そこに「楽しさ」はあるか?(前半・無料) そこに『美』はあるか?(後半)
そこに「楽しさ」はあるか?(前半・無料)
僕らの人生は選択の連続であり、常に選択することで人生は成り立っているとも言えるでしょう。
どうして「選択」なのかというと、それは僕らの「生」そのものが『可能性』だからです。
もちろん、ルールというのはあります。例えば重力に従って、上から下にものは落ちるとか。そういういくつかの法則はありますが、それでも我々は可能性に満ちた存在であり、だからこそ「選択」が許されています。
つまり、自分の人生は自分で創れる、ということです。どんな人生にするかは、どんな選択をするか?ということでしょう。
そこには正解や不正解はなく、正しいも間違いもないです。ただ、「どんな体験をしたいか?」ってことだけですし、宇宙には善悪なんて概念はないです。
可能性が与えられていて、正解も不正解もない。ということはかなり「自由」があるということですが、多くの人が自分の人生に不自由さを感じて生きていたり、不足感を抱えて生きているという現実があります。
しかし、その現実も、所詮は可能性の一つとして「不自由な人生」や「不足感の中の感情」を選択しているに過ぎません。どんな状況においても、そこに自由はあり、選択ができます。
もちろん、その場その場で状況は刻一刻と変わり、変則的な事態が起これば、自由度はさがるかもしれない。でも、「今できること」って、案外探せば色々あるもんです。
不自由さや不幸を感じている人って、「可能性を探せない人」なのかもしれませんね。
例えば学校に行ってて、体育の授業があってサッカーをしなければならなくなった。そこで「手を使えない!!」と嘆く人になるか、「足で何ができるか?」の可能性を模索する人になるかで、サッカーというルールの中で、面白みも、結果も全く変わるでしょう?
だからとりあえず「今できること」として、「今ないもの」を探すのではなく、「今有るもの」を見つけるのが、幸せに、充実した人生を生きるコツなのかもしれません。
ただ、そのマインドセットと共に大事なのがこれです。
「楽しい」という心のアンテナに従って選ぶこと。損得勘定で選ぶというのは、その場その場では得をしたり、損失を免れたりするかもしれませんが、長期的に見ると損をしたり、根本解決に至らず、負のループにはまることも多々あります。
エナジードリンクやアルコールや薬物なので、短期的に『ハイ』にして行動力を高めたり、痛み止めや解熱剤の「対処療法」とかで症状を和らげるようなものです。副作用があったり、治癒を遅らせます。
『損して得取れ』と言いますが、損得で選ぶというのは、場合によっては「自分に嘘をつく」行為になりかねないので、当然自分のエネルギーは落ちるし、そこに他者が絡む場合、それは最終的に相手にも伝わります。だから信用を落としたりもします。
ただ、書いてる通り「楽しい」と同じ漢字ですが、「楽(らく)」で選ぶことも、あまり面白ことって起こりません。
「自分のやりたいことがわかりません」
という悩みの多くが、実は「楽」を選ぶのに慣れ過ぎた結果、だったりするのではないかな?なんて思います。
かつては、なんらかの「やりたいこと」ってあったんだと思います。子供の頃とかも含め、人生の中で「好きなこと」があり「それをもっと味わいたい」って気持ち、あったはずです。
でも、損得思考で生きて(社会はそうできてるので、それが普通です)、好き、とか、やりたい、を抑え込んで、損しないように、得するために生きていると、自分自身がわからなくなってしまいます。
そこで「はて?私は何をやりたかったんだっけ?」と、考えても、もうその回路を使ってないから麻痺していて、復活させるのはなかなか大変です。
そこで次は「楽」を選択し続けるようになります。
そうなると、ますます思考のベクトルが自分の心の中に向かないので、さらに自分の「やりたいこと」なんてわかりません。
そこで人生に疲れて、自己啓発やスピリチュアルに手を出して、結局自分が何をやりたいのかわからず、自分探しの迷子ちゃんになったりします。そして依存的なスピや宗教に安心を求めたりするというケースもあります。
ここからちょっと個人的な話をさせていただくと、僕はこうして文章を書くのも大好きですが、音楽を作ったり、歌ったりするのが大好きだし、何よりそれは「やりたいこと」です。
(アーティスト・チャンネルもよろしくです!新曲「瞑想の歌」、アップしました。メインチャンネルは、そろそろ登録者3000人なんですが、こちらはまだ300人台…。チャンネル登録してくれると嬉しいです)
僕の音楽活動を損得勘定で、つまり音楽で「稼ぐ」という視点で見ると、音楽で収益を上げるって、それはそれでなかなか大変です。お金のためだけにやるのならもっと効率良く稼ぐ方法はたくさんあります。でも、損得ではない部分で、好きだからやってます。
最近は毎晩のように制作作業をしていますが、実はなかなかどうして、大好きなことなんですが、始めるまで、エンジンかけるまでが大変なんです。
なぜかというと
『めんどくさい』
なんです(笑)
僕も大人になってしまいましたので、やっぱ「楽」に流れようとするんですね。
ダラダラとYoutube動画でも見て、適当にブログとか書いて、SNS見てとか、そういうのいくらでもラク〜にできるし、無料でできてしまうわけです。
だからそこは自分自身に多少「喝」を入れる気持ちで、「おし!」と気合い入れてエンジンかけます。ブログも「note」に変えて、有料にすることで、それなりの緊張感を与えていたりもします。
別に商売のために書くわけではないけど、やはり文章という商品であり作品なのだから、アメブロ時代よりも“良い文章を書くぞ!”という意識は高まったのは事実です。
ちなみに、日本のアニメーションの巨匠、スタジオジブリの「宮崎駿」監督は、口癖のように「めんどくせ〜、めんどくせ〜」と言いながら仕事するのは有名です。
こんな名言(?)もあります。
って巨匠も言ってますので、僕らが「めんどくさい!」と思うのは、極めてフツーのことです。
しかし、
とも言ってますので、やはりここで「ラク」に行ってしまうと、確かに当たり前ですが楽なんですす。苦労もないし、痛くも痒くも疲れもしない。
だけど人生における「体験」は何も得られません。
僕はこの「めんどくせぇ」の感情を「妖怪めんどくせぇ」と呼んでいます(笑)
昔もこれについてはあれこれ書いてますので、時間あったら読んでみるとよろし。以前はもっと軽いタッチの文章ですのでさくっと読めるかな ⇨(アメブロ 2019年)(はてなブログ 2018年)
この妖怪めんどくせぇを打ちやぶるには「楽しい」を求めるモチベーションです。止める理由は無数にあります。耳元で妖怪めんどくせぇが囁きます。
「お金にならないよ?」
「疲れるよ?」
「誰も喜びはしないよ?」
「そんなことしても意味ないよ?」
「損するだけだよ?」
「人から嫌われるよ?」
しかし、そこは「楽しそう!」という心の一本の光に賭けてみる。そこには理屈はない。圧倒的に妖怪めんどくせぇの方が優勢です(笑)しかも、この賭けは一度じゃなくて、継続が大事。ますますめんどくせぇ。
あなたはこの「直感」や「衝動」に、身を委ねることができるか?
ただ、そんなストイックなことじゃなくて、ちょっとした「わくわく感」とか「ときめき」の気持ちですね。そしてこの辺も“心のエクササイズ”や“メンタル・トレーニング”により精神面は変化あるし、その前に瞑想などで心の詰まりの原因を浄化していくことも併用すると、いくらでも変わることが可能です。
だって、我々は可能性を生きているのだから。
まとめ。
自由度のある人生とは、可能性がある人生。そして、体験こそが人生の意味なら、常に「そこに楽しさはあるか?」を判断基準にしましょう。
迷ったら「ぶっちゃけどっちの体験をした方が面白いか?」で選ぶ思考の癖をつけましょう。損得ではなく、ラクではなく。
後半は、その「楽しい」を少し超えたところに入っていきます。それこそその「楽しい」や「好き」が、何らかの“形”になったり、“仕事”になったり、“誰かの役に立ったり”という世界です。
その基準が「楽しいで選ぶ」の次の段階。それが「美」です。
なぜなら『美意識』というのは、「良心」や「神性」や「真理」と直結している意識だからです。そして、これも理屈や理論を超えた部分で起きるインスピレーションです。
そこに『美』はあるか?(後半)
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