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人はなぜ北に向かうのか。ドライブマイカーの旅を自転車で旅した男の話。

いきなりですが、人はなぜ北に向かうのでしょうか?(笑)。

映画ドライブマイカーでも、終盤のクライマックスで北に向かいました。人生で大きな分岐点が来ると、人間の遺伝子に、北に迎えという指令があるのでしょうか。
大きな傷を負った時に、例えば沖縄とか石垣に向かう人もいるはず。そうしてロハスな生活から魂を癒す人もいるのに。私は、圧倒的に「北派」です。北には厳しさがあります。その中でしか見つけられないものがある。
北風と太陽。あなたはどちらの力で傷と向き合いますか?

私は20歳の頃、すべてに絶望して北へ向かいました。お金がなかったので移動手段は自転車しかありません。大学の佐賀県からどこまで北に走れるか、考えなしに試してみました。寝る場所は野宿でした。
2日目にはすでに本州に入り、意外と行けるものだなと思いました。その後、喉の渇きすぎで下痢に苦しみ、瀬戸内海の向かい風で前に進まずとも、走り続けることができました。ご飯は3食コンビニ、たまに定食屋。
そのうち、阪神淡路大震災で爪痕の残る兵庫県につきました。神社に宿をお願いしましたが、「補助が降りないからそれどころじゃない」と断られたました。その夜は工場の裏で寝ましたが、まだまだ先に行けると思いました。
そうして大阪、京都、岐阜を走りました。鈴鹿峠を越え、箱根峠を越え、東京につきました。親戚のうちにしばらくお世話になり、まだまだ旅はこれからだと思いました。

「自分が変われる」と思っていたのです。最北端までいけば、きっと。

そうして、筋肉はシャープなバネのようになり、陽に焼けて髭も伸び、まさにインドのヨガ行者のような姿になりました。1日に160キロを自転車で走っても平気でした。雨の母も嵐の日も走り続け、心はどんどん透明になっていきました。まるで走れメロスのように。ペダルを漕ぐたびに、魂は解放されていきました。挫折や過去の全てが景色として流れていき、ただ走ることに集中しました。

三陸海岸は今でも忘れられない場所です。沿岸部のアップダウンのキツさと、野良犬!
「流れ星銀」のように、数十匹の犬に追いかけられ、食い殺されそうになって必死で逃げました。生の殺気を感じました。藤原新也は「人は犬に食われるくらい自由だ」と著書・メメントモリで書きましたが、まだ死ぬのはごめんでした。

やがて八戸へ。ドライブマイカーのように、苫小牧までのフェリー連絡船に乗り込みました。雑魚寝の部屋、無機質なテレビ、そしてあの黒々とした海。まるで「音」の持つドス黒い渦のように。映画と過去の旅がリンクしました。

北海道に降り、最初に訪れたのは巨大なごみ収集場でした。私は「写るんです」で記念撮影しました。これも、映画の中で、みさきが案内した広島のごみ収集場のイメージと重なります。
北海道は別世界でした。無意識の海を超え、別の場所に来たんだと肌で感じました。同じ旅行者も格段に増えました。バイク、車、そして歩行・・。全国の猛者たちが集まる聖地でした。
それから札幌、富良野、旭川、と走り、佐賀を出発して1か月ほどで、念願の日本最北端の宗谷岬に着いたのす。

ドライブマイカーの2人が行き着いた先は、みさきの故郷でした。18歳で土砂崩れにあった実家も、そのまま放置され、雪に埋もれた残骸の前で、2人はもっとも深い無意識へとたどり着きます。そして分かち合い、慟哭し、抱擁するのです。映画史に残る名シーンでしょう。

私は20歳でした。北海道までたどり着いたは見たものの、今にして思えば、大きく変わることはありませんでした・・。
それは、ここまでたどり着いた「本当の意味」を、当時は理解できていなかったのです。家福やみさきと同じように、大きな衝動から、心と身体を北に向かわせたのは言うまでもありません。それも自転車で。

しかし結果的に、神様から与えられたものは、「さらなる苦悩に立ち向かうための片道切符」だけでした。

その切符とは、どうにだって生きていけるという「自信」です。誰から認められずとも、社会に所属しなくとも、自分の願いに集中すれば、必ず叶うという自信。そして、孤独に耐えうる自信。

それだけです。心は閉じたままでした。私自身の傷の深さと、それに向き合い、癒していくためには、まだまだ時間がかかりました。そうして、訪れる苦悩を1つ1つ乗り越えていくたびに、心が開かれ、本当に自分が求めているものが、大きな傷を通して見えてきました。

家福とみさきが、その場所にたどり着くためには、家福は演出家としての才能、みさきは、そのドライバーテクニックが必要でした。それは人生の代償を払いながら得られたものでした。みさきは、運転が荒いと母親に打たれてました。だから必死に覚えたのです。生きるために。そして「本音を嗅ぎ分ける」才能も。

もっとも奥底に眠る、本人も理解できないほどの苦悩が、自分を本当の救済へと導いてくれるのでしょう。それは、現世の体験だけではありません。本人の両親や、そのまた両親や、地域や国の集合意識まで関わってくるのだと思います。

私の光はなんでしょう。みさきが母親の二重人格「さち」に見出した光のような。
しかし、その光を逃したとき、本当の暗闇が訪れる。それはもう取る返しがつかないほどの闇。生きている間、どんなことをしても隣に居座り続ける闇。しかし、その闇こそが、自分の本当の声であり、愛する人の声であり、再び光を当てようとすることこそが、人間の救いなのではないでしょうか。

そうして死んだ時に、〝神様の憐れみ〟から、本当の休息の地へと旅立てるのでしょう。

この世で、1人でもいい。理解できる人がいればいい。それは、あくまでも自分自身の心の先から見つけらるものでしょう。

私は、日本横断の旅から25年経った今も、あの時に得られた片道切符を手に、今もまた苦悩と向き合っています。それでいいのだと思えました。

おしまい。

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画家・ペーの日記
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