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ふっと思い出す、忘れた頃に…。
人は社会的な生き物だし、集団生活により発展してきたとはいえ、1人でできることがたくさんある。
そして僕は可能な限り「自立」という精神を大切にしていて、「1人でできることは1人でやる、1人でできないことは誰かとやる」、というスタンスを大切にして生きてきたと思う。
とはいえ、もちろん一人でできることには限度がある。
今でこそ、人に甘えたり、頼ったり、任せたりできるようになったけど、生来僕はそういうことが苦手だった。
生まれつきの性質もあるし、中学生の頃から母親が難病になり、家が借金まみれだったので、家事などの生活全般の自立はもちろん、母の下の世話とか、お金の問題とか、いかんせん多感な思春期の頃だったし、その中で精神的な“自立”は強制的になされた。例え“心を殺して”いたとしても。
親も親戚も同級生も、当時の僕の抱えていた現実的な苦痛から救える人は誰もおらず、内的な苦悩に寄り添ってくれる人もいなかったので、自分のことは全て自分でやる、という癖がついた。
ある日、中学2年性の頃だ。家の仏壇の位牌を全部裏返した。毎日水を変え、祈っていたが、なんら事態が改善されなかったので、
「この世に神はいない。頼れるのは己だけ」
と思った。以来、20歳で家を出るまで、仏壇や神棚を数年間拝んだことはほとんどなかった。
そんな人間が後にスピリチュアル(霊性)の世界の妙理を体験していくのだから不思議なものだけど、当時の「一人でなんでもやる」という意思には、神仏や非現実的な力さえも排除していた。
「俺はこれから鉄になって生きる」
と、その時に誓ったのを覚えている。どんな暴風にも、圧力にも、熱にも、どんな不都合やどんな悲しいことが起きても、決してびくともしない、鉄のような心を持とうと。
そして僕は心を鉄にして、怒りや苛立ちを音楽や放蕩に耽ることで発散して、青春時代を過ごした。
しかし、その叩き上げた強さは諸刃の剣で、今度は人を信じることができなくなっていた。信じること。愛すること。そして同時に、信頼されたり、愛されたりすることが、すっかりできなくなってしまっていた。
でも、少しずつ少しずつ、こわばって冷え切った金属は、温められて、柔らかさを取り戻していった。
まずは家族の力が大きかったし、仕事を通して出会う人たちと、心の世界や感覚的な世界を感じ合うことで、それは起きて行った。
2021年に、コミュニティ作りを意識したのは大きな出来事だった。それまで、なんだかんだ言っても、極力クライアントと密接な距離感を作ることはしなかった。
しかし、苦手で、怖いからこそ、あえて飛び込んでみようと。
結果として、本当に良かったと思っている。交流を通して、こわばった心を、さらに溶かしてくれた。
これまではずっと、起業して以来「講師と生徒」「著者と読書」「メンターとクライアント」という関係しかなかったのが、そこに「仲間・友人」という関係性が生まれた。
もちろん、前者のような役割は存在する。それは仕方ない。でも人間関係に多面性はあってもいいはずで、時に先生の側面もあるし、時に友人にもなる。
人は1人じゃない。
この事実を受け入れるまで、僕はどんな紆余曲折を経たのだろう。
最近、息子が教えてくれたお気に入りの曲がある。
上記の楽曲のアーテイスト「Kvi Baba」は、HIPHOPだけど、ロックなテイストがあってとても好きだ。
この曲の歌詞の中に、
ふっと思い出す忘れた頃に
1人じゃなく来た誰かと共に
ありがとう神様 Friends & Family
たまには行くよ会いに
1人じゃなく、誰かと共に。
でも、ふっと思い出す、忘れた頃に、ってのが、おそらく多くの人の実感だろう。
なぜなら、つい人は1人で生きてると思いがちで、周囲と独立した、いや、“分離”した存在だと感じているから。
だからふっと思い出して、「たまには行くよ」ってのが、とても人間らしくていい。
だけど、一人じゃないってことを忘れてる状態では「ありがとう神様」とならないのだ。
逆に、周囲との深いつながり、ご縁や、さらに深まり一体感を感じる時は、自然に「感謝」の気持ちが生まれるものだ。
かなり前置きが長かったけど、こちらのAmebaブログに書いた通り、身内だけのLIVEイベントをやった。
今回のイベントは、本当に僕はノータッチ。会場の事、内容、物販とか、その後のオフ会とか、諸々。
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ただ、別に収益は考えてなかったので、「お気持ち制」、つまりドネーション制にしてもらった。
ところが、ドネーションと物販で、びっくりするほど収益があり驚いた。
以前、一度だけ都内でドネーションLIVEをやったことがあるけど、60人ほどのお客さんで、会場費、出演ミュージシャン2名へのギャランティ、自身の往復交通費と宿泊代(当時は長野県に住んでいた)で、利益は3000円くらいだった。
お気持ち性、なので、このお金というのは、気持ちをお金に変えたもの。本当にありがたいです。来てくれただけで嬉しいってのに(鹿児島や福岡、関西からも来てくれた)。
「ふっと思い出す」だけでも、僕のことを思い出してくれたら嬉しいが、これは「ふっと」を超えてる。
ここまでたくさんの優しさや愛を目の前にすると、まだまだ自分が「受け取りベタ」だなと痛感する。正直、照れ臭いどころか、もはや戸惑ってしまった。
しかし、時間をかけて、しっかり受け止めて、また循環させていきたいと思います。
企画、運営してくれたともっちさんが、その裏側というか、企画から当日に至るまでの話をnoteに書いてます。
前半後半となってますが、僕としては照れ臭くもありますが、純粋に読み物としても面白いので、ぜひ読んでみてください。
⭐︎ 和の歩法、個人レッスン、随時受け付けています。
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