生活を建築する -バウハウスのデザインの美しさ
私たちは普段無意識にデザインに囲まれています。
デザインというものは、絵画や音楽、物語と違って、寧ろ無意識に吸収することが、意味求められています。そこで暮らしていくための様式なわけですから。
第二次大戦前のドイツに設立された美術学校バウハウス、とそこから派生するデザイン運動は、現在の21世紀まで続く、ある種のモダニズムのトーン、生活様式を決定づけた重要な運動です。
バウハウスは、元々は、美術学校の名前です。1919年、建築家のヴァルター・グロピウスが校長となり、ザクセンのヴァイマールに設立されました(その後場所は二度移転しています)。
グロピウスは「すべての造形活動の最終目標は、建築である」という言葉から始まる「バウハウス宣言」を出し、造形・建築の新しい形を模索する方向性を打ち出します。
熟練の芸術家たちの講師陣(マイスターとよばれました)による画期的なカリキュラムや、自由な校風は、まさにモダニズムの学校でした。
1923年にはバウハウス展を開き、工業的なデザインを全面的に志向することになります。
1928年にはハンネス・マイヤーが校長に就任。基礎境域により理論的・科学的なアプローチを取り入れ、社会性を打ち出して、外部企業との量産の方向性にも進みます。
元々バウハウスに会った美的・自由な校風がやや薄れ、短期間で交代し、1930年、校長にミース・ファン・デル・ローエが就任、建築を重視する方向になります。
しかし、折からの不況により、予算は縮小され、ナチスの台頭により、閉校を余儀なくされます。
学校自体は1919年から1933年の14年間の短い期間でしたが、そこで出た成果、そして卒業生たちの活躍により、後世に大きな影響を与える「伝説」となっています。
ちなみに、日本からも4人の留学生がいます。特に山脇巌、山脇道子夫妻は、その後帰国し、日大芸術学部校舎等の設計をし、日本の美術教育にも深い影響を与えました。
バウハウスというのは、元々学校の名前であることからも、デザイン的に統一されているわけではないとは思います。
グロピウスは「バウハウスとはスタイルではない」と言い続けました。実際、彼らはカリキュラムの試行錯誤も含めて、時代に合わせて変化しています。
彼らが工業デザインを手掛けているというのは、社会に合わせてデザインもまた変わらなければいけないという、信念によるものでしょう。
ただ、その中でも、どこか、似たようなトーンというのは感じられます。
例えば、マルセル・ブロイヤーによるサイドチェアは、バウハウスの代表的な傑作ですが、そこでは直線を基調としつつも、角はゆったり丸く、座った心地よさもあります。
人体を不快にしない程度の、ある種の規律と、それを和らげる緩衝材のような物が接続されて同居している。そして、これが大量生産に向く形であることは、言うまでもありません。
無機質や機械的とも、何かちょっと違う。「マイスター」として招聘されたクレーやカンディンスキーの抽象絵画のように、人間や現実の自然に沿っていない、独自の美的な感覚があるというか。
それは、グロピウスを始め、歴代の校長が、全員建築家だったことが、かなり大きい気がします。
「すべての造形活動の最終目標は、建築である」というマニフェストはつまり、彼らのデザインが、ある一つの強固で巨大な存在に統合されていく過程であるということを無意識に示しているように思えます。
家具や電化製品、調理器具は、「現代生活」という巨大な建築を構築する柱や、壁となっていく。そんな感覚です。
その意味で、バウハウスの最高傑作は、校長グロピウスによるデッサウのバウハウス校舎と言えるかもしれません。
バウハウスの精神がつまった、直線によるすっきりとしたガラスのカーテンウォールに満たされた建物に、余計な装飾を排したフォントの「BAUHAUS」の文字。
そして、この建築の中から、生徒たちの自由なデザインの精神が生まれ、世界中に広がっていく。
フランスでは、建築のことを第一芸術と呼びますが、この建築こそが、まさに人間の思考の結晶であり、思考そのものを育む、「バウハウス精神」の最高形態であるのでしょう。
機械文明、速度に満ちた現代生活に合うような、モダンなデザインの志向。
それは、同時代のフランスのアール・デコ、キュビズム、イタリアの未来派運動、ロシアの構成主義(フォルマリズム)と、同時代的な現象なのは間違いありません。
しかし、それらの運動の多くが、画家や彫刻家、装飾家による、作品主体のものでした。それらはモダニズムであると同時に、どこか、作り手の情念をぶつけたようなところがある。
いわゆるディオニュソス的な、不定形の激情と陶酔のパワーがあるのです。
バウハウスのデザインは、最終的な「建築」、全体への調和を目指すその目的によって、それらとは対照的な、アポロン的な明晰さと、清浄さを備えています。
それは決して「未来的」ではないように感じます。
それこそデッサウの校舎は、未来の建築というより、どこか古代ギリシアの神殿のような輝きがあります。宗教的情念とは別の、神聖で、アルカイックで古典的な感触をも持っているように思えます。
その古典性こそが、バウハウスの遺伝子が、20世紀後半のデザインに散らばっていった理由なのかもしれません。
ちなみに、私が一番好きなバウハウスの「作品」は、アルマ・ブッシャーによる「バウスピール」、いわゆる「バウハウス積み木」です(現在でも買えます)。
アルマ・ブッシャーは、1923年~27年に在籍し、子供のための家具やおもちゃを研究したデザイナー。卒業後は結婚・出産に伴って活動はあまりせず、第二次大戦のフランクフルトの空襲で亡くなっています。
彼女の作った積み木は、赤・青・黄・緑・白に塗られています。単なる四角や三角だけでない、曲線と直線を組み合わせた、不揃いなピースです。
それゆえに、色鮮やかな船や建物、ジオラマ等、自由に造形を作っていける。抽象的になりすぎず、煩雑になりすぎない、古典的な造形のある美しさ。
まさに、建築という究極の目標を目指すバウハウスの精神をさりげなく伝える、楽しい教育と試行錯誤のためのおもちゃです。そんな製品が残っていることにも、バウハウスの自由で、現代的な精神が現れているように思えるのです。
今回はここまで。
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次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。
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