エレーナのインコ
(福音館書店あらすじより)
エレーナのかあさんは人形作りです。市が開かれる日、かあさんが人形を売るのを手伝いにいったエレーナは、鳥売りのおじさんからインコの雛をもらいました。ペロンと名付けたインコをエレーナは大切に育てました。ところがある日、ペロンは雨に打たれて死んでしまい・・。
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息子に読み聞かせをして、感動した絵本。
絵のタッチもとてもほのぼのしてますし、世界観も異国な感じです。作者夫婦がメキシコ滞在の時の思い出を絵本にしたそうです。
エレーナは悲しみに暮れていました。ペロンが死んだ原因は、エレーナにあるからです。するとお母さんが土を渡し、「これで何か作ってごらん?」と今言います。彼女は愛するペロンを作ろうと思いました。するといつのまにか涙も消え、大きな目を見開いてこちらを見つめるペロンが完成しました。
彼女はどんどんたくさんの人形を作っていくのです。猫や犬やワニやライオンや、いろんなものを・・。
やがて彼女は大きくなって、母親以上の人形づくりの職人になり、そのアトリエには、初めて作ったペロンの人形がいつまでも見守ってくれているのでした。
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この絵本をみて、
まさに僕のことだ・・。
と感じました。
大きな悲しみと後悔を、表現として昇華させていくこと。一つの命は、芸術を通してたくさんの命に変化していく・・。そうやって僕は絵を描いてきたし、まさに、生徒さんが失われた愛する命を表現するお手伝いをしています。
自分のことを受容してもらった気がして深く胸を打たれました。自分のことだと思えることで、救われたようになるのは、芸術の力ですね。音楽も小説も。
さて、ここからです。
「ペロンは死んじゃったけど、いつまでも人形になって見守ってくれているんだね」と自分の感想を伝えたら、息子は
「生きてるよぅー!」
と得意げに答えました。
「ほらパパ!見て?このページ。生きてるじゃんペロン」。
息子には、もう生きてるようにしか見えないのです。
その時、ドキッとしました。子供にとって生と死の区別はあまりわかりません。死んだら天国にいき、生まれ変わったり、オバケになって守ってくれたりすることは、日頃お話してました。ママ側のじぃじとばぁばがいるのに、なんでパパ側のじぃじとばぁばが居ないのか、いろんなところで伝えてきました。
そう伝えることで、大人としての僕は、死んでしまったら、遠いところにいて、見守る存在になると信じ込んでいました。
しかし、息子の理論からしてみれば、僕が絵に描いてきた亡くなった家族たちは、まさに「生きている」のだと言うのです。信じてる、というレベルじゃなく、本当にそう見えていると言いますか。
生と死を分けているのは大人の方でした。いろんな理解をしてきたことで、根本的なことを忘れていたかもしれません。
今、この絵は生きているんだ。
そう、深く深く思えたなら、絵はどのように息づいてくるのか。
かつての芸術家たちの残した作品も、まさに「生きている」と深く理解して作り上げてきたからこそ、何百年も我々に感動を与えてきてるのではないでしょうか。
モネの睡蓮の光の揺らぎが失われないのも。シーレの自画像がさらに強くこちらを見つめるのも。ピカソのゲルニカが今も悲鳴を上げ続けるのも。そこに1ミリたりとも「偽りのもの」がないからではないでしょうか。
あらためて自分の絵画のことを考えます。偽りのもの、創作的なもの、それらがどのくらい混ざり込んでいるのか。
どこかで諦めて、これでいいと納得してるのではないか。
自分の行っていることの重要性をどれだけ自覚しているのか。
芸術の力の一端が、深い治癒であり、自然の摂理であり、新たなものを生み出す昇華であることを、この絵本から学びました。
そこにどれだけ集中して、理解できるかが、自身の表現を磨く鍵だと思います。
まさにそれが「生きている」ということを。