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紙とペンの描くもの

ここに紙とペンがある。
ここ数週間、今年の振り返りと来年の展望について考えていた。自身の絵画表現のテーマを深めていきながら明確にしていこうという、戦略的なものだ。 
画家としての仕事は多岐にわたる。その中で何を大切にしたいのか。生活におけるタスク、指導における方針、人が動く場で求められる役割、ニーズ、直近のイベントへの告知、しかけ、さまざま。
禅の教えで、「人生が海とすれば、たくさんの波が起こる。しかしあなたは海という本質を忘れてはならない」という。波を乗りこなすだけが人生ではない。ましてや画家であれば。

ここに紙とペンがある。僕は、考えをまとめるメモとして利用する。何も出てこない。ただ頭にある現象を文字化してわかりやすくしたところで、あまり意味のないことだと気づいている。繰り返し記憶して、地図を正確に記して、安全に旅を進めようとしているようなものだ。

何かがおかしいな、と気づいた。紙とペンがあるなら、画家としたら何をするべきか。「私は波でなく海そのものだ」。すると別の声が聞こえる。「あなたは画家の前に人間だ」と。するとこう答える声がする。「人間の前に魂だ。魂は表現されたがっている」。

何気なくペンを動かすことを控えるようになったのはいつからだろう。無意味な線をゆらゆらと動かすより、思考が現実化する文字に頼るほうが安心を覚えた。そう、この日記のように。
阿頼耶識という潜在意識がある。自分の意識する世界より、何段も深い意識世界。それは波の奥深く、光の届かない深海のよう。
言語化だけが全てではない。言語化に頼りすぎである。

という気づき。

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画家・ペーの日記
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