生きるためには役に立たない、ムダなものを愛してる人は、人生が豊かだと思う。(ほとんど無料で読めます)
人生には、というか、人が生きる上で関わるものとして、大きく二つに別れる。
それは「生きるために必要なもの」と「生きるために必要でないもの」
生きるために必要なものは、例えば空気とか、水とか、食料とか、住む場所とか、お金とか、衣服とかありますよね。
ここで「必要のないもの」の定義なんだけど、上に書いたものは「生命活動」の条件であり、やはり「人生に必要or不必要」となると、少し話は複雑になる。
人は食い物だけで生きるにあらず、例えば「充実感」とか「自己価値」とかがどうしても必要になります。そのために「趣味・嗜好品」「認めれくれる人間関係(バーチャルも可?)」などもまた、やはり「必要なもの」になってくるかも。
しかし、ここの「線引き」ってとても難しくて、例えばタワーレコードのキャッチコピーの「NO MUSIC NO LIFE(音楽のない人生はない)」のように、本気で「音楽ないと人生に楽しみがない!」って人にとっては、音楽は必要度が高いけど、音楽が趣味ではない人にとっては「え?別になくてもいいけど?」ってなるだろうから、なんとも基準のつけようがない。
でも、例えばもしも突如「戦争状態」になって、70年前のように、空から空襲されて、爆弾が降ってきて、昼間は憲兵や非国民を探し回る婦人会が目を光らせてて…、みたいな時代だとしたら、ぐんと条件って変わりますね。だって多分、音楽とか、映画とか、グルメだの旅行だの、そういうものは後回しにされる。
だから基本的には、我々の人生において「本当に必要なもの」なんて、実は大してないのかもしれません。「起きて半畳、寝て一畳、天下取っても二合半」なんて諺の通り、知足(足るを知る)ことができれば。
あ、「愛」は必要ですよ(笑)。何事も、愛がないとね。
まあ、愛の話はともかく、人生において「必要なもの」ものなんてたかが知れているとするのなら、
僕がやってることってどうなんでしょう?
ってことですよ奥さん。
僕はこうしてnoteの文章でお届けているのは、実用的な「情報」もあれば、実際の体験のエッセイ的なノン・フィクションもあれば、小説のような「物語(フィクション)」もあります。
実用的な情報は、多分必要度が一番高いでしょうね。だから書籍も「実用書」が一番売れています。だって、充実した人生送るための知恵が書かれている(らしい)のだから、『必要なものを手に入れやすくするための情報』として、人々が求めるのは当然だ。
ノン・フィクションも、ここで想像力豊かな人は「実用の知恵」を見出すことはできます。人の体験って、それだけで知恵の宝庫です。
例えば僕が以前書いた、
これはアホな高校生が、山道を勝手に「近道できんじゃね?」と適当に歩いた挙句に遭難して、ヒグマがいる森の中を半日彷徨い、ヒヤヒヤもんだったという体験談なので、きっとこれを読んだ人は、「そうか!山の中では不用意に見知らぬ道を突き進まない方がいいんだ!」と、学ぶことができます(これを読まなくても賢明なあなたは知っていると思うが…!)。
では、フィクションはどうか?
多分、基本的には一番「役に立たない」ものとして扱われるでしょうね。生きるために必要じゃないし、生きるために必要なものを手に入れるための実用的知恵は、見出せるけど、あくまでもフィクションだから、判例・例証はない。
以前、こちらの本を出版させていただきましたが、
多分これも、数あるスピリチュアル書籍の中で、トップクラスに「役に立たない本」だと自負しています(笑)。だって、ここには「幸せになれる方法」も「金運をあげる方法」も「理想の恋人を引き寄せる方法」も「悟りを開く方法」も何一つ書いてませんからね…。
ただ、それでも僕の「体験談(ノン・フィクション)」なので、僕の辿ったものから、ヒントを得た方はいるかもしれない。だったら「お役に立てた!」と胸を張って言えます。
ですが、今月にKindle出版させていただきました、
こちらの「幸せになりたいの」は、完全にフィクションでございます。つまり、「人生において必要のないもの」として、けっこうなレベルです(笑)。
しかし、僕はですね、こう思います。
人生って、役に立たないものをたくさん愛しているってことが、実は一番豊かなんじゃないかなって。
だって、芸術(アート)全般が「役立たないもの」ですよ。基本的には、生きるために、必要ないものです。
ロダンの「考える人」の像が“お菓子の家”みたいに食えたらいいし、モナリザをジャケットして身に纏って寒さをしのげるとか、モーツァルトの曲を流すと食器が洗えるとか、ビートルズの歌でトイレが綺麗になるとかなら、きっと生きるための役に立つんですけど、基本的にはそのような機能がないのが芸術です。
そもそも「物質」ではないんですよね。アートって。すごい価格で取引される芸術品もあるけど、それは「投資」とかの世界であり、基本的には「心」の世界。生きるためには、肉体のために「物的なもの」が必要とされているので、そうなると「音楽」とか「小説」という、まさしく僕が人生のほとんどをかけて打ち込んでるものが、役に立たないものなのです。
でも、この役に立たないものこそが、人を豊かにします。それは間違いありません。ただ飯食ってクソして眠るだけの人生の人より、いろんな体験して、いろんな趣味とか、いろんな知識がある人の方が豊かです。話してて面白いですよね。こちらも豊かになります。
とにかく、小説なんて読む方は、音楽とかアートを愛する人は、とにかく豊かさがたくさんある!と思いますし、実際そうです。
小説「幸せになりたいの」の主人公のマドカも、実用的な方法論ばかりを思い求め、完全に「心の豊かさ」や「物事の本質」を見失ったからこそ、出会った真実があるのです。
ちなみに小説の方は、たくさんの感想をいただいております。こちらのアメブロにまとめてあります(某ベストセラー作家からの紹介も!)
そして、来年1月16日に、瞑想音楽をメインにしたLIVEをやります。
考えるまでもなく、上記した「音楽」はもちろん、この三次元世界の地球では現在、「瞑想」は、生きるためにまったく必要のないものとしてのポジションを確立をしています。
つまり、音楽と瞑想って、まったくもって生きるために役に立たないもののオンパレードな夜になるということです。
豊かさが溢れていますね(笑)
まあ、断言できるけど、今後の時代は「物質的」なものから、より「精神的」な世界へ入っていくので、瞑想や、瞑想的な意識は、むしろ「何より必要なもの」へ変わると確信しています。
さて、ここからマガジン記事。
あなたは役に立たないものをどれだけ持っていますか?
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言葉を紡ぐ、心を繋ぐ
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