愛と平和のために。
☆ 新刊「KYOMU」
☆ 出版記念トークイベント開催
5月13日(土)東京 → 詳細、お申し込み
5月21日(日)大阪 → 詳細、お申し込み
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「もしジョン・レノンが、ビートルズで有名にならないでイマジンを歌って、ラブ・アンド・ピースを訴えたら、それは説得力あるだろうか?」
僕が中学生の頃、父が言ってた言葉。とても印象に残っているし、その通りだと、納得して膝を打つ。
多分、兄貴がビートルズ狂いってくらいビートルズとジョン・レノンが好きで、その影響で僕もかなり好きだった。そこで何かの会話で、ジョンの思想について触れたのだと思う。
普段、家族で会話なんてあまりなかったけど、何かの拍子でそんな話になったのだろう。
兄は、いかにジョンの思想がすばらしいのか、世界には愛が必要なのかを熱く語った後、父が「お前がいくら愛だの平和だの語っても説得力がない」と、兄の生活のだらしなさなどを述べて、口論になり、冒頭のセリフになった。思えば父と兄はしょっちゅう口論していた。
「幸せの青い鳥」じゃないけど、我々は目の前にある幸福に気づけず、あっち行ったり、こっち行ったり、シーソーゲームを繰り返し、最終的に気づく。
「目の前の幸福に気づこうよ?」と、幸せの青い鳥は示唆しているのだが、どうしたって我々は自分自身であれこれ体験しないとなかなか気づけないという、やっかいな設定の元で生きている。
ジョンレノンが「愛と平和」を語り、歌うようになったのは、彼の幼少からの生い立ちはもちろん、ビートルズというバンドで世界中に影響を与え、ショー・ビジネスの中では、汚い世界にもたくさん出会っただろう…。
それらをジョンは通過した上で、
「やっぱ人間、愛と平和だよね!」
となったのだろう。確かに、高校生の(中退してるが)兄の語る愛と平和なんて、親父からしたら薄っぺらく感じただろうし、実際ぺらっぺらだ。
この動画で話したけど、
基礎や土台がないのに、上部の綺麗な部分や、派手な部分だけを取り出しても、それはスッカスカなんだよね。
もちろん、そのスッカスカのペラッペラでも、わからない人にはわからない。多くの人が、美辞麗句を真に受けるから。
しかし、わかる人には一発でわかる。だからいずれ露呈する。
僕らが何を語るにしろ、伝えるにしろ、自分のあり方を決めるにしろ、「正直」にやるしかないし、「本音」でやることが何よりも大事だ。
そしてその本音を引き出すのは、「〇〇すると本音で生きれるよ」という情報や知識ではなく、やはり個人の「体験」だろう。いや、体験しかない。
僕らは体験という物語を通して、気づき、学び、成長していく。仮に「愛と平和」が人類の最終的な「答え」だとしても、多分こうして文章で読む「愛と平和」も、誰かが語る愛と平和も、それは「答え」とは程遠いどころか、むしろ遠ざかっている気がする。
スピリチュアルの世界では、この世界に「ドラマ」や「ストーリー性」からの脱却を説くものが多々あり、僕も「瞑想」などを通して、その意味や重要性がわかる。
しかし、我々がストーリーから離れるために、ストーリーを体験して成長させ、俯瞰した目を持つことが必要だ。
ストーリーから離れるために、ストーリーを必要とするという矛盾。
先日、オンラインでこんな会があった。
拙著『KYOMU』について、たくさんの感想をいただきました。「好きなシーン」とか「〇〇って怖いよね」「〇〇がせつなかった〜」とか、シェアしていただきました。
とても嬉しかったです。様子は録画したけど、自分の中にとどめたいし、一緒に共有したメンバーだけの楽しみってことにしておきます。
この本は小説です。実用書とは違って「〇〇すれば▲▲になる」と、方法論や効果効能を謳ったものではなく、物語を読むことで体験しながら、その中で問題提起があり、疑問と思索があり、葛藤があり、その中で自分なりの感覚に落とし込むことが、小説というものです。
多くの人が、小説や音楽を「娯楽」という位置づけにしか見ていないと思う。なぜなら、「役に立たない」から。
資本主義の物質世界ゴリゴリの時代に生まれ育った我々は、「生産性」と「効率」が重要視される。芸術は仕事のストレス緩和としての「娯楽」であり、または金持ちの
投資の対象だったりする。
しかし、アートこそが、古来より、我々が神性とつながる唯一の儀式だった。音楽は、そうやって発展しつつ、音楽は細分化され、やがて神との繋がりを失って久しいが、それでも伝統が残っていたり、大きなヒントが掲示されている。
文学という芸術は、なんといっても「物語」を体験することで、さまざまな共感、洞察が起こり、自己成長が起きる。
ぜひ、まだお読みになってない方は手にとって(Kindleもあります)読んでほしいと、素直に思います。
僕も自分の人生の体験、経験を通して、今こうして文章や言葉、歌で表現している。伝えたいことを、伝えている。
自分の見つけた真理を、分かち合いたいと思っている。だけど、それはあなたに「体験」していただかない限り、そしてあなた自身があなたなりの感性で見つけていかないとならない。
もどかしいけど、とても面白いし、そんな出会いと交流と対話の中で、お互いのハートの奥で、何かが共鳴し、新たな(それは僕一人では思いつきもしない)洞察や、世界観とかが生まれてくる。
愛と平和。これに尽きると思います。しかし、この愛と平和は、外側からもたらされる言葉でも概念でもなく、内なる神性にあるものです。本当は、誰しも知っている。だけど、あまりに外の世界に影響されすぎて忘れているだけ。
思い出すために、物語があり、歌がある。僕はそう思っています。
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