。私は初めて聞いたのですが、ツィメルマンの同郷の、乱暴に言えば国民音楽楽派の時代の作曲家の作品です。自国の民謡を取り入れている割には、あまり土俗的な感じを抱かせず、かなりモダンな処理を施されています。

ブラームスやドヴォルザークのように、地ビールのような濃厚で芳醇な民族風味を聞かせるのではなく、蒸留されたウォッカのようにぴりっと引き締まって雑味のない味わいです。
 
その雑味や土着性のない音響的な感覚が、ツィメルマン自身の志向と非常に親和性をもっています。低音と高音が次々に交錯し、轟音の低音連打からふわっと抜ける箇所では、急に海の底から引き揚げたかのように、観客を沈黙に導きます。高音のトリルの鋭さは、ショパンの演奏の時にはなかったもので、背筋に電撃が走ったように感じました。これは、間違いなく、録音よりもライブ演奏で効果的に映える曲です。恐らく作曲者も、ライブで観客を惹きつけることを考えて書いたのでしょう。今日一番の喝采を浴びて、素晴らしい一夜となったのでした。
 
そして、ツィメルマンの人柄が時折感じられたのもよかったです。演奏を力強く終えた際の右腕をだらっとさせるポーズといい、終演後、にこやかに四方の観客に軽く手を振る姿といい、エキセントリックな芸術家を演じるわけでもなく、観客に媚びるわけでもなく、自然体のまま巨匠となっていることを楽しんでいるように見えました。

折り目正しい職人的な芸術家であり、ごく控えめなエンターテイナー。だからこそ、観客は音楽の良さを十分に堪能することができる。私はいわゆる破滅型の芸術家も好きですが、ツィメルマンのように、余計な幻想に囚われずに、長年真面目に研鑽して芸を磨き上げた、職人肌の巨匠もまた本当に素晴らしいものだ、と心から思えるコンサートでした。
 
ショパンの夜想曲の3曲目あたり、右手だけ動く部分で、左手をひらっと翻すような仕草が何度から見られました。彼は過去に、ショパンのピアノ協奏曲第1番・第2番を自身の指揮とピアノソロで演奏した名盤をグラモフォンから出しているので、指揮経験もあります。それゆえ、無意識に自分自身を指揮して、音楽を推進させようとしていたのかもしれません。

あるいはそれは、彼の意図を超えて、音楽から抜け出た一羽の蝶が彼の左手にそっと宿って、微笑と共に、彼と観客を音楽の中へ導いていったのかもしれません。それはおそらく、本当にごく一部の芸術家にしか現れないものなのでしょう。

髭面の優男風の青年から、60代後半になり、体型はやや丸みを帯びたけど、不摂生で崩れているわけではなく、真っ白く輝く髪と髭の美しく輝く老紳士になったツィメルマン。そんな彼のひたむきな研鑽に対する音楽の恩寵こそが、彼のコンサートであり、それを味わうことのできた幸福な一夜でもあったと言えるでしょう。

今回はここまで。お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も、読んでくださった皆さんにとって善い一日でありますように。
次回のレビューでまたお会いしましょう。


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