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幸福な色彩美 -デュフィの絵画の面白さ


 
 【月曜日は絵画の日】
 
 
以前アングルについてのフィクションで書いたように、演奏が上手い画家のような、ジャンルを横断して才能を発揮する人はいます。しかし、「音楽のような絵画」という風に、ジャンルを混ぜることができる人はそういません。
 
フランスの画家デュフィは、音楽を愛し、同時に音楽のような感触を残す興味深い絵画を描いた人です。そして、その絵画は音楽的な幸福感に満ちています。




ラウル・デュフィは、1877年、フランスの港町ル・アーブル生まれ。大家族で音楽好きの一家に生まれつつ、絵画にも興味を示します。大きくなったら画家か、好きな絵を沢山買える大金持ちになりたいと思っていた、というのが微笑ましいです。
 

ラウル・デュフィ


絵画を学ぶと、1900年にパリに出て国立美術学校に入学。既に印象派が活躍している時期であり、1905年の印象派展、そしてマティスのフォーヴィズムの色彩に強い影響を受けます。
 
その後、生活苦もあり、布地のデザインを数多く手掛け、鮮やかな彼独自の色彩感覚を創りあげていきます。
 
南仏やイタリアを描く鮮やかな油彩画を多く残し、エコール・ド・パリの画家たちと親しくして、ベル・エポックの華やかな色彩感覚をリードします。
 
1937年のパリ万博電気館では、高さ60メートルの大作壁画『電気の精』を制作。リュウマチに悩まされるものの、晩年は高く評価を受け、最後には少年時代の夢だった画家とお金持ちの両方の夢を叶えた人生でした。1953年、75歳で亡くなっています。




デュフィの絵画の特徴は透明感です。
 
とりわけ、澄んだ美しいウルトラマリンの青、色が重なって、荒々しい筆致なのに澄んだ感触は消えず、色が見事に分離している。
 

『ニースの窓辺』
島根県立美術館蔵


その色彩の分離した感覚は、線で囲った場所に色を当て嵌めるのではなく、輪郭と色彩の塊がずれているところから来ています。
 
そうした点を含めて、マティス、そしてフォーヴィズム一般の影響が深いのは間違いありません。

ただ、マティスと違い、物の形態は非常に単純な描線であり、色彩の散りばめ方のセンスで、絵画全体のイメージを決めてしまうところがあります。
 
おそらくは、長いこと装飾を手掛けた感覚をうまく油彩に応用したということでしょう。彼の場合、布地のデザインが多かったため、線よりも、色彩の面の感覚を重視するようになったとも感じます。




そうした色彩の散らし方により、不思議なことに画面にはある種の疾走感のようなものが生まれています。
 
それは彼が愛した音楽のようです。実際、楽譜を取り入れたり、楽器のある光景を描いたりしています。と同時に、色が形をはみ出して疾走して模様を描く、その「速さ」の感覚が、非常に音楽的に思えるのです。




絵画は「動かない」芸術です。その中で速度を表すには、ある種のポーズや構図に頼るのが、古典からのメインでした。
 
デュフィは、色彩そのものを溢れさせるという感覚で、音楽が持つ、速さの快感を絵画的に画面に刻み付けたと言えるかもしれない。
 
楽器や歌う光景を描いても「音楽そのもの」にはなれない。ただデュフィは、音楽の特性である「逃れつつ消えていく快感」という感触を掴んだゆえに、恐らくは本人も意図しない形で、音楽的で透明な絵画を創造できたように思えるのです。


『モーツァルト』
国立西洋美術館蔵




そして、デュフィ独自のあの透明な青をはじめとする色彩にはもっと物質的な理由があります。技法ではなく、本当に彼独自の絵の具を使っているのです。
 
デュフィは非常に凝り性でもあり、水彩のような透明感で、油彩的な表現ができないかを探究していました。そこで、科学者と共同して、新しい絵具を開発することに。
 
非常に伸びが良く、線を掻き消さないくらい透明で、しかも色鮮やかな油彩絵具を生み出し、この絵具による透明感溢れる油彩はデュフィのトレードマークになります。
 
チューブ入りの油彩絵具が、戸外で描く印象派の誕生の一端となったように、デュフィもまた、ベル・エポック期の科学の発展、技術革新の子供と言うべきなのでしょう。

『ドビュッシーを讃えて』
マルロー美術館蔵




ちなみに、デュフィはこの絵具を親友のマティスにも薦めていますが、マティスは、今のままでも絵画は面倒なのだから、別に要らない、と断っています。
 
マティスらしいと言えばらしいですが、線で区切られた色彩が重なっていくことを目指すマティスの絵画や切り絵を思うと、確かにこの透明な絵具はあまり使いどころがないようにも思えます。マティスも無意識に気づいていたのでしょう。




デュフィの残した鮮やかで澄んだ音楽的な絵画は、また、ベル・エポック期の空気感をも捉えることになりました。
 
アール・デコのすっきりしたデザインのように、都会的で、酒脱で、どこか逃れ行くノスタルジックさも持ち合わせた絵画。

パーティやリゾート地を捉え、ある批評家が「彼の絵画を見ているとシャンパングラスが(乾杯で)かちあう音が聞こえてきて困る」と評した、享楽的な空気感。


『エプサムの競馬』
パリ近代美術館蔵


 
それはプルーストが『失われた時を求めて』で描いたような、追憶と洗練と都会の文化の薫りを纏っています。
 
画面は濁らず、あくまでカラフルに、上質な音楽のように通り過ぎる絵画。ジャンゴ・ラインハルトのジャズのように、酒脱で濃密なのに、どこか晴れやかで澄んだ感覚の作品。
 
そして、それがある種の大衆的な風俗画ではなく、静物画、風景画という19世紀の伝統を纏っているところに、デュフィの面白さがあります。


『ニースの埠頭』




デュフィがパリに出た時は、既に印象派が認められ、旧来のアカデミーに陰りが出ているところでした。

印象派の10歳年下で、アカデミー派との葛藤を抱えたラファエル・コランらの苦悩もなく、セザンヌの革新的な形態、スーラの点描、ゴッホやゴーギャンの感情的な色彩感覚といったものが出そろい、自由に吸収することが出来ました。
 
ピカソやマティスほど革新的ではなく、シャガールほど象徴的でもない。題材としては印象派を受け継ぎ、最新流行と伝統が幸福に混ざった、幸福な時代の記憶として、デュフィの絵画はその逃れ行く音楽の速さの色彩を、画面に遺したように思えるのです。



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