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クリムトの絵

僕がよく拝読する方のnote記事で、懐かしい絵画が載っていた。クリムトの描いた少女が立っている絵だ。
当時、高校美術の教科書の表紙に使われていたと思う。その前の年はエゴンシーレだ。オーストリアの世紀末絵画が高校生の教科書に使われるあたり、かなりマニアックだなと思える。
高校一年生の僕は、剣道部に入ろうかと考えていた。しかし美術の時間、この教科書の絵に惹かれ、まさに心臓を射抜かれた。そして教師にスカウトされ、たった3人しかいない美術部に入部した。
それから画家になって30年あまり絵を描いてるのだから、あの時のインパクトが人生を方向付けたと言っても過言ではない。不思議なものだ。あの表紙がピカソの青の時代やゴッホ、モネだったらそこまで興味を惹かれなかっただろうな。
クリムトの少女の絵について、思い出すことがある。部員の1人で、後に共に鹿児島から東京の予備校に通うことになる親友が、この絵を見て「オシャレでかっこいい!」と言った。しかしそのあと実際の絵が、教科書の「少女の半身」の構図ではなく、「全身」の構図で描かれてたことに心底がっかりしていた。なんだ、つまんねぇ!と。
今思うと、当時スタジオボイスの全盛期、モードなモデル写真が流行る中、全身の構図ではイマイチ決まりが悪く感じたのだろう。僕は、そんなことないのにな、と思った。それは今も思う。あれは全身だから、少女の意思が伝わるのだ。だけど教科書の編集としては、美術の授業の100人の生徒のうちの、2人が射抜かれたことは間違いない。かっこいい・カッコ悪い、という印象が、やがて自己表現になり、美大を目指し、挫折し、1人は絵を描き続け、もう1人はどうしてるかわからない。きっと元気に暮らしているだろう。

この少女の絵はメトロポリタン美術館に展示されている。オーストリア美術館ではたくさん観て回ったが、メトロポリタンにはたくさんの名画があるという。クリムトの絵見て、見知らぬたくさんの人が画家やアーティストを目指しているかもしれない。そして我々が天国に行っても、これからずっと、絵の少女は不敵な笑みを浮かべてこっちを見ている。人生とは不思議で儚いものだ。あの絵を通り過ぎる影のような存在なんだろうな。

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画家・ペーの日記
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