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「神様っているのかな 」#2 (短編小説)

母が足を怪我をしてから、しばらくの間、“アズキ”の散歩が私の日課になった。

私が住むマンションから、母が一人で暮らす実家まではふた駅分の距離。電車に乗るほどの距離でもないので、私が生まれ育った家まで自転車を走らせ、それから柴犬の“アズキ”を連れて近所を散歩する。

運良くというか、ちょうど私が昨年からフリーランスになったばかりで時間が取れるので、母の代わりに散歩をしているのだけど、さすがに疲れてる日などは億劫で仕方ない。

でもこればかりは引き受けざる得ない。なぜならアズキを母に押し付けるように飼わせたのは私だからだ。

3年ほど前に父が亡くなった。母はそこから一人暮らしになった。

兄は関西にいるし、妹はオーストラリアに住んでいる。私は結婚後も近くに住んでいるので、何かと母の様子が気がかりで見てきたけど、いまいち元気がないような気がした。

父はワガママで、家のことなど何一つせず、仕事仕事仕事に情熱を捧げ、家では亭主関白。完全に昭和タイプの父親だった。

定年後は大人しくなるかと思いきや、ボランティア活動に精を出し、やり始めるととにかく猛烈で、いつも家にお客さんを連れて来ていた。

母はずっとそんな父に振り回されていると、私は子供の頃からそう思っていた。

母はよく言えばそんな“子供のような”父の面倒を見ながら、私たち子供を3人育てた。そしてやんちゃな父が亡くなったことで、ある意味荷が降りて、やっと自由に生きていけるのではと思ってたいけど、張り合いがなくなってしまったのか、以前よりも元気がなくなってしまった。

元々おとなしい性格だったけど、話しかけても気づかなかったり、ぼんやりとすることが増えた。70歳。認知症の疑いを持ち始めているし、このまま行くと確実にそうなるのでは、と危惧していた。

「犬、飼ったらどうかな?」

そんな母に対して。そう言ったのは夫の大地だいち だ。「だって昔飼ってたんでしょ?」

確かに実家では、私が子供の頃から犬を飼っていた。父が大の犬好きだったのだ。ただ、父は可愛がりたい時にだけ可愛がるだけでろくに面相もみず、実質犬たちの世話は母か、長女の私がやっていた。

「うーん、私もそれは何度か提案したんだけど、母はもう飼いたくないって…」

犬を飼っていて、嫌なことよりも嬉しかったことや楽しかったことの方が圧倒的に多い。私も今のマンションがペット禁止じゃなければ絶対に飼いたい。子供もいないし、家族が増えて楽しい。

母も一人なんだし、絶対に犬を飼うべきだと思った。散歩をして運動不足の解消にもなる。

でもその提案は受け入れられなかった。もう、悲しい想いをしたくないと、犬を飼うことを嫌がったのだ。

「犬は好きよ。猫も好き。でも、お別れが辛いでしょ。母さん、もう嫌なのよ」

確かにこれまでに3度、ペットを見送っている。母はその度、食事も喉が通らなくなるほど悲しんだ。

毎回「もう飼いたくない」と言ってたけど、父が母の気持ちなど全く考えることのない人だったので、「おし!拾って来たからうちで飼うか!」とか「〇〇さんとこでたくさん生まれて困っててな」と、家族に相談なしで連れて来るのだ。

連れて来た時はさすがに両親の間で一悶着あるが、結局母が折れるしかなく、渋々飼ってるうちに、情も湧く。

「それにね、お母さんったら、もういい年だから、もし何かあったら迷惑かけるとか、散歩も毎日できないかもしれないとか、とにかく言い訳がすごいのよ」

「じゃあ、お父さん方式で飼っちゃえばいいじゃん」

夫は冗談混じりでそんなことを言う。

「さすがにそんな…」

私は呆れながら笑い飛ばしそうになったけど、その作戦はありかもしれないと思った。

とうわけで、妹にも相談し、保険として、犬を2頭買っている友人に最悪引き取ってもらえる算段をつけて、生後2ヶ月のオスのシバ犬を知人のつてで引き取り、その足で実家に連れていったのだ。

「困るわよ!」

もちろん、一悶着はあったけど、私は強引に犬を置いて行った。こう見えて私も実は父ゆずりの強引さがあって、どんなところでも自分を押し通す強さはある。

かわいそうなのは犬だったかもしれない。人間の都合で押し付けられたり、拒まれたり。でも必ずうまく行くという確信はあった。なぜなら、まだ子犬だったアズキは、べらぼうにかわいかった。本当は私が飼いたいくらいだ。

そして結局、母はそのシバ犬に「アズキ」と名前をつけ、とても可愛がったし、散歩に行ったり、まだ小さいアズキの世話を焼くことで張り合いができたのか、以前のように元気になった。

それから1年。アズキはすっかり大人になって、小さなマメシバで小豆アズキ と名付けたのに、この頃は少し太り気味で、態度もデカいし、大豆だいず と改名したいくらいだ。

すべてが順調に行っていたが、母が友人の家に行った帰りに、道に落ちていた木材の釘を踏んでしまい怪我をした。

その時は偶然歩いていた若い男性に病院に運んでもらい、大事には至らなかったが、釘は深く突き刺さり、1ヶ月くらいは歩くのに支障があるという。

というわけで、我が家が元気盛りのアズキの散歩担当になり、夫の大地が休みの時は、大地にも行ってもらうけど、基本的に私の仕事になった。

「悪いわねぇ」

母は申し訳なさそうだったが、なんだかんだで、私や大地が来ることを楽しんでいる。それは娘とか娘婿がというより、一人の「話し相手」が毎日来ることに喜んでいるのはわかった。母は人見知りだし、友人はあまり多くないから、おしゃべり相手が少ないのだ。

☆☆☆

その日、私は母の家に行きたくなかった。

70過ぎて、母も立派な老人だ。だから話し相手も必要だと思うし、優しくしなければいならない。育ててもらった恩もあるし、感謝している。

でも私は今猛烈に腹を立てている。

昨日の夜、大地と二人で食後の晩酌でワインを飲んでいた時に、そのことが明るみになった。

「いや、お義母かあ さんだって悪気はないと思うよ。ほら、話の流れでさ…」

彼は母を庇うようなそぶりを見せたけど、

「なんて言ってたの? 正直に言って!」

と私が言うと、大地は大まかに、母から言われたこと、いや、言われ続けていることを話した。大地のいいところは、嘘のつけないところだ。だからこちらが尋ねれば答えてくれる。

「…ふーん。で、そんなこと散歩に行く度に言われてたの?」

「いや、毎回ってほどじゃないけど…」

「なんで私に言わなかったのよ!」

「なんでって…」

そう、私に言ってるわけじゃない。わかってる。私のためを思ってるから言わないのも、わかっている。

でも、腹が立つ。

「あのさ、お母さんに、きちんと話したらどうかな?」

大地がそう言う。

「まだ決まったわけじゃない!」

私は思わず声を荒げる。

「何度も話し合ったじゃない!自然な形でいいって!」

「いや、俺はなにも…」

「だからお母さんは関係ないじゃない!」

この言葉は、私の頭で考え出されたものじゃない。感情がただ言葉を使って暴れているだけだ。

言葉というものはいくらでも優しする道具にもなるけど、人を傷つける武器にもなる。そして大地は私のギザギザの感情を纏った言葉を浴びることになる。

彼は優しいから、私が落ち着くまで黙って聞いている。言い返したりしない。わかっているのだ。言い返したら、私がもっと感情のお化けになって、私自身が傷ついてしまうことを。

私は子供ができにくい体質だ。

いや、できにくいのではない。婦人科のクリニックの医師の話では、その「可能性はまずない」とのことだ。

結婚をして、男と女がすることをしていれば、子供なんて自然に授かるものだと思っていた。不妊という言葉自体が、私には縁のないものだと思っていた。ドラマや映画の中の話だと思っていた。

でもそれが私の「現実」だった。

子供が欲しいと、強く思ってはいなかったけど、いざ「できない」と医師から告げられると、それは私の全人格、全人生を否定されたかのような大きなショックだった。

頭ではわかっている。私という人間の価値はそんなところにない。でも、何か生物的な欠陥を指摘されたことで、私はひどく傷ついた。

「二人でいいじゃない。楽しくやろうよ。まだ完全に決まったわけじゃないし、そうなったらそうなったで考えよう」

大地はそんな欠陥品の私を受け入れてくれた。彼は子供が好きだし、確かにとても良いパパになると思う。でも、私のせいで彼の人生から「父親」という選択肢を奪ってしまうことへの罪悪感もあった。

それでも、大地のはげましもあり、わたしはその事実を少しずつ受け入れて行ったし、子供を産まないという女性の生き方への覚悟を決めて行った。

しかしその過程で、何度か母に言われたことはあった。

「あんたたち、子供は?」

私は不妊のことを話さなかった。言いたくなかった。

初めはやんわりと話を逸らしたけど、2回3回と言われると、私は感情が爆発してしまい、「干渉しないで!」と怒鳴り散らし、それ以来母は私に子供とか孫とか、そういうことは言わなくなっていた。

だけど私の知らないところで、大地に「子供は作らないのか」と何度も言っていたことは腹立たしい。

(なんて言ってやろう)

自転車に乗りながら、母にピシャリと言うべき言葉を頭の中でシュミレーションをしていた。家には行きたくはないけど、アズキのためにも、行かねばならない。でもどうせ行くのなら、もう2度と大地に対してそんなことを言わないで欲しい。彼だって、きっと、苦しいのだ…。

「あら、チエちゃん、お邪魔してます。お久しぶりね」

「はぁ」

私は鼻息荒くして実家に乗り込んだけど、家には近所の山岡さんの奥さんが来ていて、リビングで母と二人でお茶を飲んでいた。

「アズキちゃんのお散歩?偉いわねぇ。子供の頃からしっかりしてたもんね〜。あなたは幸せね、こんな優しい娘さんが近くにいて幸せね!」

山岡さんは母に言う。「私なんて息子たちはみんな遠くにいるから、年に一度も帰ってこないわよ」

山岡さんは、もう10年以上前に夫を亡くして未亡人。だけど母と違い、ダンナが死んだと思ったら韓流タレントを追っかけたり、あちこち旅行に行ったり、とにかくアイクティブに人生を謳歌している。

そして、孫もいる。

「チエ、あんたもお茶していく? もらったお菓子があるのよ」

母は私が怒気を含んでいることに微塵も気づくこともなく、呑気に私に茶菓子を勧めた。

私は母の顔を見て怒りがぶり返す。しかし怒鳴り散らしたいのを山岡の奥さんの手前グッと堪えて、

「ううん、今日は急いでるの。とにかく散歩して来る。アズキ!おいで!」

私が呼びかけると、山岡さんにおやつをもらって懐いていたアズキは、私にむかって駆け寄る。頭を撫でて、リードをつけ、急足で家を出た。

☆☆☆☆

実家から、歩いて数分で川があり、川沿いの道は散歩コースになっている。そのまま公園に繋がっていて、そこを通って橋を渡り、川の反対側ぐるりと大回りして家に戻るという3、40分くらいの道のり。

仕事がデスクワークなので、私にとって母の家までの自転車と、この散歩は良い運動になっているのは事実で、この1ヶ月で体重が落ちたし、ウエストが締まり、便秘が解消された。

しかし、母もそろそろ普通に歩けるようになって来ている。いい加減にこのサービスも終わりだ。母は自分で散歩をしなければならないし、私は自分の運動は自分でするのだ。

私の頭の中のおしゃべりが中断した。目の前を、小さな子供を連れた母親が通ったからだ。

こうしていつも散歩をしていると、小さな子供が目に付く。赤ちゃんと母親。小さな子供と母親。平日だから、幼稚園に入園する前の子供が多い。

そして今日はやけに、子供が多い。

私の意識のせいかもしれないけど、子供が多い気がする。いつも気になるけど、今日は一層気になる。

小さな子供はかわいいと思う。赤ちゃんはかわいいと思う。

でも、その子も、その母親も憎らしくもなったりして、私はそんな自分が嫌になる。

(世の中は、不公平だ…)

どうして私は子供ができないのか?何かバチでも当たったのだろうか?罰だとしたら、一体私が何をやったというのだろうか?

そんなことを考えながら歩いていると、

「あ!かわいい!」

私の後ろから小さな女の子がそう言いながら、私を追い抜き、アズキに向かって駆け寄って行った。

その女の子は“小さい”と言っても5、6歳くらいだろうか? この時間にこのくらいの年の子は逆に珍しいかもしれない。今時珍しく、三つ編みをおさげにした髪型で、クロックスのサンダルを裸足で履いていた。

「あの、この子、触ってもいいですか?」

女の子は礼儀正しい態度で、私にそう尋ねて来た。

「うん、いいよ」

私はさっきまでの滅入っていた気分を変えて、いや、気持ちを抑え、笑顔でそう答えた。

アズキは人間に慣れていて、子供相手でもちっとも嫌がることない。

その女の子はニコニコしながら、アズキの頭や背中を撫でた。犬に慣れているようだ。アズキも匂いを嗅いだり、手を舐めたりしている。犬は人の心がわかる。きっとこの子は優しい子なのだろうと思った。

私は周りを見渡すけど、親らしき大人が見当たらないので、不思議に思う。

「ねえ、お嬢ちゃん、君ひとりなの?お母さんは?」

私がその子に尋ねたけど、

「あ、そうか…」

と、撫でてる手を止めて宙を眺める。

「ワタシね、神様にね」

私の質問にはまったく答えず、女の子は私の顔を見上げながら、屈託なく話す。真っ直ぐに目を見つめながら。思わず、その純粋な視線に目を逸らしそうになる。

「犬が欲しいって、お願いしてたの!でもね、うちのマンションはね、飼っちゃいけないの。ママが我慢しなさいって。でも、ワンちゃんには外でこうやって遊べるだね。あ、この子、名前はなんていうんですか?」

「え?ええ…」私はその子の勢いにやや押されながら「アズキっていうの。男の子よ」

「アズキちゃん!こんにちは」その子はアズキの顎の下を撫で回し、「ねえ?いつもこの辺お散歩しているの?」と立て続けに質問する。

「そうね。大体、ここは散歩コースね」

母も多分、ここを通ると思う。

「じゃあまた会えるね!」

そう言って彼女はアズキの顔を撫で回すと、アズキもその女の子の顔をぺろぺろと舐め回した。

「ワンちゃんが好きなんだね」

と私が言うと、

「神様って、なにかくれるんじゃなくて、教えてくれるんだね。こうやって」

と、無邪気な顔で言った。

(教えてくれる?)

「何を教えてくれたの?」

私が続けてそう尋ねたけど、

「ほら、そこにも神様がいるよ」

と、女の子は私の質問に答える気がないらしい。そして私の後ろを指差すので、振り返りそちらを見る。

私の立っていたすぐ後ろに、小さな鳥居とその中に木箱のような神棚のような神社が目に入った。建物と建物の隙間にそれはあった。

(あれ?神社? 前からこんなのあったっけ?)

いつも川の方を見てるか、アズキを見ていることが多いせいか、反対側の建物の影にある隙間なんて見てないし、立ち止まらないと気付けないだろう。

ずいぶん古いものに見えたけど、手入れはされているようだ。

わたしはリードをぐっと握る。その先ににアズキがいるのを感じながら、その木箱のような神社に手を合わせ、目を閉じた。

何を願っていいのかわからなかった。子宝に恵まれると評判の神社に、何度も通った。もう、子供が欲しいなんて願いたくない。願うたび、苦しむだけだ。

(違う…)

女の子の話してたことが、私の中でようやく意味を帯びた。

(神様…。わたしは、子供はいりません。なぜなら、今とても幸せだからです。何不自由なく生活できているからです)

初めてそんな風に思えたかもしれない。そうなのだ、私には、本来何も問題がなく、むしろ幸せなのだ。ただ、子供ができないというだけで、まるで自分が不幸になったような気がしていた。

でも、この心が晴れますようにと、さらに祈る。この優しい、清々しい気持ちのままでいられますように。子供がいなくても私は幸せだって、平気だって、そんな強い心を、私にください。

そう祈ると、涙が込み上げて来た。なんの涙なのかわからない。悔しいとか、悲しいとかではないけど、とにかく、いろんな感情が溢れた。

ここ最近、泣いたことはなかった。泣いても、感情的になって、自虐的になるような涙。でも、この涙はそういうのじゃない。心だ。私の心が、助けられるんだ…。

(神様って、いるのかな…)

こんな気持ちになったのは久しぶりだった。さっきまで母親に腹を立てていたこと、散歩していて、目に入る母娘たちの姿を見て胸をざわつかせてたこと。

でもいろんなことがどうでも良くなった。

胸の前で合わせていた手を下ろす。神社、とも呼べないような小さなおやしろ のおかげなのか、この女の子のおかげなのか、胸がすっとして、風が吹き抜けたかのような軽さを感じた。

「おしっ!」

これはお父さんの口癖。私はお父さんの真似をして言ってみた。

父は気合を入れて仕切り直す時に、いつも「おし!」と言う癖があった。この一言で、全部水に流されるというか、リセットされてしまう、魔法の言葉。

水道管が破裂して困った時も。キャンプ場で車が故障した時も。妹が入院した時も。おじいちゃんが事故で亡くなった時も。お母さんが一度だけ家出した時も。「おしっ」で、乗り切っていたし、私たち家族も、その言葉を聞いて安心した。

あまり女性が使う言葉じゃないから使ったことないけれど、いざ口に出してみると、なんだか元気になる。

涙を拭って、振り返る。仕切り直して、歩き出す。

「あれ?」

振り向くと、そこにはアズキが退屈そうに座っていて。そして耳の下を足で掻きはじめた。

「ねえ?あの女の子は?」

アズキに尋ねてもわかるはずないのに、私は思わず尋ねてみる。もちろんアズキは何も答えない。きょとんとしている。

見通しが良い場所ってわけではなく、細い道もある。だから私が後ろを向いている間にさっとどこかへ行ったのだろうけど…。

(あの子が、神様だったのかな)

なんて思うほど、不思議な子だったし、見事な消え方だった。

「わんっ!」

アズキが突然声を出した。早く行こうと、急かす時の合図だ。

「はいはい、わかったわよ!」

私はリードをしっかりと握り、颯爽と川沿いの道を歩き出した。

終わり

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