「やってほしい」も「やめてほしい」も、実はどちらも同じこと。
1月16日(日) LIVE「メディテーション・ミュージック」
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人は人に期待するものです。それが愛する者ならば、なおさらそう思います。関心のない人や関わりのない人には期待はしないですからね。
だから主に「家族」とか「子供」「パートナー」「友人」など、身近な人について、人は多かれ少なかれ悩むものです。
あくまでも本人は「その人のため」という善意と愛の現れの一つなんでしょうけど、とても未成熟な愛の段階です。だって、簡単にいうと「私の思い通りにしたい」というコントロール欲ですからね。
期待には二つあって、
「やってほしい」と思う期待と、
「やめてほしい」と思う期待があります。
よくある例が、
・子供に勉強してほしい。
・子供にゲームばかりしないでほしい。
・子供に野菜もバランス良くきちんと食べてほしい
愛する子供の将来や健康を思って。親ならば誰しもわかる話でしょう。これは奥様が夫に対しても思ったりしますよね。「お酒を飲みすぎないでほしい」とか「健康に気を遣って運動してほしい」とか。
その人のため、なのでこれを「愛の動機」としましょう。(後で出ます)
しかし、ここに「個人的な要求」が入ってくると、愛の純度は下がりますよね。
・話を聞いてほしい。
・側にいてほしい。
・大切にしてほしい。
・記念日は特別にしてほしい
これは、相手のため、ではなく、自分のためです。「自己愛」が動機になる。これも愛の一種ですけどね。
さらに愛の純度が下がると、今度は「恐れ」が動機になってきます。
・浮気をやめてほしい
・ギャンブルはやめてほしい
・乱暴をやめてほしい
ダメ夫や、問題抱えた夫婦だとこんな感じかな?(笑)あくまでもわかりやすい例です。
これは家族や配偶者だけじゃなく、職場の人、友人、地域の行政など、とにかくいろんな「やってほしい」という“愛の動機”や「やめてほしい」の“恐れの動機”があります。
しかし、往々にして人はどんな動機にしろ、なかなか「思ったようには行かない」もんです。それが「悩み」とかになったります。
今日はこの辺の仕組みと対処法についてお話しします。
まず、先に理解しなければならないのが、一見「愛の動機」に見える、
「やってほしい」
という想いの“裏”には「反対の事実、ないし、思い込み」があるからその願いがあるということ。
例えば「息子に勉強をしてほしい」と思うお母さんの意識の奥には、「息子は勉強をしない」という事象やあり、さらに「勉強ができないと将来がダメになる」というお母さんの思い込みがあるから、その望みや期待が生まれるってことです。息子の将来なんて、勉強と直接関連するかは、どうなるかわからないにもかかわらず、思い込みで期待しているのです。
だから「愛が動機」のようで、ベースには「恐れの動機」が起点にあったというわけです。恐れから、期待をし、コントロールをしようとしていたのです。
ネガティブな起点のものはもちろんそのまま「恐れが動機」ですが、これももっと深い部分を見た方がよくて、
「浮気してほしくない」⇨「浮気をしてる or した」⇨「私の夫は浮気をしてはいけない」
さらにここでどうしてその思い込みがあるのかというと、
「私は愛されていない」
という根底にある思い込みが出てくる。
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