意識はどこに所在するのか?
みなさんおはようございます!
先日、オンラインの勉強会で、意識の研究をしている方のお話を聞いたのでシェアです!
インド工科大の教授で、アリゾナ大の宇宙生命科学研究所の所長の三枝さんという方なのですが、
意識の所在と正体をずっと研究されています。
■生命とは?意識とは?
共同で研究をしているのが、Googleの量子コンピューターのトップを務めるクリストフ・コッホさん、
ホーキンス博士の師匠にあたるロジャーペンローズ博士などで、
意識は量子物理との関係があるという説で、そういったメンバーで研究をされているらしいのと、
宇宙に生命がどう誕生したか、という観点もあり、宇宙研究所で実施しているとのことで、
宇宙に生命が誕生した際、温度など含め22もの大きな括りの複雑な項目が微調整され、
まず地球という生命が誕生しうる条件が整い、そこに生命が生まれる確率はその名の通り天文学的確率で、
それはAIやビッグデータでは意識は作れず、
量子コンピューターの技術発展では意識が作れるかもしれないというのにも挑戦しているチームです。
■意識はどこに所在するのか
まだ仮説も多いですが、一旦意識はどこに所在するかで言うと、
脳のニューロンの中にある(よく理科で見る、ニューロンの大きい広がっているところではなく細い紐みたいなところの中)
の微小管というとこにあるらしく、
そして面白かったのは、意識の「所在」といいながら、
無数にあるニューロンの中にあるし、
そもそも体の中だけなのかもまだ検証項目として残っていて
ただ、これは確実なんじゃないかというのが、
意識は1つの場所に1つあるのではなく、
非局所性があり、
量子物理学のAでありBであったり(波であり光である:二重スリット実験)、
Cという地点にありながら、地球の裏側のDという地点でも影響をする(量子のもつれ)
ということで、
ただただ、意識と物理をつないでいるのがその微小管なのではないか、
という仮説でした。
意識が飛んだり、現実にいながら夢を見たり、違うことを考えて空想したり、
それらも意識が別の場所に同時に所在していて、
ただ、物理の体と現実があるからこそ、
その体とかに紐づいて、1つの意識と捉えがちなだけなのではないか、という話でした。
■東洋と西洋
そしてなんでインド工科大学でも教授をしているかというと、
インドでは古くから、仏陀などの仏教で出てくる偉人は、
その意識の研究と探究をしてきて、
それが瞑想だったりヨガだったりアーユルベータなどであり、
そういった東洋的思想の最先端がインドのあり、インドの文化でもあり、
それを西洋と掛け合わせて研究をするために、
インドとアリゾナに所属しているとのことでした。
■念とは
織田の中でも絵を描いた際に意識があまりないけど書き上げた絵があったり、
絵には「念」が移っているという仮説を自分で思うのですが、
この念は意識の非局所性があると仮定した際に、
念とは、その意識の転換なのではないかと思いました。
誰かに見られていると感じれたり、
あくびが移ったりするのも脳波が移って起きるのも不思議だなと常々思っていて、
「これは何かしらの交流、交換、転換、コミュニケーションが起きているはず」と思っているので
そのニューロンの所在で、「非局所的」である際に、
そういった波や情報の伝達を人と人の間でしているんだと認識しましたが、
まだそれが明らかになっているわけではないですが、
近い仮説を持っておられました。
木も木と木でそういう情報交換をしているのではないか、という仮説もあるらしく
織田が体感的に思うのは、絵も、その人の念を移し、
例えばその絵が誰かのもとに行く場合、
そういう非局所性の意識や量子の置き場所になりえるんじゃないか?
いや、念を移してそこに置いてあるだけというシンプルな古典物理の仕組みでもないような?
そんなことを質問して対話もできました!
■自由意志は存在するか?
あと面白かったのは「自由意志は存在するのか?」
ここもまだ研究段階ではあるものの、
三枝さんたちの研究では、
自由意志が存在しない可能性が高いと考えておられていて、
過去研究でも「決めていると思う0.5秒前~8秒前に、すでに決定している」
(同研究したかまでは時間がなく聞けなかったですが)
という結果が出ることもあったみたいです。
一旦2時間のオンラインで、参加者も20名ほどいたので、
全部は質問できなく、織田もまだ粗いところがありますが、
昨日きいたこの講義と質疑に対して、関連情報や、三枝さん、クリストフコッホさんの論文も読もうと思います!
今度7月には「脳と森」という本で、織田が1年前に読んで感化された本なのですが、
それを書いている稲森正さんという方の勉強会にも行けたら、と思っています!
皆さんきょうも素敵な一日を!