パンチカードの悲劇
1980年前後の大学でのプログラミングは、パンチカードという紙のカードに記録したFORTRAN言語などのプログラムを大型計算機センターに持って行き、カードリーダーでプログラムを読み込ませて実行するという、面倒かつ時間のかかるものでした。計算量やデータ量が少ないものは、学部や学科にあるミニコンやパソコンで処理できますが、負荷のかかる計算には大型計算機が必要でした。
パンチカード1枚にプログラムの1行を記録します。レポートに必要な統計計算のプログラムでも数百行になり、行数と同じ数百枚のパンチカードの束を学部から大型計算機センターまで運ぶことが必要です。
学部の建物から学内の大型計算機センターの建物までは1km。徒歩では15分以上かかりやってられません。そこで自転車のカゴに、パンチカードの束を入れて計算機センターまで往復することが日常でした。
プログラミングの教官からは、自転車でこけてカードをばら撒いて悲惨な目に遭った経験談を聞かされていました。その日も束に輪ゴムを掛けて前カゴにぽいっと放り込み、くれぐれも転ばないように運ぶことにしました。
自転車で慎重に
厚さ10cmのカードの束を自転車カゴに入れて出発。大型計算機センターまではイチョウ並木とケヤキ並木があります。春真っ盛り。晴れていましたが風が強く、いつにも増して慎重に自転車で新緑の並木道を進みます。
十字路を右に折れてケヤキ並木に入ったときに事件が起きました。おびただしい量のケヤキの花がらが雪のように降っていたのですが、その一つが目に入ったのです。それまでは知らなかったのですがケヤキの花がらは、尖っていて硬くて小さい。忍者の使うマキビシを胡麻サイズにしたようなものです。「目が、目がぁぁぁ」。ものすごく痛い。
やってもうた
眼球とまぶたの間にマキビシが入っているので、利き手でまぶたをつまんで持ち上げていました。慌てて自転車のスタンドを立てようとしましたが、利き手でない方の手で無理に操作したためスタンド立てをしくじって自転車はバッタンこ。カードの束がころりん。
「輪ゴムで縛っているから大丈夫なはず」
とにかく痛くてたまらないのでカードの状態を良く確認しないで、まぶたをつまんだまま一番近くの建物のトイレへ急行。水流で何とかマキビシを流して、涙目のまま自転車のところへ戻ると、カードはバラバラ、春の嵐であちこちに飛ばされてしまいました。カードを束ねた輪ゴムは切れてしまったのです。
かなりの時間をかけてカードを拾い集めましたが、全部は見つかりません。まだ目が痛いので涙がぽろぽろ。他の学部の学生が10人くらい見ていました。こっちは恥ずかしくて見物人の顔を見ることはできませんでした。
カードをかき集めて泣く泣く戻る
現代のプログラミングに置き換えると、数百行のプログラムを行単位でランダムにシャッフルして、しかも数%の行が消えている状態です。紙のパンチカード時代には、バージョン管理システムどころかバックアップすらありません。復元できたのは翌日だったと記憶しています。
大学時代の何気ないひとこまでした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?