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古代の風で揺れるドレス -フォルチュニの芸術を巡る随想


 
しばしば新しいものは、古くて時代遅れのものから生まれます。それも、何でも古ければいいというものではなく、ある種の普遍性を持ちつつ、その組み合わせは新鮮でないといけません。
 
19世紀末のヴェネツィアのデザイナー、フォルチュニが手掛けたドレスは、その独特な形態は古典的でありつつ、様々な意味で現代的な「軽さ」も備えた大変ユニークな存在です。


フォルチュニが手掛けた
デルフォス


マリアノ・フォルチュニは、1871年、スペインのグラナダ生まれのスペイン人です。父は画家、祖父はプラド美術館の館長という、美術一家の生まれであり、幼い頃から絵画だけでなく、中東や東洋の美術にも囲まれて育ちます。そして、後にフォルチュニのドレスを作中で印象的に引用する小説『失われた時を求めて』を執筆するプルーストが同じ年に生まれています。
 

マリアーノ・フォルチュニ


幼い頃父親が没し、父の跡を継いで画家として修業。一家はパリ、ヴェネツィアにマドリードと、ヨーロッパ中を旅行しています。そして、最終的にはヴェネツィアに移住します。
 
当時流行の印象派には目もくれず、古いアカデミックな画風でありつつ、写真に凝り、1892年にはバイロイトでワーグナーのオペラ『パルジファル』を鑑賞して、それを題材にした絵画で美術展で金賞を獲ったりしています。そして同時に舞台装置や美術、衣装も手掛けることに。
 
1907年、後の妻となるアンリエットの発案で、古代ギリシャの衣装に霊感を得たドレス『デルフォス』を開発。たちまち評判を呼びます。
 

デルフォスのプロトタイプをまとった
アンリエット


工房ではドレスのみならず、ジュエリー、舞台用の装置も開発され、ロンドンやパリにも店舗を構えるも、本人はヴェネツィアを中心に活動していました。1949年、78歳で死去しています。




フォルチュニは何と言っても、その古代風のドレスで現在記憶されています。とりわけ『デルフォス』は、全体にプリーツのついた柔らかい布地の優美なドレスです。
 
アルカイックでありながら、シンプルでモダンでもあり、流線型の形態が、身体のラインを浮かび上がらせる。仏文学者の山田登世子は、著書『都市のエクスタシー』の中で、フォルチュニのドレスと出会った思い出を語りながらこう表現しています。
 

光沢のある絹の刻む布襞は海の波を思わせて、見る者をはるかな想いに誘う。アドリア海から生まれた美しい水の衣装。


デルフォス


 
あるいは、フォルチュニの衣装を永遠に刻んだのは、プルーストの『失われた時を求めて』でしょう。第五編『囚われの女』の中で、こんな風に描いています。
 

フォルトゥニのドレスも、古い時代に忠実でありながら、独創性が強く(中略)舞台装置よりもはるかに大きな喚起力でもって、ヴェネチアを、あのオリエントに満ちあふれたヴェネチアを出現させていたのであって、そのヴェネチアでかつて着用されたと思われるそのドレスは、サン・マルコ聖堂の聖容器棚の聖遺物にもまさって、ヴェネチアの太陽と、その町の周辺をターバンのようにとりまいて町の断片的な、神秘な、補色をなすものとを、喚起していた。

井上究一郎訳


この中で語り手はフォルチュニのドレスを、憧れのゲルマント大公夫人が着ているのを見ており、恋人のアルベルチーヌも欲しがり、彼女に買い与える等、上流階級では大流行していることが分かります。そして、その衣装は語り手に更に幻想を与えます。
 

ちょうどその晩は、アルベルチーヌがフォルトゥニの青と金のガウンをはじめて着たのだった。

(中略)

自分ではまだヴェネチアを見ていなかったとはいえ、私はたえずそこを夢見ていた。まだ幼いときに過ごしに行くはずだった復活祭の休み以来、いや、もっとまえの、スワンがコンブレーでかつて私にくれたティツィアーノの版画やジョット―の写真を通して、たえずそこを夢見ていた。

その晩アルベルチーヌが着ているフォルトゥニのガウンは、その未見のヴェネチアへと私を誘う幻影のように思われるのであった。

井上究一郎訳

 
この後実際に語り手はヴェネツィアに旅行に行くことになるわけで、物語を変える重要な小道具として、流行を示す風俗描写以上の地位を与えられています。それは、フォルチュニの衣装が持つ独創性、濃密な古代の香りを漂わせる美に因るとも言ってよいでしょう。


ジャケットを羽織らせたデルフォス(1920年代)
より古代風味が増した感触


しかし、フォルチュニのドレスは、色々な意味で、流行からは、ずれています。
 
ポール・ポワレ(フォルチュニとは友人でした)や後のクリスチャン・ディオール、ココ・シャネルといったデザイナーの衣服のように、流行を創り出して「モード」として消費されるのを前提としたものではありませんでした
 
いみじくもプルーストが先の小説の別箇所で「本物の古代服ではなく、いまの女たちがそれを着るとちょっと仮装舞踏会風に見えるきらいがある」と的確に書いているように、どこか限定されたハレの場に着ていくか、アルベルチーヌのように親密な場でのリラックスした普段着とするかであり、社交やパーティの場で消費するには、まさに仮装になってしまい、ちょっと空気が重たい。
 

デルフォスのガウンを着た女性の写真


それは、フォルチュニがそもそも、デザイナーとして出発したのではなかったことが大きな原因でしょう。
 
フォルチュニ自身、店舗を構えて時折雑誌に広告を載せるくらいで、ポワレや現代のクチュリエたちのように、パリで大々的なオートクチュールを開いて、派手なプロモーションを打ったりしませんでした。
 
フォルチュニは本来画家であり、舞台を含めた総合的な芸術家であり、服とは、舞台装置の一環として劇の時空を立ち上げるための小道具である、という位置づけが、どこか無意識にあったようにも思えます。


フォルチュニが製作した
舞台装置の設計図とその写真


それゆえに、同時代の他のドレスにはない独創性を持つようにもなりました。
 
以前フォルチュニの展覧会についての記事でも書きましたが、私が展覧会で一番衝撃を受けたのは、デルフォスを仕舞う「箱」でした。それは、15センチ四方の何の変哲もない紙の小箱で、そこに小さく折りたたんでドレスを入れることができるのです。
 

こちらは缶型のボックスに入った
デルフォス


バッスルやコルセット等で芯を作らない、柔らかい素材のために折って入れることが可能であり、顧客がアメリカ人の場合もあるため、小さな箱で船や鉄道で簡単に遠くに輸送できるのは、コストカットやマーケティングの手段としても優れていました。
 
更に名刺大の説明書きには、洗濯する場合はここに頼むように、とニューヨークのクリーニング屋の住所まで書かれており、殆ど現代的なパッケージングと言えます。これは、伝統的なクチュリエ達からは、なかなか出てこない発想でしょう。
 

室内着(1915年頃)
どこか日本の着物の感覚もある


そしてデルフォスは、パートナーのアンリエットが主なアイデアを創造したと、フォルチュニ自身が公言しており、女性が実際に着て心地よく、どんな体型でもラインを美しく形成できるからこそ、評判になったものでした。

見た目は古代の空気感を纏いながら、モダンな快適さが同居している。そこには、19世紀ではなく、20世紀の新しい感覚があります。


ヴェルヴェットのドレスを着たモデル。
当時は殆ど無かったカラー写真に凝っていた
フォルチュニが1915年に撮ったネガを
2017年にプリントしたもの。
なので、彩色ではなく当時のままの色調


フォルチュニが浸っていたのは、同時代の19世紀末からは時代錯誤の、遠い古代の文化や芸術でした。
 
そしてそれゆえに、同時代の流行に染まることのない発想を持ち、柔軟に意見を取り入れてシンプルで、独創的で、時代を超越したドレスを創ることができた。そうした、明晰さ、柔軟性こそが、ある種の優れた作品の要諦の一つのように、彼の作品を見ていると感じるのです。



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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