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どこへ行く、ぺーくん。

懐かしい記事が出てきた。


20代のころ、井の頭公園で似顔絵を書いていたときに、老舗の美術雑誌「美術手帖」のいちコーナー「ウルケンさんが行く」から取材を受けたことがあった。

300円で絵を描いていた。


このコーナーは駆け出しのイラストレーターが売り込みに行くまでを追う内容だ。
僕は大学を休学して、お上りさん気分だったので、いきなり売り込みに行くと言う場面で腰が引けていた。しかも「文藝春秋」だという。
公衆電話でアポを取り、ファイルをまとめていざ本社へ向かう。

25年前、時代である。

その時に見ていただいた編集者の女性から、いろいろ丁寧にアドバイスをいただいた。何しろ、イラストのコピーにセロテープがくっついているほどの、ど素人にも程があるひどいファイルを丁寧に。お礼に編集者の方の似顔絵を描いてプレゼントした。

この一連のアタフタぶりを美術手帖のライターさんも笑っていた。これはネタになるなって感じで。微笑ましかったのだろう。こんな記事も載せていただいた。

どこへ行く?

どこへ行く?〇〇くんコーナー。僕だけのコーナーなのか忘れてしまったが。当時僕は、似顔絵のほかに現代アートをかじっていて、路上でパフォーマンスをしていた。ビニールのマスクを被り、スーツをきて、表参道の路上で日がな一日たっているパントマイムだ。

「イラストにとどまらずいろんな興味がある」とフォローはされていたが、完全にライターさんもいじっている。笑。

「どこへ行く、ペーくん」

さて、この懐かしい記事を幼馴染に見せたところ、「この文藝春秋の編集者の方って今何をしてるんだろうね」と聞いてきた。
そこで調べてみたら、驚いた。もはや日本屈指の装丁デザイナーとして活躍しててのだ。数々の名著の装丁を手掛けていた。
すごい方にイラストを見ていただけたんだな・・。

この25年間を思う。その方や、関わったイラストレーターや小説家やデザイナーにも、そして僕にも「25年」という時は平等に与えられた。それぞれの道があり、それぞれの選択や、生き方があるのだろう。

僕は絵画教室を終えて、満員電車の中で、しばらく呆然としていた。その時、声が聞こえてきた。

「おかえり、ぺーくん」。

どこへ行くかわからなかった駆け出しのイラストレーターは、25年が経ち、自分の場所を見つけた。それは決して華やかな場所ではないし、才能輝く舞台でもない。
ペーくんの旅は、未曾有の東日本大地震や両親の他界、そして動物たちの命を描く中で、「生きることと死ぬこと」の意味を模索し続けてきた旅だったと言える。

20代、鹿児島から宗谷岬まで自転車でたどり着いたときに、旅はここで終わったのだと思った。しかし、本当の旅はここからだったのだ。彷徨い続けたペーくんは、我が家を見つけた。生死感という世界を。そうしてまた再び、旅を続ていくのだろう。
過去には決して交差しない旅の道のりを、新しく出会った仲間たちと歩んでいく。

おかえり、ぺーくん。
あなたが見つけたあなただけの旅は、まだまだ始まったばかり。

そして、あらためて、このキッカケを与えてくださった、ライターさんや装丁家の方に、感謝の念を綴りたい。何も知らなかったあの場で、前向きな未来を見せてくださったことは、とても幸運なことだったと思う。その後、いろんな辛酸を舐めて這いつくばって絵を描き続けられたことも、実は、この場の未来の力が大きかったかもしれない。

ありがたい。ありがたい。
その恩は、僕自身の旅で返していのう。

おしまい。

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画家・ペーの日記
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