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コ・ク・る


「コクル」という言葉が、ある。しかし俺が若い頃や、まして10代の頃にはそんな言葉は存在しなかったと思う。

今でこそこの言葉も市民権を得ていると思うが、この造語が作られた当時、コクルと聞いて「告白する」の「告る」だと即座に連想できた人っていたのだろうか?

この言葉を初めて耳にしたのは、20代後半だったと思う。職場のアルバイトの女の子(学生だった)との会話だったと思う。確か、好きな男の子がどうのこうのという話から、

「…うん。…コクろうと思うんですよね〜思い切って」

と話したので、俺は大真面目に、

「え?…うん、…こ?、来る?」

と、ガチで反応してしまった。

その女の子は「は?」と、聞こえていなかったらしく、その場では恥をかかずに済んだが、俺にとって「こくる」という言葉は衝撃だった。だからいまだに「コクル」と聞くと、当時のインパクトか「うんこ、来る」を咄嗟に連想してしまう。人の印象とは一度刺さるとなかなか抜けないものだ。

ちなみに『うんこが来る』という謎めいた状況を想像するだけで笑えるのだが、それが「コクった」という過去形だとさらにやばいことになる。なぜなら、俺の中では「こく」の冒頭に、本来耳には聞こえていない「うん」という音が聞こえるので、「…こ、食った」は、もはや笑えない。

しかし、そうは言っても俺も大人であり、なんでも『うんこ』に紐付けするほど幼稚ではない。うんことちんこで喜ぶ小学生男子ではないのだ。

だが、うんこのことを例え帳消しにしても、コクルという言葉はワインの「コルク」に響きに似ているし、さらになんとなく言葉の持つイメージ的には、『もものけ姫』に出てくる「コダマ(木霊)」のような響きを感じてしまい、何度聞いても、コクルと言う名の妖精でもいるのかと…。

いや、もうそんなことはいい…。この手のくだらない話をするといくらでも書けてしまうのが俺の悪い癖だ。まったく話が進まない。

今日は真面目に「告白」のことを書こうと思う。

あなたは「こくった」ことがありますか?“うん”、は忘れてくれ。“うん”はもういらない(しつこい)。

つまり「告った」か?だ。もちろんこの場合の告白は、恋愛に関するものだ。罪の告白とか、そういうテーマではないし、そもそも「罪を告る」とか言われてたら、むちゃくちゃ軽すぎる。

そう、

軽いのだ…

俺にとって「コクる」は、…軽い。きっと、軽く感じることに、この言葉に何らかの抵抗があるのだろう。

俺の初めての告白は16歳の頃だった。とても軽いものではなかった。俺の恋は軽くない…(多分!)。

今思い出しても胸がドキドキする。無謀な恋だった。後日談でさっくり「え?そうです、僕はあの時コクりましたけどなにか?」なんて言えない。

膝が笑い、胸が高鳴り、息が詰まりそうになり、顔や頭が充血するのを感じながら、勇気を振り絞って、全身で、思いを伝えた。

あの時、よく伝えたなと、自分を褒めてやりたい。

その告白相手は、人生初アルバイトのコンビニエンスストアで出会った、2個上の女の人だった。ちなみにそのコンビニはファミマでもセブンでもない。北海道にしか存在しない『セイコーマート』という知る人ぞ知るコンビニだ。
(ところがどっこい!北海道以外では密かに大宮にセイコーマートがあるのは知ってたが、なぜか茨城県には現時点で80店舗以上あるではないか!な、なぜに茨城…?)

当時のそのセイコーマートは24時間営業ではなく、23時閉店。俺は高校一年生。本当は高校生は22時以降の労働はできないのだけど、23時とか、23時半までバイトしていた。

そんなコンビニバイト。しかし、告白した「現場」は、なんとコンビニの『レジの中』だった…!

なぜレジの中だったかというと、そこしかゆっくりと話せる時間がなかったからだ。

裏のバックヤードには常に店長か副店長がいるし、あまりスペースがない。そもそもバイトが終わるとみんなソッコーで帰るから、話す時間はないし、シフトが重なった時にしか会えないのだ。

だから、彼女がバイトを止める前の、最後のシフトが重なる日、俺は恋心を伝えた。

今思い出しても可愛い人だった。名前は「いづみ」さん、だった。苗字は忘れた。

当時のいづみさんには、はっきりは聞いたことないが、なんとなく彼氏はいるっぽかった。そして高校1年性男子と、高校3年性女子、逆ならまだしも、当時はそんなカップリングはほぼほぼ皆無に等しいし、俺は完全に「バイトの後輩」としか思われていない事もわかっていた。

では、なんで伝えたのか?

これはもう「エゴ」だと言われればそれまでなのだが、要するに「知って欲しかった」のだろう。「あなたが好きです」と、「あなたの事が好きで、あなたはとても素敵な人なんだ」と、伝えたかった。

もちろん、あわよくば付き合いたいし、なんなら当然チョメチョメしたいという気持ちはあったけど、「うーん、それは、まず無理っしょ?」と、そこは冷静に判断していた。恋は盲目とはいえ、その辺は冷静だった。まあ、その冷静さ故、中学生の頃は一度も「愛の告白」をできなかったので、後悔をしていたのだが…。

バイトは、忙しい時もあるし、暇の時もある。夜のコンビニなんてそもそもさほど忙しくは無い。

その日は暇だった。二人でレジにいた。お揃いのボールペンを、制服のエプロンの胸の部分にさしていた。

ボールペン、というか、その店でペンの上に、キャップのようなものを被せるのが流行っていて、いづみさんが、俺がバイトに慣れた1、2ヶ月くらい頃に、そのキャップというか、ペンに被せるケースをくれた。

「はい、お揃いだよ」と言った。

元から「かわいい〜♡」と、彼女を見るたびにときめいていたが、その「お揃いだよ」の一言で、俺は完全に恋に落ちた。恋は、する、のではない。こうして唐突に“落ちる”のだ。

恋はするものではない、落ちるものだ 
- 大島ケンスケ -

と、なんとなく名言ぽく書いておく…。

その日以来、シフトで彼女に会えるだけで俺の1日は何が起きても幸福に包まれ、シフトで会えない日は、とにかくつまらなく、物足りなく感じてしまった。

彼女がバイトをあがるのは21時だ。20時くらいから、店は大抵暇になる。二人で、ラスト1時間、レジの中にいた。暇な時間はけっこうのんびりとお喋りとかする余裕はあった。

「今日で、一緒にシフトなるの最後ですね」

「うん。このバイト、すごく楽しかった」

そんな会話をした。辞める理由は、聞いたけど覚えていない。とにかく、俺の中で「彼女に会えなくなる」という事実が、悲しかった。

彼女の家はそのコンビニからバスで2、30分ほどの離れた場所で、バイトを辞めると、今後会うことがなくなるとわかっていた。だから、最後に、会えなくなる前に、伝えたかった。

(言おう…。今日、言おう…!)

そう決意していた。腹に決めていた。しかし、いざとなると、言葉が出ない…!

「えー、今日は、暇ですねぇ」

「そうだね」

「今日で、最後ですね」

「うん、大島くんもこれから頑張ってね」

(あー、言えね〜。当たり障りねぇ事しか言えねー!!)

悶絶…。自分の弱さや情けなさに、自分自身が打ちのめされそうになる。

心臓がバクバクと音を立てている。俺の痩せギスの胸板の肋骨をぶち破って飛び出てきそうなほど、激しく動いている。

「あの、オレ…」

「ん?なに?」

膝までカクカク言いそうになる。何だこれは?どうしてこんなに苦しいんだ。そこまでして言わねばならないのか?

自問自答。沈黙。

「?」

彼女はキョトンとした顔をしてる。まさか、オレが恋心をいだいているなんてミジンコにも思ってないし、ましめレジの中でそれを伝えられるなんて、誰が想像できるだろうか?

「好き、なんです。いづみさんのこと、好きでした」

言った。言ってしまった。不思議と、言葉に出すと気分がいくらか落ち着いて、頭に上った血が引いていくのがわかった。いや、引き過ぎて(や、やっちまった…)と、青ざめそうなほど。

「…え…。ええ?ええー?」

目を大きく見開いてのけぞる。そりゃそうだわな。

「そ、そうなの?え?いや、そう、だったんだ…」

何かに、納得したような、自分に言い聞かせてるような、そんな感じ。

「はい…。すいません。なんか、バイト辞めて、会えなくなる前に、どうしても伝えたくて…」

「うん、ありがとう」

彼女はちょっと、恥ずかしそうな顔をした。

「あ、ここ、レジだよ?レジ!」

そして慌てて周りを見渡し、監視カメラを見る。

「でも、ここでしか話す場所がないから。あ、カメラは音声はないし、どうせ店長も見てないし」

「うん、まあ、そうだね」

それから、なんだかほのぼのとした雰囲気になった。俺もすっかり落ち着いて、妙な満足感があった。

「いつから?」「全然わからなかった」「芝居上手いんじゃない?」「うれしいよ」

など。オレが何を話したかは、あまり覚えていない。

付き合うとか、そういう話はなかった。やんわりと、そういうつもりはない的な雰囲気はあった。でもそれは分かっていたのでがっかりはしてない。ただ、伝えたかったのだ。

そして、彼女はシフトを終えて、店長にしっかりと挨拶をして、店を出て行った。23時までバイトするオレに、レジのカウンターを挟んで、

「元気でね!ありがとう」

と、最高の笑顔で。

当時は、高一のオレに、高三の女性はかなり「おねえさん」だけど、今考えると高校3年生なんて、むちゃくちゃ“女の子”だ。かわいいに決まってる。

その後は、やはり会う事はなかった。



と、思いきや、その後に一度だけ、会ったことがある。駅前で。

いや、ここまでの話で今回の話は完結している。告白の美談として、終わらせておこう。うん、それがいい。美しい話で終わろう…。蛇足というものだ。


まあ、後日談はいつかどこかで。

付き合ったとか、ラブロマンスはないよ?


で、こっからは、マガジン記事。(無料にします。2022年12月)


あなたが「恋の告白」をしたことがあるかはわからないが、やはり人生、思い切ってチャレンジした方がいい。あの時、恋心を伝えなかったら、俺は一生後悔していたと思う。

これは恋だろうが、なんだろうが、「やりたい!」と思ったことはやらないと後悔する。もちろん、この告白に関しては「言ってよかった〜」だったけど、そのほかにも「あの時ビビらないでやればよかった…」と思う出来事はある。

我々は、何かと「成功すること」「うまくいくこと」「思い通りにいくこと」に狙いを定めてしまう。同時に「損したくない」って恐れがある。

しかし、人生において大事なことって、実は「成功する」ことではないのだ。世の中で言う成功って、物質的なものだからね。実は、物質的に恵まれていても、不幸な人や、苦しむ人ってたくさんいる。

つまり「人生の成功」という範疇で考えると、物質的なものではなく、「自分が納得できたか?」ってことであり、それはつまり、

「自分で選択して、自分で行動したか?」

ってことなんです。

俺はあの日、自分で頭擦り切れるほど考え、心臓飛び出るほど緊張したけど、それを選択し、行動に移した。コクったのだ(軽いなぁ…)。

明日、世界がどうなるか、わかったものではない時代ですよ?

やりますか?
やめますか?

どちらも人生です。実は、成功も失敗もないから、どっちでもいいんだけど、納得の行く人生って、どっちだろうね?

それではまた。

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言葉の力で、「言葉で伝えられないものを伝える」ことを、いつも考えています。作家であり、アーティスト、瞑想家、スピリチュアルメッセンジャーのケンスケの紡ぐ言葉で、感性を活性化し、深みと面白みのある生き方へのヒントと気づきが生まれます。1記事ごとの購入より、マガジン購読がお得です。

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