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調和の形を見つける -ムリーリョの絵画の魅力


 
 
【月曜日は絵画の日】
 
 
偉大な作品を遺す偉大な芸術家には、ある種の「型」のようなものがあります。
 
自分が得意な主題や構図を何度も繰り返して創り、諦めずにその本質を掴む。そうした後に、その人の資質が、主題と溶け合って開花する。
 
スペインのバロック期の画家ムリーリョは、そんな自身の「型」を見付け出し、見事な作品を残した偉大な芸術家の一人です。




エステバン・ムリーリョは、1617年スペインのセビーリャ生まれ。庶民の医師の子で、両親を早く失くして叔父夫妻の元で育ったこと以外、幼少期はあまり分かっていません。

 

ムリーリョ自画像
ロンドン・ナショナルギャラリー蔵


27歳の時にセビーリャの修道院の装飾を手掛けたことをきっかけに飛躍し、教会や、富裕な市民顧客向けの作品を生涯手掛けています。1682年、64歳で亡くなっています。




ムリーリョの作品には、大まかに2種類の系統があります。
 
一つは宗教的な主題。特に聖母子や聖母の像が多いです。
 

『ロザリオの聖母子』
プラド美術館蔵


もう一つは庶民を描く主題。『乞食の少年』のように、貧しい少年や少女も主題に取り上げています。

といっても、リアルな衣服やヴィヴィッドな表情以外は抑えられたトーンになっており、どこか敬虔な雰囲気もあります。
 

『乞食の少年』
ルーブル美術館蔵



この2系統が、教会と市民という二つの顧客の方向性を表していることは、間違いないでしょう。




ムリーリョが興味深いのは、前者の宗教主題において、『無原罪の御宿り』のパターンを何個も残していることです。
 
この題材は、当時のスペイン・カトリックで強く主張されていたテーマで、乱暴に言うと、聖母マリアは生まれる前から罪を赦されているということ。キリスト教と、民間の土俗的な「女神信仰」との間の接点を見出す題材と言えます。
 

『アランフエスの無原罪の御宿り』
プラド美術館蔵


ムリーリョは20点程この題材を手掛け、プラド美術館にも4点所蔵されています。それらはほぼ構図も決まっています。
 
中央に、青い布を纏った、白いローブの聖母がいて、光に包まれています。その周りは、雲のような煙に包まれ、赤子がまるで手助けするかのように、空から降りてくることが分かります。




特にプラド美術館所蔵の4つの作品は、元々スペイン国王買い上げのコレクションというのもあり、非常に質が高い。
 
聖母の表情は驚きというより、ことの事態をしっかり受け入れる落ち着きのある清廉な表情です。そして、赤ん坊や聖母の肌や布の質感の柔らかさと美しさ。
 

『エル・エスコリアルの無原罪の御宿り』
プラド美術館蔵


白いローブに纏わりつく青い布は、聖母を包む暖色の光の補色となって、調和をなしています。組み合わせた手とローブが流線型を作り、寧ろ昇天であるかのような、上への動きをつくる。
 
これしかないという、見事な題材処理の構図であるゆえに、一度決まれば、後は何度も微調整をして、より良いものを創っていく。そんな制作工程を妄想してしまいます。




勿論、ムリーリョが沢山創ったのには、本人の志向というよりも、注文が多かったというのはあるのでしょう。
 
彼はスペインの偉大な先輩画家ベラスケスと違って、宮廷画家ではありません。王のために描くのであれば、同じ題材の絵を何度も描く必要はない。各地の修道院から注文があったのかもしれません。
 
しかし、単なるコピーではなく、細部を変えているところに、彼の勤勉さと、向上心を感じます。
 

『ベネラブレスの無原罪の御宿り』
プラド美術館蔵



赤子たちの居場所、包み込む光の微妙な色合い。そして、聖母のモデルは、細かく表情や顔の角度、重心の位置を変えています。
 
注文に応えつつ何度も自分の得意な型を試して、どこかでかちっと嵌る箇所を探す。そうした制作姿勢は、ものづくりをする人にも参考になるように思えるのです。




ムリーリョの絵を見て感じるのは、柔軟さです。
 
聖母像でない、現実の子供たちや女性を描く際は、甘くなりすぎず、それでいて肌の質感や表情は豊か。

どこか庶民の顔をしている宗教画の人物たちと併せて、どちらも無理がなく、聖書の神話と当時の生活が、地続きになっています。
 

『窓枠にもたれる農民の少年』
ロンドン・ナショナルギャラリー蔵


その滑らかな描写から「スペインのラファエロ」と呼ばれることもありますが、ラファエロがまだ神話の側に片足を突っ込んで、やや硬い人物像なのに対して、ムリーリョには、自然さと親しみやすさがあります。
 
ラファエロからティツィアーノまで吸収しつつ、彼らが完璧には成し遂げられなかった、神話と俗世の調和がここにある、そんな気もしてきます。




それはまた、時代と彼の人生の中から生まれたものでもありました。
 
彼が主に生きたのは、スペイン国王フェリペ4世の時代。

「陽が沈まない帝国」と言われた16世紀の偉大なフェリペ2世の時代は終わり「無能王」と呼ばれたフェリペ4世のもと、スペイン全体が疲弊していた時代でした。
 
もっとも、フェリペ4世は、芸術への理解度が高く、ベラスケスを宮廷画家にし、プラド美術館の礎となるコレクションを創りあげています。芸術面においては、スペイン絵画の黄金時代でした。
 
しかし、皇位継承者に恵まれず、何人も子供を亡くしています。奇しくもムリーリョも、5人子供を亡くし、『無原罪の御宿り』には、そんな彼の気持ちが現れているとも言われています。聖母子像や子供の絵が多いのも、偶然ではないでしょう。
 

『ブドウとメロンを食べる子供たち』
アルテ・ピナコテーク蔵


ある種の調和とは、全盛期を過ぎた後、寧ろ何かが失われた後に、祈りとして作品の中に現れるものなのかもしれない。ムリーリョの美しい絵画を見る度に、そんなことも感じるのです。




お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。



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