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「ボクは岬太郎」岬くんとの共通点。

キャプテン翼の大人気キャラといえば、岬太郎。
父親が画家のために、全国各地を転々とする中でも、明るさと優しさを失わない。

全国大会優勝のあとに旅立つ岬くんに、メッセージの入ったボールをシュートしたシーンは、今でも忘れられません。

岬くんあっての翼くん。仏教でいう、慈愛と利他の精神とは、彼のことを表すのではないでしょうか。

そんな岬くんと私が共通することがあります。サッカーではありません、悪しからず。汗

岬くんは、絵を描くためにフランスへ旅立つ父親から、「自分じゃ、何もしてやれない。別れた母のところに行きなさい」と言われました。断腸の思いです。
初めて会ったお母さんは、岬くんとそっくりで、新しい家庭も築き、温かい家庭に岬くんを迎え入れるつもりでした。

岬くんはこう言います。

ボクは岬太郎だもん!

泣けますよね。。。
岬くんは、父のことが大好きだったし、「この父についてあげなければ」と思ったのかもしれません。
そして父が画家として真剣に向き合う姿を見てきこともあるのでしょう。

才能あるライバル、友情育むチームメイトたちの中でも、岬くんの住む世界は、群を抜いてシビアです。しかし、悲観することなく、いつも前を向いて、純粋で優しい岬くん。なんて魂の綺麗な子なのでしょうね。

さて、このような美しい話の後で、ドブのような思い出話を続けることは恐縮ですが、、。

子供にとって究極の選択とは「両親のどちらを選ぶか」ということではないでしょうか。そして、選択の権利が、子供に託されたとしたら・・。

私の場合は、6歳。小学校に入る前のことでした。当時は宮崎に住んでいましたが、家庭環境はめちゃくちゃで、母は実家に帰ることになりました。
当然、借金まみれで傍若無人な父の元には置いておけないと、母は幼き妹と私を実家の祖母の元で育てようと決めてました。

しかし、私の取った選択は、父と共に宮崎に残ることでした。

それは確かに、岬くんと同じような心持ちとだったかもしれません。もちろん母も大好きでしたが、祖母の元では、母も妹も安心だろうと思いました。そして、「この人はボクがいなければ・・」と、父のことが心配だったのです。

それから丸2年。
借金取りの○○ザさんが家に詰め寄り、家の家具がどんどん差し押さえられる中で、共に父の造園業を手伝ったり、夜の屋台でラーメンをすすったり。父子とも、一生懸命生きていました。

そして借金を清算したのか、首が回らなくなったのかは知る由もありませんが、3年後、ふたたび母の実家である鹿児島で再スタートをすることになり、家族はまた一つになりました。

それでハッピーエンドになればいいのですが、逆に修羅場がまた再燃し、中学生の頃には再び離散してしまうことになります。

父はそれから20数年行方不明になりましたが、警察に発見された時には、山奥で慎ましい自給自足の生活をしていました。屋根や納戸には穴が開き、部屋は蜘蛛の巣が張る肋小屋でしたが、出家した老僧のような、静謐な暮らしぶりを感じました。

独居老人の父を気にかけてくださった民生委員の方に、こう言いました。

「今まで本当にありがとうございました。ボクは、息子の長友心平です」と。

再会した3年後。父は他界しましたが、絵心を教えてくれた父は、今でもかけがえのない存在です。
両親を通して、幼少時代の「生き別れ」と、大人になってからの「死に別れ」。2度の別れを経験をして、人生とは何たるか、深く考えるキッカケになりました。

40代になっても、岬くんの純粋さには遠く及びませんが、いつだって優しさと思いやりを忘れず、息子にも伝えて行こうと思っています。

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