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赤城山登山と、古墳王国「群馬」

11月5日(月)、6時半に車で自宅を出発。関越道を北上。

今年3回目の群馬県へ。

日本百名山「赤城山」へ登るためです。

高速で一度だけトイレ休憩をしつつ、3時間で登山道の駐車場へ到着。

赤城山と言っても、得意の八ヶ岳同様、山全体の総称です。今回登ったのは黒檜山くろびやま という、赤城山の最高峰の山です。

赤城神社(周辺にいくつかありますが、ここは大沼の湖畔の神社)近くの駐車場からスタートです。

今回もほぼ写真の、旅紀行のnoteです。

さて、こちらの山、登り始めて驚ろかされたのは、

のっけから急登の岩場の連続!これはなかなかないです。
途中の景観。大沼を眼下に。
岩場は大好きなです。だから楽しすぎました。

もちろん、地下足袋登山です。地下足袋は険しい道ほど効力を発揮します。

1時間半、のコースタイムだけど、動画とかちょいちょい撮りながらでも、1時間ちょっとで到着。楽しくてついついペースが上がってしまった。

この日は11月5日、月曜日。天気予報は曇りでした。午後は雨マーク。

だから正直、前日まで行くのを迷っていたんです。

でも、赤城山には年内、雪が積もり前に行きたいなと思っていたし、週半ばからぐっと気温が冷える予報だった。

「行っておいでよ。なんとかなるよ」

と嫁さんに言われ、行ってみると見事に晴天でした。行ってよかった。

山頂で食べる飯は最高です。ランチのつもりで握っていったけど、10時40分は、遅めの朝飯か、早めの昼か。
古来より、祈られてきた山です。
向こうにある湖が小沼、というそうです。今度あっちも行ってみたいですね。
大沼は美しいです。
駒ヶ岳へ縦走。
鉄階段を下り、下山。

麓に下りる。午後12時半ごろ。

かなり観光客がいて驚きました。
紅葉シーズンですからね。
赤城神社へ、無事に下山できたことに感謝。
小腹が空いたので、こんにゃくを食べる。こんにゃくは腸のお掃除をしてくれます。

その後、車に乗り、赤城山を抜けて北上。

吹割渓谷。
ぐるっと一周歩くと、けっこうな距離を歩けます。
吹割の滝へ。これは圧巻です。超絶おすすめです。

実はここ、吹割の滝も妻の強いすすめで行ってみました。妻は若い頃から何度もここに訪れているとか。行ってよかったです。

ただ、このあと、山も登ったからでしょうか、この滝を見てて、頭がくらくらして、しばらく動けなくなりました。エネルギー酔い、ってやつですね。たまにあります。

だから駐車場に戻ってから、車の中で10分くらい目を閉じて休憩しました。

その日は前橋駅のビジネスホテルへ泊まりました。十分、都内から日帰りで楽しめますが、せっかくですから、色々と他にも行きたいなと。

ちなみに、ホテルの近くに温泉があり、

まえばし駅前天然温泉ゆーゆ

ここは最高でしたね。ここはまた行きたいです。サウナもあり、水風呂も多分だけど湧水です。

ただ、サウナの中にテレビがあり、そこで、大好きな漫画家「楳図かずお」さんの訃報を知りました。

僕は、昔から何度もこの人に吉祥寺で見かけています。

まあ、格好が目立つってのもあるんですけど、一度なんかカフェにいて、隣に座ったことも。

漫画も大好きでした。有名な「漂流教室」「わたしは慎吾」はもちろん酔いましたし、リアルタイムでは「神の左手悪魔の右手」「14歳」など、中高生の頃に読んで、その画力を世界観に、頭を殴られたような衝撃を受けたものです。

88歳の高齢とはいえ、訃報に少なからず驚き、色々と思うところありました。サウナ瞑想で、ご冥福を祈りました。

さて、翌日。まずはもう一つの赤城神社へ。

早朝の静寂。
この湧水は、湧水ソムリエの俺を唸らせる水だった…。

素晴らしい神社でした。ここはまた来たいですね。お近くに行ったらぜひ行ってみてください。

さて、タイトルに「古墳王国」とありますが、実は群馬県って、文字通り日本屈指の古墳県(?)なんです。

古墳の多さでは、東日本ではトップの数ですし、縄文時代や旧石器時代の遺跡もあります。

このような、私の大好物の「巨石」もたくさんあります。

こちらは大室古墳群。大きな公園になっています。
猫さんもいます。
近畿地方の前方後円墳は「宮内庁管理」で、立ち入れない古墳がほとんどですが、こちらは、天皇家とは関係ない(と思われている)豪族の墓ってことで、自由に立ち入れます。そこがいいですね。

神社やお寺にも、巨石祭祀の名残があります。

やはり、猫さんもいます。
しつこいですが、猫さんもいます。

写真では巨石って、大きさが伝わりませんが、見応えのあるものが多かったです。

短い旅でしたが、古代の息吹に触れる旅となりました。

北関東は広大な平野です。かつて、海面が高かった頃は、東京のあたりは海でした。だから北関東の平野は海も近く、温暖で住み良い場所だったのでしょう。

ただ、それは大和朝廷とどのような関係なのかはわかりません。

だから、今の歴史は九州〜近畿地方中心の日本の発展となっていますが、当然、中部や北陸、関東や東北にも人がいて、独自の文化圏を築き上げてました。

しかし、歴史は常に勝者が作るもの。東側は「蝦夷」などの「蛮族」の国として征伐された、ということになっています。

ほとんどの真実の歴史は葬られてきましたから、真相はわかりません。しかし、直接足を運び、思いを馳せると、何らかの息吹や、気配を感じることがあります。

そして、かつて捧げられた平和の祈りがありました。

その祈りは、きっと今の時代に必要だと思っています。

そしてその祈りは「思考」でするものではない、ということです。それではただの懇願、嘆願です。

全身を使って、祈るのです。

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現在、個人レッスン、単発のワンデイコース、3ヶ月の継続コース、それぞれと受け付けています。

一人一人の体とじっくり向き合いながら、一生使える身体操作と、その人が本来の状態を取り戻し、人生を充実してい生きれるように、サポートします。


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