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小説「流れ星キャンプ」 第3話(完結) と、「あとがき」

連載小説。第3話です。


小説「流れ星キャンプ


「ほら、うつむいてちゃ星が見えないぞ」

「ねえ、お父さん…」

「ん?」

「お父さんは…、お母さんの事、嫌いなの…?」

 新之助はぼそぼそと呟くように言った。

 あの日の僕の、一番大事な願い事。

 それは『家族みんな仲良くなるように』だった。

 僕は流星群の夜、そう呟き続けたのだ。

 本当は『お父さんとお母さんが仲良くなって、家族みんなで仲良く楽しく、毎日過ごせますように』と、詳細にお願いしたかったのだけど、一瞬の流れ星相手にする願い事なので、かなり願いの言葉は短縮された。

 子供にとって両親の仲が悪く、笑顔がないという事がどれほど悲しいのか、自分が一番そういうことを分かっていたはずなのに、僕は同じ傷を、息子に与え続けているのだ。


「嫌いな訳ないだろ。好きだから結婚したんだ。それで直樹が生まれたんだよ」

 僕が驚いたせいで、少し間が空いてしまったが、新之助の質問にそう答えた。こんな月並みな説明で納得させられるとは思えなかったが、他に言葉が浮かばなかった。そして言いながらどこか、後ろめたさを感じた。

(好きだから結婚した。でも、今は…)

 新之助の目から涙がこぼれた。

「お父さんと、お母さんが…、楽しく、みんな、で仲良く…」

 新之助は小さくしゃくりあげながら声を詰まらせた。

「だからお願いを…」

 それ以上言わせない、言わせたくない。

 僕は言葉に詰まる新之助を素早く抱きしめた。抱きしめてみて、よく分かった。新之助は大きくなった。ついこの間までほんの赤ちゃんだと思っていたが、ずい分大きくなった。だけどこんなに大きくなったのに、まだまだ小さい子供なのだと、心底思った。

 震える体はまだまだ小さく、か弱い。誰かがきちんと守り、愛情を注がなければならない。こんなに小さく純粋な心を、僕は傷つけていたのだ。

 僕だってあの頃、同じような思いを抱いていた。でも僕はまだそれほど内容を理解していなかったのか、正直新之助ほど深刻には考えていなかったと思う。

 田舎ののんびりした空気がそうさせていたのかもしれないし、兄がいたからかもしれない。新之助は一人っ子だからを寂しさを分け合う仲間がいない。そして元々ガサツな性分の僕と違い、神経質で繊細な性格だ。

 僕は新之助を腕の中にしっかり納め、頭を撫でながら、由美子の方を見た。由美子は先ほどと少し姿勢が変わっていたが、まだすやすやと焚き火のぬくもりに包まれて眠っている。いや、ただ目を閉じているだけかもしれない…。

**

 まだ学生だった頃、仲間と一緒にこのキャンプ場に来た事がある。それまで由美子とはただの顔見知り程度だったが、ここのキャンプから僕らの関係は一気に進展した。だからここは二人にとって思い出の場所なのだ。

 由美子は今回のキャンプに、そんな乗り気でなかった。いや、むしろ来たくなかったのかもしれない。だけど僕は「コレが最後になるかもしれないぞ」と、脅しともつかないことを言うと、彼女もこちらの真意を汲み取ったのか、硬い表情でうなずき、すぐにスケジュールの手配にかかった。

 原因はどちらにあるのか分からない。仕事でなかなか家に帰れない僕なのか、仕事に復帰してから、家のことをあまりやらなくなった由美子なのか。大雑把な僕のせいなのか、一々口うるさい由美子なのか。

 とにかく僕らはすれ違い、言い争い、お互いの責任をなすりつけ合い、炎が小さくなり消えてくように、どんどん明かりと熱を失っていった。

 二人の間の様々な“何か”が限界に近いと、僕は感じていたし、おそらく由美子も感じていただろう。

 ここに訪れた学生の頃、由美子は初めて流れ星を見たと言って、とてもはしゃいでいた。東京生まれ、東京育ちの由美子には、ホントに珍しいものだったらしい。

 今夜、由美子にも流れ星を見せてあげたいと、僕は思った。新之助と三人で、夜空を眺めよう。今日が「何とか流星群」の日でないのが、晴れていればとても残念だが、必ず流れ星の一つや二つは見る事ができる。

 由美子の方にふと目を向けてみる。すると彼女はいつの間にか体を起こしていた。椅子に座ったまま空を見上げていた。だから僕の視線には気付いていない。由美子も流れ星を探しているのかもしれない。

「新之助。ホラ、新之助」

 僕はお母さんの方を見てみろと言う風に顎をしゃくると、新之助はゆっくりと振り返った。

「お母さんも流れ星を探しているのかもしれないぞ」

「ホントだ…」新之助はそれを見て頬が緩み、泣きはらした目は赤い焚き火の光を映していた。

「お母さんも、星が好きなのかな?」

 新之助は鼻声で尋ねてきた。

 僕は少しだけ迷ってから、

「ああ、女の人は星が好きなんだ」

 と答えた。

 僕はそう言ってから、涙の跡が残る新之助の手を引いて、覚悟を決めてから由美子のほうへ向かった。テントの側面には焚き火の明かりでできた、由美子の影が、揺れながら映っていた。

 由美子も僕を見ていた。寝起きのせいなのか、ただ無関心なだけなのか、いつもよりも無表情だった。

「由美子」

 僕がそう呼びかけても、由美子はかすかに驚いたような顔をしただけで、返事はなかった。

 言葉にしてから(由美子)と、名前を口にしたのが久しぶりだと気付くと、その瞬間に激しい後悔が押し寄せてきた。僕は妻の名前すらマトモに呼んでなかった。

「お母さん…」

 新之助が何か話しかけたが、新之助の言葉にかぶさるように僕は言った。

「みんなで流れ星を見ないか?」

 そう自分で言った直後に、なんともマヌケな台詞だと思い、僕は照れくさくなって笑ってしまった。そして新之助も自分の言葉を遮られたにもかかわらず、何故か笑った。

「ちょっと、恥ずかしいこと言わないでよ」 

 そう言って由美子も笑った。始めは呆れたような笑い方だったが、だんだんと本当に楽しそうな笑いに変わった。その笑いを見て、新之助は笑いながら僕を見上げる。僕は新之助の頭に手を置き、微笑み返す。

 由美子が僕に笑うのはいつ以来だろう、などと考えてしまったが、すぐに頭を振り払った。そんな過去の事はどうでもいい。これからもっと笑えばいいのだ。

 とにかく今は由美子に流れ星を見せてあげたいと思う。とびきり大きく、長い尾を引くキレイなやつを。僕は純粋にそう思った。

 みんなで願い事をしよう。家族で仲良く過ごせるよう。星に祈ろう。

 あの日僕が必死に呟いた願い事は、多分、叶った。父と母はその後も言い争いやすれ違いが起きつつも、今も一緒にいる。すごい幸せな夫婦なのかはよくわからないけど、毎年新之助を連れて帰ると、二人で溶けるような笑顔をするのだ。

 流れ星に届けた願いは叶う。僕はそう信じているし、新之助にもそう信じて欲しい。それは、未来に希望を持つということだからだ。

「よーし、もっとあっちに行こう」

 僕がそう言うと、新之助は恵美子の手を引っ張り、椅子から立たせ、

「焚き火の側にいると、明るいから星が見えにくいんだよ」と、得意気に由美子に言った。

 由美子は一瞬はっとした顔をしてから、僕の顔を見て、そしてくすっと微笑んだ。新之助が話すその知識は、出会った頃に、同じように僕が得意気に由美子に話した知識なのだ。それを思い出したのだろう。僕も思わず由美子と目を合わせて照れ笑いして頭を掻く。

 僕らは焚き火から離れ、三人で川の字になって川原で寝そべった。そして黙って流れ星が落ちるのを待った。

「僕、ノド渇いた」新之助がむくっと起き上がり、唐突にそんな事を言った。「お茶取ってくる。ついでにお父さんたちのビールも持ってこようか?」

 僕は由美子と顔を見合わせてから、

「ああ、頼む」と言った。

 二人になった。

 新之助がいなくなった分の距離が二人の間にあったが、それはとても親密な、本来そうあるべき距離だった。

 新之助は走ってテントの所に戻り、クーラーボックスを開いてガチャガチャやっている。僕たちに気を使っているのかと一瞬思ったが、本当にビールを探すのに手間取っているようだ。俺がだいぶ飲んだから、残りはお茶とジュースばかりに…。

「あっ!」

 僕と由美子は同時に声を出した。

 とびきり大きい流れ星ではなかったが、その美しさは僕らの時間を停止させるに充分だった。

「また、…来ような」

 停止された思考がまた繋がってから、僕は由美子を見てそう言った。彼女は目が合うと、少し照れくさそうに、視線をまた空に戻し、

「流れ星キャンプ、次はもっと田舎に行ってもいいわね。関東は星が見えにくいらしいわね」

「流れ星キャンプ?」

 僕はそのネーミングに驚き、軽く吹き出した。

「今の見た?お母さんも見たー?」

 新之助が遠くから大きな声で僕等に叫んだ。新之助も今の流れ星を見逃さなかったらしい。

「だってそうじゃない。流れ星を探すキャンプだもん。いいネーミングでしょ?」と僕に微笑んでから、「新ちゃーん。見たよー、流れ星キレイだったねー」

 と大きな声で新之助に答えた。
              

 完


あとがき


後から思うとちょっと変わった家だった。この物語のように、僕の家は定期的に「星を観にいく」という、不思議な習慣があった。

父と、兄と3人で、父の運転するワゴン車に乗って、ジグザグの山道を走り、見晴らしの良い場所に車を停めると、そこで星を眺めるのだ。

我が家が「ちょっと変わってる」と知ったのは、小学生の高学年くらいになってからだろうか。友人と話しをした時に、そんなことをしてる家が他にないと知った時だ。

「え?なんで星を観に行かないの?」

と聞いたら、

「え?なんで星を観に行くの?」

と逆に尋ねられて、なんと答えて良いかわからなかった。そして確かに向こうの言い分や疑問の方が真っ当だと気づき、星を観に行く夜の話は、あまりしなくなった。我が家だけの楽しみだ。

生まれ育った家は、北海道とある港町。当然海がある街だったけど、山もあり、“星を観る夜”は、海へ行く時と、山に行く時があった。海の方は車で15分くらいだけど、山の方は40分くらいは走って行った。山の方が街から離れていて、星はよく見えた。

「今日は山の方へ行くか」

父の気分で、どちらに行くかはいつもランダムだった。

母は、いなかった。僕の記憶ではたった一度だけ来たことあるけど、虫とか、自然、というものにまったく興味のない母は、星を見る夜には参加しなかった。多分、星を眺めるためだけに夜な夜な出かける僕らのことを、まるで理解できていなかったと思う。

ただ、この物語のように、父と母で言い争いがあった日の夜なんかに、星を観にいくことがたびたびあった。どの家もそうなのかもしれないが、我が家も父と母はしょっちゅう夫婦喧嘩という言い争いをしたし、そういう時は子供はとても悲しい気持ちになる。

僕と兄は、寂しそうな母を置いていく後ろめたさを感じつつも(兄もそう感じてたのかはわからないが…)、夜に出かけるという楽しさの方がはるかに優っていたので、途中のコンビニでジュースやお菓子を買う頃にはそんなことはケロッと忘れていた。

そして現地に着くと、星座の図鑑を睨めっこしながら、兄と人工衛星を探したり、星座を探してあーだこーだと言い合った。とても楽しい時間だった。兄は基本的に僕にいつも意地悪だったけど、不思議とこの“星を観る夜”には、泣かされたとか、いじめられた記憶がない。

父は僕らから少し離れた場所で、ビールを飲みながら、ひっきりなしにタバコを吸う。あまり、会話はしなかった。

もちろん、飲酒運転はもってのほかだし、1日に2、3箱を吸うタバコも、現代の感覚から言ったらおかしいが、父は当時、そういう人だった。そして僕が子供の頃、田舎の大人の男なんてそんなもんだったような気がする。

僕や兄が星座の話とかをしても、

「俺はただぼんやりと眺めているのが好きなんだ」

と言っていたし、なんとなくそれ以上話しかけにくい雰囲気だった。小説に書いた父親のキャラクターとは、その辺は少し違う。

ただ、父はどういうつもりで僕らを一緒に連れて、一人でぼんやり星を眺めていたんだろう?どんな気持ちだったんだろう?

もちろん、わかるはずはない。

でも、なんとなく、わからなくもない。

星を眺めているだけで、とりあえず色んなことを忘れられるし、それこそ流れ星が空を横切ると、思考は完全に止まる。考えたくないことが、たくさんあったんだと思う。

僕は幼い頃からそんな夜を何度も繰り返したおかげで、「星」はいつも身近にあり、そして「流れ星」という現象も、特段珍しいものではなかった。

流れ星は星の見える夜に、1時間くらい夜星を眺めていたら、必ず1つや2つは観られるものだと今でも思っていて、確率的には、山道を走っていてキタキツネを見つけるよりもよっぽど多かった。

天の川の流れる夜空に、ベガだのシリウスだの、白鳥座だのカシオペアだの北斗七星だの、色んな星座や、色んな星々があるのだけど、実は僕も兄も、途中から段々とどうでもよくなってしまう。星の名前も、その並びで名付けた星座と、その星座にまつわる物語も。

星座の図鑑を放り投げて、ただただぼんやりと、空を見ている。

流れ星を見ても、そのうち何も言わなくなる。

不思議な時間だった。父と兄ことも、忘れてしまう。母が家にいることも、自分には家があって、車でやって来たことも、どうでも良くなって、頭の中からそれらが消えてしまう。

世界には、自分と空しかないような感覚になる。でもそれは孤独ではなく、むしろ家族以上に親密なぬくもりや一体感を感じることがあった。

小説でも書いたけど、兄が中学生になる頃には、兄はまずその“星を観る夜”にはほとんど来なくなったし、父と二人で何度か行ったけど、自然とその数を減らしていった。僕も夜は集中してゲームをやることが増えて行った。

そして僕が中2になる頃には母が本格的に体調を崩し、入院だの、家の借金問題だので、星を眺めてる余裕などなくなってしまった。最後に行ったのは、小6か、中1か、記憶は定かではない。

多感な時期になり、僕自身も星を観ることなどすっかり忘れて、やり場のない怒りや苛立ちを、すべてギターと歌と、女の子と遊ぶことだけに昇華させる10代を過ごし、東京へ出た。

そして都会の夜空はまるで星が見えず、天の川も流れ星も、縁遠いものになった。

ある時誰かと話していて、多くの人が「流れ星を見たことがない」と言っていたことに驚きつつも、「そりゃそうだよな…」と、納得した。都会の人はそもそも星なんてほとんど見えないし、田舎に住んでいても、定期的に“星を観にいく”家なんてないのだから。

だから僕はなんだか、自分が少し得をしているような気分にはなった。でも同時に、星からすっかり離れて生活していることに、なんだか悲しくもなった。

そんな僕が再び、星を見るようになったのは、自身が八ヶ岳山麓へ引っ越してからだ。冬の夜なんか、とても美しい星空が眺められた。忘れていた感動を再びお思い出した。

しかし、八ヶ岳は関東にも近いせいだろうか?実はそこまで綺麗には見えない。子供の頃、北国の山奥で見た星空は、もっと空一面に瞬く、圧倒的な光景だった。

それとも、日本全体の空の空気が汚れてしまったのだろうか?

どうしてそう思うのかというと、僕はあちこち旅をするので、相当な田舎にも行くが、実は子供の頃に眺めた、あの圧巻の星空に匹敵するものを、見たことがないのだ。

それはひょっとしたら、僕の記憶の中でデフォルされているからかもしれない。それは十分に理解しているけど、それでも僕と星空の思い出は、自分の心の奥深国、刻み込まれた風景なのだ。

星空を通した物語を、短編で表現できてよかった。どれくらいの人が読んだか、そしてどう思ったのかはわからないけど、僕自身は、僕の中にあった物語を、世界に書き記すことができたことに、喜びを感じています。そして、その喜びや、この世界観をあなたと共有できたのだとしたら、それはもっと深い喜びです。


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オオシマ ケンスケ
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