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青い静寂の幻想 -東山魁夷の絵画の面白さについて


 
 
山種美術館で開催中の『東山魁夷と日本の夏』展に行ってきました。
 



美術館所収の東山魁夷の作品全点と、夏を描いた日本画家たちの作品を展示した小企画。
 
人気の画家だからか、会場は混みあっていましたが、改めてこの画家の、ある種の特異さと面白さを感じることが出来ました。




東山魁夷は、1908年生まれ。東京美術学校に通って卒業したのち、1933年にドイツに留学。その後、なかなか芽が出ずに、病気の家族も抱えて苦労を重ねています。


東山魁夷


1947年に『残照』が日展に入選すると、ようやく安定し出し、旺盛な活動を展開します。北欧や中国等に取材して、多くの展覧会や、唐招提寺の壁画、皇居宮殿の壁画も手がけ、国内外で公的な名誉にも恵まれました。1999年、90歳で亡くなっています。




東山魁夷の絵画の特徴は、色鮮やかで澄んだ空気の風景画です。
 
展覧会には後期の『京洛四季』という京都の四季を描いた連作がありましたが、まさに彼の特色が良く出た、鮮やかで静けさを感じさせる風景。人はおらず、どこか夢の中の光景のような感覚があります。
 

『京洛四季 春静』
山種美術館蔵


しかし、会場の他の画家の作品と比べると、かなり浮いた作品のようにも感じられます。何というか、これは日本画なのだろうか、と思うレベルの違いです。
 
特にその深く鮮やかな、緑がかったブルーは、寧ろ北欧絵画の澄んだ青い海や、森林を思わせます。


ヴァイノ・ブロムステット『 冬の日』
フィンランド国立アテネウム美術館蔵
(※今回の展示作品ではない)


実際、1962年に三か月ほど北欧の旅をして描かれたシリーズから、こうした青が作品に頻出するようになりました。魁夷自身は、それがある種の精神世界を表していると説明しています。

 

『京洛四季 緑潤う』
山種美術館蔵


皇居の宮殿を飾った海の壁画を基にした大作も会場にありましたが、「海外からの賓客に、日本に来たという印象を与えてほしい」という注文だったというその絵は、個人的には「日本的」とは言い難い気がします。
 

『満ち来る潮』
山種美術館蔵


 
日本の海岸を色々取材したとはいえ、波がぶつかる岩礁の風景なんて、世界各国どこにでもあります。金箔をちりばめているにも拘わらず、いかなる和の情緒からも離れた、細かいしぶきと緑色の海は、波の高い、バルト海のどこかの海岸のようです。




こう考えていくと、彼が、ドイツ、北欧、中国といった場所に留学・取材したことの異端さが見えてきます。

時代的な関係とはいえ、ルネサンスからの西洋美術の中心、イタリアとフランスではないことの意味は、案外大きいのではないか。
 
日本の明治以降の洋画のメインストリームは、物凄く乱暴にまとめると、黒田清輝ら、フランス留学組の影響による、西洋アカデミズム絵画と印象派の折衷で、日本的な風景を描くものだと言えなくもない。
 
印象派のふわっとした筆致に、ほんのりと日本画のわびさび風味も効かせた、その調和の感触に比べると、魁夷の絵画の、丁寧に描き込まれた鮮やかな色彩は、どこか現実の光景にフィルターを一枚かませたようなファンタジーを生み出しています。


『京洛四季 秋彩』
山種美術館蔵




そして、魁夷が特異な点は、にもかかわらずファンタジーではなく、「日本」という主題に対応したことではないでしょうか。
 
現実にはない空想の世界だけでなく、あくまで現実を基にした風景画を創れること。


『京洛四季 年暮る』
山種美術館蔵


 
魁夷は、画文集を含めて、自分の絵に関する言葉を多く残しています。そこには、現実の光景と、幻想的な画面の乖離を埋めて繋ぎ留めようとするようとする、無意識の意図があるようにも感じられます。
 
『京洛四季』にも、彼自身が絵を説明したキャプションがあったのですが、その言葉は、どこか童話の断片のようにも思えました。

京の街に、しんしんと雪は降る。
遠く、近く、おごそかな鐘の響き———
一つ一つの屋根の下に、
人それぞれの思いを籠めて、
年が逝き、年が明ける。

『京洛四季 年暮る』キャプション
『自然の中の喜び・冬/講談社』より


 
正直言って、彼の言葉は、日本ではなく、アジアでも西洋でもどこでもいいような、ある種、現実から宙に浮いた「説明」になっています。その感触が、和の情緒からずれた、彼独自の世界を表しているように思えます。




そういえば、この連作は、川端康成の「京都は今描いておかないと無くなりますから、描いてください」という言葉で制作が始められたとのこと。
 
川端もまた、美しい人形がふらふらうごめいているような彼独自の幻想と妄執を「日本」という言葉にくるんで、国民的・国際的な評価を受けた芸術家でした。
 
この二人に親交があったのは頷けます。共に自分の個人的な幻想世界を、日本の美という主題に、すり替えて結びつける才能がありました。
 
勿論、これは貶しているのではなく、最上級の褒め言葉です。自分が本当に信じるものを創るのが、偉大な芸術家であり、彼らが自分自身に忠実だったゆえの結果なのでしょう。
 
寧ろそこには、今までの日本と西洋の間で悩んでいた明治時代の芸術家たちにはなかったもの、その後に出てきた芸術家の、ある種の余裕というか、ごく自然に、西洋も東洋も自分の世界に融合できる柔軟さのようなものも感じられます。


『夕星』
長野県立美術館蔵
(※今回の展示作品ではない)
91歳時の絶筆。
これは夢の中で見た光景であり
旅した現実の場所ではないという
本人の言葉が残っている




個人的に、東山魁夷の作品で好きなのは、北欧や海外、架空の場所を描いた絵画ではあったりします。
 
日本の風景となると、どうしても、彼自身のファンタジーと、山水画から明治の洋画や現代絵画まで積み上げられてきた「日本的」なイメージとの間に、微かな軋みを感じてしまいます。
 
それが、ヨーロッパやどことも知れない風景であれば、彼の技量と構想力、静寂を留保なく堪能できます。
 
傑作『緑響く』の、深く美しい森の湖畔を歩く白馬の風景のように、澄んだ空気と夢の中のような無時間な光景。その静けさは、彼が描く風景の多くにこだましているものです。
 

『緑響く』
長野県立美術館蔵
(※今回の展示作品ではない)


その静寂がどういう部分から生まれたのか。魁夷以外の優れた日本画も並べられたこの展覧会で感じて考えてみるのも、美を楽しむ良い体験かと思います。



お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。



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