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「Re:無題」

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Re:無題

△△〇〇  〇月〇日 20:18

「ご無沙汰しております。メールのお返事、すっかり遅くなってしまいました。

返事をするまでに時間がかかったのは、私なりに、どう伝えようかと悩んだからです。

結論から言わせていただくと、もうあなたと会うのをやめます。ですから、今回のお誘いはもちろん、今後も、私のことは誘わないでください。

実際、私たちの交際は、8ヶ月前に終わってますよね?でも、別れてからも何度かあなたに会い、結局私も寂しさからなのか、情に流されたのか、ついつい誘われるまま、食事をして、ホテルに入ってしまいました。でも、もうそんな中途半端な関係はやめようと思います。

あなたが私の事を都合の良い性的なはけ口にしたとしても(あなたはそれを認めませんが)、それを責める気はありません。だからあなたを憎んだり、そういう気持ちでこの文章を書いているわけではありません。それは理解して欲しいです。

でも、以前は、正直に言うとあなたのそんな都合の良い部分を憎らしく思う気持ちがありました。愛しさと憎さは、表裏一体なのですね。

でも、あなたに『嫌われたくない』という気持ちがあり、また、正直なところ『未練』もあったので、ずっとそれに耐えていたのです。

私はあなたと付き合い始めた時から、いや、付き合う前から、私は常にあなた好みの女になろうとしていました。あなたに好かれる女になることを考えていました。

8ヶ月前にあなたに一度、形式上は私がフラれて、その後も定期的に会っていても、それでもやはりあなたに好かれるように、あなたに気に入られるように、そして嫌われないように、自分を作っていたのです。あなたが好きなヘアスタイルや、あなたが好む服装や、あなたの好む立ち振る舞いをしていました。

これはあなた相手だけではなく、これまでにも付き合った男性や、好きになった男性に対して、思い返すとすべてそうでした。無意識に、そうしてしまっていたのです。私はいつも、自分が空っぽだったんです。

好きな男の人が好むような女性になるため、その人が抱く理想の女性像になるため、いつも必死だったのです。

本当の自分、というものを、ずっとおざなりにしていたのです。自分の好みや、自分の気持ちよりも、男性に合わせていました。いつもそうやって、自分の身も心も、ないがしろにしてきたのです。これはもっと遡ると、私と父親、そして、父と母の関係にまで発展しますが、またこういう心理学の話などするとあなたは面倒くさがるだろうから詳しい事は書きませんが、それほど、私にとって根深いものだったのです。

いつも、男性との関係において、私はそうやって、本来の自分らしさとかけ離れていくことを、自らで選んでました。しかし、それはいつもサイズの合っていない服を着ているようなものでした。

あなたが以前、サイズの合ってない靴を履いて、「なんだか気持ち悪いなぁ」と、むずがっていたのを覚えていますか?私の心は、いつもそんな状態だったのです。サイズが多少合ってなくても、歩けなくはない。慣れてしまえば、さほど悪くはない。でも、決しては心地よくはなかった…。

もちろん、楽しい時間はたくさんありました。良い思い出もたくさんあります。でも、いつもどこか、そのように居心地が悪かったのです。

しかし自分が漠然と感じていたその違和感や、居心地の悪さの正体に、これまでの40年近い人生で、まったく気づいていませんでした。その違和感や得体の知れない居心地の悪さを、時に周りの人が悪いのだ、などと思った事もあったのですが、すべては私自身の問題だったのだと、ようやく気づいたのです…。

なので、さっきも述べましたが、あなたを責める気はありません。私こそ、中途半端に、思わせぶりな態度を見せたせいで、あなたの気持ちを助長したのかもしれませんね。

でも、最初にお伝えした通り、もう、あなたと会うのも、こうして連絡を取るのも、これで終わりにします。あなたにはあなたの家庭があり、家族があります。一番大切にすべき人を、大切にしてください。まだ、奥さんとも十分にやり直せると思います。

少し、個人的な話を書かせてもらうと、あなたが知る私と、今の私は、けっこう違う部分が多いと思います。突然、こんなことを言うので、驚いているかもしれません。

人はみんな二面性があるものだと、あなたも以前話してましたけど、そういう社会的な使い分けとは違う部分で、私は本当の自分に出会い、私じゃない私という存在を知り始めています。そして、今までの、あなたに合わせた“わたし”から、これで卒業しようと決意しました。

この前合ったのは2ヶ月半ほど前ですが、実はこの数ヶ月で、私も色んなことがあったんです。大げさではなく、怒涛の日々でした。色んなことを学んだり、気づいたりして、ずいぶん状況も変わってしまいました。

(最後に会った時にあれこれと話した、新しい仕事のことや、親の施設のことなど、あらかた問題は片付きましたので、ご心配はいりません。お気遣いありがとうございました)

本当の自分というか、飾らない『そのままの自分』って、私自身が思っていたよりも、ずっと弱くて、惨めったらしくて、醜くて、汚い部分もたくさんありました。だからそんな自分を受け入れるのは、ある意味辛い作業ではあったけれど、そのおかげで、私が一番守りたい、大切にしたい「わたし」を知ったのです。

そして、そのままの、何もない私を、ありのまま受け入れてくれる男性と出会いました。その人は私に何も要求をせず、私のしたいままに見守ってくれて、そのままの私を受け入れてくれます。

私も、彼といるととても楽なんです。こんなにリラックスできるのは、始めてのことでした。今までが、いつも誰かに気を使ったり、取り繕ったりして、力が入り過ぎていたんですけどね(笑)。だから私も、ありのままの飾らない彼を、受け入れることができると思っています。

個人的なことばかり、長々と書いてしまいましたが、一応、きちんと状況を伝えた方がいいと思い、こうしてメールでお伝えします。

最後に、私はあなたには本当に感謝しています。出会えてよかったと思っています。あなたも、これからまた奥さんや子供たちと向き合って、幸せな家庭を再び築き、幸せになれることを祈っています。

さようなら。ありがとう。

〇〇〇より。」

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あとがき

“書簡体小説”というのをご存知だろうか?手紙のやりとりなどが、そのまま小説作品になってる本だ。

一番好きな書簡小説は?と問われれば、真っ先に『宮本輝』の「錦繍」を挙げる。ご興味ある方はぜひ読んで欲しい。

今の時代は手紙を出すことはないし(俺もない)、もっぱら連絡はLINEやSNSが連絡ツールで、長文で個人がやりとりするという事は少ないのかもしれない。

簡潔な連絡ならLINEなどをが多いが、職業柄なのか、Eメールを使って個人的な質問に答えたりすることはあるし、文章のやりとりはある。そしてきっとあなたも、そういう覚えはあるだろう。

そんなわけで、今回はメールを使った書簡小説のような掌編小説を書いた。このnoteで、以前も、「人生をひらく不思議な100物語」と同じようなテイストの、エッセイタイプのノン・フィクション小説や、寓話をこのマガジンで書いた事はある。しかし、書簡小説だったので、混乱した方もいるかもしれないと思い、このような説明や注釈を入れるのは本意ではないが、小説慣れしていない方のために…。

明日!25日大阪。

明後日!26日東京。


2月9日

3月13日(金)南青山マンダラにて、LIVEイベントあります。

サポートという「応援」。共感したり、感動したり、気づきを得たりした気持ちを、ぜひ応援へ!このサポートで、ケンスケの新たな活動へと繋げてまいります。よろしくお願いします。