遊びの強さ
連休って面白いですよね。太陽とか月とか地球の自転と関係なく、みんないっせーの、でお休みになる。
1週間7日もキリスト教的なものと認識しています。
サバンナのジャッカルとかからしたら、なんのこっちゃですよね!
人間の共同幻想力、すごい!
■遊びの強さ
このお盆はおかげさまでなんか小さな遊びがたくさんできました!
・ポケカの大会
・VRで絵を描く
・ボードゲームを作る
あと、大阪南港でやってる、プラスチック組み合わせて、風で動く「ストランドビースト」という動くプラスチックを、
オランダのスフェベニンゲン(ちゃんと発音すると”スケベニンゲン”の方が近い)という海辺で、離して、
風を食べて生きる生き物と称して、それを人生かけて作っているアーティストの展示に行ってきました。
誰かにやれと言われたわけでもなく、ただやりたいからやっている。
こういう遊びって強いですよね!
■人間はルールを変えられる
そんな中、アンカー神戸の学生さんが織田の絵をAIに読み込ませて3枚目添付のような画像を作って教えてくれました。
これを見て「ああ、もう描く必要ないんだー」と思ったのですが、
ただ、決して悲観的になったわけではなく、
「他の面白いことに手を出せる」と思いました。
人間のすごいところは、「共同幻想」が見れるところであると思っていまして、、
かつ、自分だけでそれを楽しむこともできる。
だから、写実が重視されていた後にカメラが出てきてから、ピカソのような絵を描くようになったし、
絵のうまさの必要性が薄れてからは「概念」遊びとして、デュシャンという方が便器にサインを入れて作品にすることにしたりした。
人間は元来、技術に合わせてルールを変えて遊んできたのが、美術史から読み解けると思っていて、
あと、こどもたちも年の差ある鬼ごっことかだと、年上の子がケンケンで逃げたりとかルール調整をしていて、
そういう力が人間にはあると思っています。
そして、芸術界とかでも、あとそれ以外のイノベーション的なことでも?
ここからは特に
「これをこんな風にとらえるの、面白くない!?」
「これ実は今まで悪いものと思ってたけど結構よくない!?」
「そもそもこれっておかしくない!?」
みたいな、
リベラルアーツ的要素も交えた大喜利みたいなもので遊んでいくのが人間であり、
そのために、労働自体はもっと開放していけたらいいなーと思っています。
なんというか、本気の遊びという名の仕事が増えるイメージです!になるといいなー!
■細かな世界に分かれると面白いなー
しかもそれがなんというか、色んなマイナーなジャンルとかでも起きていく、
そうなると、世界はある意味、細かな概念世界に分かれて、それぞれの場所があったりする、
ただ!人間がまだ力及ばず変えられないルールが「自然界の法則」であり、
それ以下の法律、規律は人間が変えられる。
ただ、メタバース上ではある意味、プログラムさえ変えたらその世界に閉じた法則(物理現象)とかも変えられて、
そういった自由度があると思っていて、
あと、リアル世界では、法則は変えられないけど、その小さな村での規律は変えられる。
個人的には世界の広く一般で起きている法律や資本主義などから離れた村に住みたいと思うこともしばしばですが、
そういったことがよりたくさんできると面白いなーと思います。
それがリアル・メタバース両方で起きていく
そんな世界になるのかもなーなんて妄想をしています。
今日はノントリートメントな(取り留めのない)お話でしたが、
そんなことを思ったオボンボンでした。
それではみなさん今日も素敵な1日を!^^
アート、教育、探究、子育て、生き方。アーティストとして、スクール長として、本音しか書きません!