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ある肖像画

今日の絵画教室で、イラストボードに描いていた生徒さんの絵を見て、ふと思い出したことがあった。(最近、過去を思い出すことに集中してるせいもあるんだろう)。

中学生から高校生まで、母の実家で暮らしていたのだが、ある日、本棚のからベニヤ板を見つけ出したことがあった。引き出すと、女性の油絵が描かれてある。下には母の名前が書かれてあった。つまり、父が結婚前の母を描いた油絵というわけだ。
なかなか達筆でリアリティのある絵だ。若い頃の母にそっくり。そして、熱心に筆を重ねている跡がみえる。油絵独特のレトロ感と、緑と茶色がかった暗い画面が、当時はあまり好きではなかったが、父と母にもそんな時代があったんだなぁと思うと不思議な気持ちになった。
あのベニア肖像画、あれからどうしたんだろう。実家を離れてから行方はわからない。実家を引き払う時の大掃除でも見なかったような気がする。

そんなことを、もう何十年も忘れていた。生徒さんのイラストボードの薄さとその大きさと色合いを見て、ふと思い出した。金魚掬いのように。

そして今ならよくわかる。その肖像画の意味を。僕は画家になり、25年あまり、何万枚の肖像画を描いてきた。人も、動物も、自然の中の姿も、そして心臓ですら。その人が自分だというならば。
若かりし母は嬉しかっただろう。母は、画家モディリアーニが好きなくらい良いセンスをしてた。恋人のモデルになるのは緊張しながらも、嬉しかっただろう。
それから数十年経って、母自体も忘れている埃を被った肖像画を、息子の僕が見つけて、時々部屋で眺めていた。不思議だ。あそこには、何かの想いのエネルギーが詰まっていた。大切な恋人を描く。それ以上の絵画があるだろうか。自己表現を遥かに超えた尊い作業だ。

人生の後日談というのは、ハッピーエンドばかりではない。父と母は僕が生まれた五年後には別居して、よりを戻し、また別居。離婚した。母はその後、父に会うことなく60歳で他界した。失踪届を出し、ようやっと見つけ出した父は、母の死を聞いて涙した。その父も75歳で他界した。僕は家族としての人生の一部始終を見てきた。それはもう、いろんなことがあった。その上で、紛れもない真実がある。

僕が生まれてきた、ということだ。

あの肖像画。集中すればするほど、鮮明に思い出してくる。それは記憶に残されていたのではなく、心に残されてきたのものだ。形を変えて現実に現れる。僕自身の表現を通して。

大切なのは「何が描かれたのか」ではなく、「何を描こうとしたのか」。父は、母を描こうとした。それで全てOKだ。
そうして今、僕はここにいる。

おわり。

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画家・ペーの日記
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